rewrite:2021.12.10
やり過ごすことばかり上手くなる
線路の向こうで彼が何かを言っている。僕へ何かを伝えようとしている。けれど彼の声は鳴り響く警報機の音に紛れ、ここまで届いてこない。一体何を僕に伝えようとしているのか知りたくて線路を越えようとする僕を遮断桿が阻む。彼は悲しげに目元を歪めていた。そうしてそっとまた唇が開かれたとき、轟音と共に目の前を列車が走り抜けていく。これで彼の元へ行ける、と思ったのに、列車が過ぎ去り見えた向こうには彼の姿はなかった。どこにもなかった。「征ちゃん?」気遣うような柔らかい低音にふっと意識が戻る。顔を上げれば心配げに顔を歪めた玲央がこちらを見ていた。「大丈夫?なんだか今日はぼんやりしているようだけど……どこか具合が悪いなら、」「ああいや、大丈夫だ。すまない」少し心配性なチームメイトの心遣いに感謝をしながら首を振った。ぼんやりしている、そうかもしれない。ふと気づけば考えてしまっている。今更あの日の出来事を夢にみるなんて、どういうことだろう。ずっと忘れていたのに、否、忘れようとしていたのか、蓋をして。線路の向こうで彼は僕に何を伝えたかったのだろう。痛そうに悲しそうに歪められた目、必死さを纏った彼の顔。彼は列車が過ぎ去った後、どうしたんだったろうか。夢では消えてしまっていた彼は、実際はどうしただろう。僕が忘れて消してしまったその事柄は厭になるほど悲しく寂しい。彼は今、どうしているのだろう。今どこで何をやっているのかすら僕は知らない。彼が伝えようと、最後に言おうとしていたことさえ僕は分からないままだ。列車が通る前、唇を開いたときに一瞬過ぎった諦めのような薄い笑み。伝わることなどありはしないと言うようなあの笑みがどうしようもなく胸の奥底を揺する。いつになく安定しない自分に目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。こんなんじゃ何も出来ない。駄目だ、蓋をしなければ、忘れなければ。僕はまだ、立ち止まれないのだから。遠く、警報機の音が聞こえた。
透くまぼろしの断片
気付けば色々なものを落としてしまっていた。落としたものは転がり、どこかへ消えてしまっていた。小さく弱いライトに照らされた足元には自分一人分の影しかない。何も抱えていない両手を呆然と見つめても散り散りになってしまったものはもう戻らない。遠くで大きな歓声が聞こえる。けれど真っ暗で、何も見えない。ここはどこだ、あの声はなんだ、僕は一体何をしている?「―――し、赤司、」はっと目を開ければ大和がもうすぐ終着だぞ、と言った。揺れを感じここが電車の中だと気付いて息を吐く。「珍しいな、お前が寝るなんて」「そうかな」「疲れた?」「いや」緩く頭を振って、目を開ける前に見た光景を追い出す。またあの夢を見た。もう半年も経つのにまだ引きずっているのだろうか。緩く繋がっていた手を強く握ると、同じだけの力で握り返される。「ヤな夢でも見たか?」「少しね」凭れるように身体を傾け、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺める。終着はどこだったろう。見た気もするけれど覚えていない。覚える必要もないだろう。「降りたら一回出て、どっかで何か食おうぜ」「いいよ」がたんがたんと揺れ続け、段々速度を落としていく。ぞろぞろと人が立ち上がり出入口に並び始めた。「何食べたい?」「美味しいもの」「難しいこと言うな」ふふ、と息を漏らすように笑い、大和は僕の手を引く。引かれるままに立ち上がり人の流れに乗って電車を降りれば、もったりとした暑さについ先ほど出て来たばかりの車内に戻りたくなった。「暑い」「そうだね」改札で離れた手が、またするりと絡みつく。暑いっていうのに僕も大和も手は離さない。何もないと思っていたけれど、ちゃんと僕は持っていた。一人分だと思っていた影はちゃんと隣にあったのだ。「切符、次は何処までにする?」僕の手を引き少し前を歩いていた彼が振り返った。「一番遠いところまで」彼と行ける、一番遠いところまで行きたい。そこが僕の終着点になるのだろうから。
rewrite:2021.12.10
雨、或いはあなた
遠くで雷鳴が轟いている。カメラのシャッターのような、一瞬の強い光にちかちかと目が眩んだ。目の前を通り過ぎて行くいくつもの大きな雨粒が地面に叩き付けられ白い飛沫となっていく。開け放ったままのドアから、しばらく茫然と雨に濡れる屋上のコンクリートを見つめていた。征十郎はまだ来ない。「運命を信じている。輪廻を信じている。僕たちは逢うべくして出逢ったんだ。君を初めて見たとき、初めてなのに初めてな気がしなかった。考えてみれば当然だ、だって僕たちは前も、その前も出逢っているんだから。でもいつだってやっとというところで引き剥がされてきたんだろうね、だから僕は君を見るといつもどうしようもなく苦しくて切なくて死んでしまいたくなる。君もそうだろう?」ざあざあ怒鳴るような雨粒の声を押しのけ言葉が蘇ってくる。俺に向かって投げられるあいつの声はいつも少し苦しそうで、すごく愛おしそうな響きを持っていた。きっと俺の声もそう聞こえているんだろう。「君の魂の端を、僕は確かに握っている。君も握っているだろう、僕のものを。だからどんなに離れてしまっても自然と惹きつけ合うんだろうね」触れてくる征十郎の指はいつも少しだけ震えていた。「終わりがみえるんだ。きっともうすぐ僕たちはまた離れ離れになってしまう。ようやく君を見つけて、繋がったのに、また離れてしまう」悲しそうに悔しそうに目を伏せ、俺の手を強く握りしめたその手は驚くほど冷たかった。震え凍えた手を温めるように握り返せば、征十郎は潤んだ美しい赤い瞳を苦しそうに輝かせながら言った。「いずれ離れてしまうのなら、僕はお前と共に終わりを迎えたい。裂かれて離れてしまう前に」終演のベルが聞こえる。それは出発のベルでもあるのだろう。きっと、魂に刻まれた彼の存在を求めて、握りしめた手を求めて、また当て所なく彷徨うのだろう。たった一瞬の逢瀬のために何度も何度も巡るのだ。征十郎はまだ来ない。もう、先に連れていかれてしまったのかも知れない。
rewrite:2021.12.10
独の心音
梅雨明けと共に何かが去って行った。無言の帰り道、突き抜けるような青空を睨むように見上げるその横顔はどこか投げやりな色をしている。少しずつ、線路のレールが分岐していくように離れていっているのだろうとどこかで思った。怯えている子供のような、警戒心の強い猫のような、ピンと張り詰めた雰囲気を微かに感じる。少し離れた位置にある肩は何かもを拒絶するように強張っていた。一体彼は、何をそんなに拒んでいるのだろうか。遮断機の音が聞こえる。目を向ければ、緩やかな坂道を上った先の線路を列車が走り抜けていったのが見えた。線路。ふいにいつか交わした不思議な話を思い出した。線路の先の国の話、彼は覚えているだろうか。「大和」正面に固定されたまま動かぬ瞳に呼びかける。しかし彼は決して僕を見ない。「線路の話、覚えているかい」構わず問えば、くっと息が詰まったような小さな音が聞こえた。「ああ」突き放すような、小さな棘を幾つか纏った短い声。一体何をそんなに拒んでいるのだろう。何をそんなに怖がっているのだろう。坂を上りきり、線路を渡る。ふと気付けば視界のどこにも彼が居らず、何処に行ったのだろうかと振り返れば線路の向こうに立ち尽くしていた。何かあったのだろうか、彼はじっと睨むように目の前の線路へ視線を投げている。「大和?」どうした、と問う前に彼が顔をあげた。どこか怒っているように熱を持った、けれど遠ざけるように冷ややかな目が真っ直ぐに向かってくる。毎日顔を合わせているのに、こうして正面から見つめ合うのは久しぶりな気がした。「お前はどこにいくんだ」硬い声がごろごろと音を立てながら転がってくる。彼の言いたいことが僕にはよく分からなかった。「僕はどこにもいかないよ」引き結ばれた唇が無言の糾弾を始めるけれど、僕には彼が何をそんなに怒り責めているのか分からない。もういい、と言いたげに逸らされた視線にどうしてか胸が苦しくなって目を伏せた。梅雨明けと共に、何かが去って行った。僕は一体、何を失くしたのだろう。
rewrite:2021.12.10
きみの影踏み
最近、どうも赤司が妙だ。元々口数が多い方ではないが、ここ数日は業務連絡や指示以外にはほとんど口を開かない。レギュラー陣で共に帰路についてもほとんど会話に参加せず、青峰たちも赤司の様子がおかしいと思っているようで度々心配そうしていた。ただの勘でしかないが、このままでは何か手遅れになるような気がしてその日、とうとう俺は赤司に声をかけた。「赤司」ボトルを片手にどこかを見つめている赤司に近付くと、やけにのろのろとした動作で振り返った。「何だ?」赤い目は確かに真っ直ぐ俺を見ている。けれどどこか焦点がずれているように思えてならなかった。目が合っているのに合っていないような、俺自身をすり抜けて背後でも見ているような、そんな奇妙な感覚に襲われる。「何かあったのか?最近のお前は変だぞ」そう直球でぶつければ「すまない、少し色々あって」と薄く笑う。それから「もうすぐ会えるんだ、やっと会える」とだけ言って口を閉ざしてしまった。それきり何を聞いても薄い笑みを返されるだけで何ひとつ分からず、赤司の様子が妙なこと以外特に何事もない日々が続いたある日、赤司はふらりと消えるようにいなくなってしまった。昼休み、購買へ行った紫原たちを待っていたとき、不意に赤司は立ち上がり「大和に会いにいってくる」と言った。その眼はまた何もない場所を見つめている。大和と言うのが誰だか分からず問えば、「大切な人だよ、遠いところにいてずっと会えなかったんだ」と久しく見ていなかった笑顔が浮かんだ。けれどその眼。俺を見ているのにどこも見ていない虚ろな眼が恐ろしくて、一瞬言葉を呑んだその間に赤司はさっさと食堂を出て行ってしまった。そうして、それきり。どれだけ探せど何処にも些細な痕跡ひとつありはしない。あの日、赤司が食堂を出てすぐやって来た四人にその話をした時、紫原は目を見開き「無理だよ」と言った。「無理だよ、だって、その大和って人、もういないから、ずっと前に死んじゃったって言ってたから、もう会えないよ」『もうすぐ会えるんだ』一体お前は、誰に会いにいったんだ。『やっと会える』
rewrite:2021.12.11
指先の支配者
現実の探偵なんてもんは浮気調査だのペット探しだのが主な仕事だと思っている人間が多いようだが、実際は小説と似たようなもんだ。むしろヤバいことのが多い。現実は小説より奇なり、今回征十郎が持ってきた仕事はどっかの豪邸の密室殺人事件である。なんてありきたり、しかも犯行時間およそ三分の不可能犯罪ときた。そんな短時間で出来ることといえばせいぜいカップラーメンを作ることぐらいだろよ。「よう征十郎」「ああ大和、遅くに呼び出してすまないな」「いーえ、刑事様のお呼び出しですから」なははと笑えば赤司も少しだけ笑んで、事件の説明が始まった。まあそんなもん現場を見れば分かるんだが、征十郎が説明したそうなので聞いてやる。ああ俺はなんて慈悲深い、最早キリストの生まれ変わりでは?「以上だ」「オーケイ、すぐ片付ける」赤司は少しだけ笑って、その辺にいる奴らは好きに使ってくれと言ってどこかへ消えた。それを見送りすぐさま自分の仮説が正しいか検証しようとした矢先、騒がしい音が近付いて来る。「大和さん来てたんスね!」それを皮切りにどやどやとその辺にいる奴ら基征十郎の部下共が集まってきた。俺の傍にやってきたそいつらは毎度の如く俺の傍でキャンキャン吠えて喧しい上に、あっちも見てこっちも見てと連れて行こうとする。「ああもう、馬鹿はだぁってろ!散れ!」そこで黙ってじっとしてるってことができないやつしかいないのか本当に!馬鹿に出来ることと言えば黙って座ってることくらいなもんだろうに!「大和」苛立ちに歯軋りしながら振り向けば、淡い笑みを携えた征十郎が缶コーヒーを差し出してきた。「お前んとこの部下いい加減殺していいか」「悪い子達じゃないんだ、許してやってくれ」そういう赤司の背後でもまだ馬鹿騒ぎしている。全く犬のほうがよっぽど賢い。「それで、まとまったか」「当たり前だろ、俺は名探偵様だぜ?」こんなクソつまらん事件、すぐに解決、である。
rewrite:2021.12.12
どこにもどこかにもいない人
水の玉が割れるような軽やかな音と一瞬の光に、赤司征十郎は大きな猫の目を瞬かせた。何が起きたのかよく分かっていないような、少しだけ無防備なその顔を再びフラッシュが切り取っていく。光の目映さに赤司は目をきゅっと瞑り顔を背けた。「またお前か、工藤」ちかちかする、と目を手のひらで覆った赤司に今しがた彼へフラッシュを浴びせた男、工藤大和はやたらとにこやかな笑みを向けた。「よお赤司、また俺だぜ」カメラのモニターで先程撮影したものを見返しながら、大和は口元を少しだけ歪める。「赤司はいつ撮っても綺麗だな、人形みたいだ。ああでもさっきのは猫みたいだった」大きなカメラをいじる指を見つめる赤司は、いつもの何を考えているんだか分からない顔をしている。前はもう少し表情豊か、とまではいかないが笑ったり怒ったり年相応な顔をしていたのに、と赤司の平坦な顔をちらりと横目で見た大和は少し眉を下げた。赤司は少し変わった。どう変わったのかということは上手く表現できないが、変わってしまったように思う。どこか感情も表情も希薄になったように思うのだ。もう随分とカメラの記録にあの時折見せていた子供のような笑みはない。大和は赤司の鏡のような瞳を見つめた。こちら側を映すばかりで向こう側など一切見せないその目に、一抹の寂しさのようなものが過ぎる。「赤司さあ」それだけ言って、一向に何も言わない大和に赤司は何だ、と先を促したが彼は首を振りなんでもないと目を逸らした。 言いたいことも聞きたいことも沢山あるけれど、どれひとつ口にしてはならないような気がしたのだ。言葉にした途端、壊れてしまう気がした。顔を顰めた大和がまたカメラを操作し赤司へとレンズを向ける。「赤司は本当に人形みたいになったな」フラッシュ。「綺麗だけど空っぽだ」カメラを下ろしてどこか悲し気に笑った大和はそのまま赤司に背を向け去って行った。その背を見送る瞳が微かに揺らいでいたことを、彼が知ることはないだろう。
rewrite:2021.12.12
硬化する五線譜
待っていた。次々に流れていく今という時間の中で、たくさん立ち止まりながら待っていた。たった一人で歩むことを嘆きながら、あの止めどなく流れていた日々に焦がれながら。見えないのが怖くて、曖昧なのが不安で目に見えるような形がほしくて繋いだはずの温かな手は、いつの間にか何もかものを拒絶しながらも求める冷たい鎖へと変わっていた。それでも僕は待っていた。彼が追いかけて、掴まえて、再び僕の手を握り締めてくれることを。冷酷な棘をたくさん備えた鎖で傷だらけになった手のひらに、馬鹿だなと言って笑って触れてくれるのを、それこそ馬鹿みたいに待っているのだ。もう何もかも変わってしまって、皆も変わって、なのに僕だけ何も変わらず変われず薄氷の上を恐れながら歩んでいる。もしかしたら僕の隣に変わらず彼がいて、鎖ではなく彼の手を握って、こんな道じゃない場所を進むことが出来る未来があったのかも知れない。僕には見えなかったものが彼には見えていた。信じて頷けば良かったのかも知れない。後悔してるんだって言ってしまえば良かったのかも知れない。けれど僕は頷かなかった。言わなかった。そんなことをしてしまえば描き上げた赤司征十郎というものが崩れて消えてしまう気がしたのだ。塞がりかけていた傷口に爪をたて掻きむしる。きっとこれは僕の罰なのだ。爪が瘡蓋を破り抉り取る。冷えた手に染みる熱い滴に歯を食い縛った。これは忘れてはならない傷なのだ。治ってはならない、癒されてはならない痛みなのだ。途切れることなく進む日々の中で色々なものが風化していく中で、これだけが変わらずここにある。待っているのだ、僕は、ずっとずっと、馬鹿みたいに。彼が追いかけて、追いついて、この傷に気付いて、塞いでくれるのを。彼じゃないと駄目なのだ、彼にしか許されていないのだ。だから僕は今日も誰の足音も聞こえない薄氷の道で、棘で手のひらを裂いて傷口を掻きむしって、死んだように足を動かしている。ただただ彼を待ちながら。
rewrite:2021.12.12 | BGM:Re:Re: / ASIAN KUNG-FU GENERATION
春が来るのはあなたのせいです
ちゃんと褒められたことなんてないんじゃないかと思った。あいつの家庭環境はあまり詳しく知らないけれど、多分、出来て当たり前のような環境で育ってきたんじゃないだろうか。すごいとか、天才とか、そういう称讃は嫌という程浴びてきただろうことは容易に想像できるけれど、頑張ったななんて言われたことないのではないだろうか。何でもない顔をしてさらりとやってのけるその影に、多くの努力があることを知ろうとするものは少なく、だから誰もが才能の一言で片づけようとしてしまうのだ。もともとの才能もあるのだろうけれど、それを削って磨かなければ光ることはない。そんな当たり前のことをどうして誰も理解しようとしないのだろうか。凛と真っ直ぐ伸びた背を見つめる。あの細い背に、一体どれだけの期待と圧力がかかっているのか知る人はほとんどいないのだろう。人を頼ることのないあの背は、きっと甘えることも知らない。そう思うと少し寂しくなって、胸の辺りがちくちく痛んだ。そんなことをぼんやり思いながらじいっと見ていたからか、ふいに赤司が振り返った。強く真っ直ぐな赤い瞳が刺さる。「何かありましたか、先輩」俺の傍へやってきた彼が何か不備でもあったのか、と問いたげな目でちらりとボードに視線を落とす。「いや、何にも。皆タイムも上がってるし、体力も夏前と比べたら増してる。まあ今年も優勝できるだろうよ」「そうですか」ボードの数字を目で追うその表情は変わらない。努力するのは当たり前だと思っているその目。でも違うのだ、そこまでの努力を出来るのは普通じゃない。当たり前じゃない。どうにもやっぱり淡々としたその顔に堪らなくなって、目の前の赤い頭に手を乗せた。「頑張ったな、お疲れさま」まだ何も終わっていないけれどその頭を犬でも撫でるようにかき混ぜた。「な、」目を見開いて俺を見上げた彼の頬がどんどん赤くなっていく。何かを言おうとしたのか口を開いて、けれど何も言わずに俯いたその耳は見たことないほど真っ赤で、あまりの可愛さに抱き締めたくなってしまった。
rewrite:2021.12.14
さみしいとさみしいを束ねて
何もかも嫌になってしまうときがある。やること全て無意味に感じて、こんなことをして一体何になるのだろうと力が抜けてしまうのだ。無味無臭の勝利をただ消費して、自分は一体どうしたいのだろう、と。どこを目指して歩いているのか分からなくなるって、ふっ、と見えていたはずの道も案内板も消えてしまって、ただ真っ暗な中にたった一人為す術もなく立ち尽くすのだ。ぼんやりとベッドから眺めていた朝の天気予報が雨を告げ、途端に体がずしりと鉛のような湿った重さを纏った。あ、と思ったときにはもう見えない。世界から切り離されぼんやりと視界が霞む。重みに耐え切れなくなった体が柔らかなマットに沈んでいき、枕に埋もれ半分になった視界は夢でも見ているかのように安定しない。妙に寂しくなって、けれど縋れるようなものは何もなくて、鼠色の思考が意味もなくくるくると回り余計なことばかり考えてしまう。ああ、嫌だな。ぐっと息を詰めてきつく瞼を閉じてもすっかり目覚めてしまった体じゃあ夢を見ることすら儘ならず、足元から崩れ落ちていく感覚がする。そんなもの味わったことない癖にそんな感覚が襲ってくるのだ。どんどん落ちていく。底にはいつになってもつかなくて、きっと底なんてものはないのだろう。逃れるよう伸ばした手に触れた冷たい端末が攻撃的にさえ思う電子音を鳴らした。電話というものはどうにもすきになれない。いつまで経っても途絶えない音がわんわんと脳内で反響し増幅していく。「……はい」うんざりしながら碌に名前を確かめずに耳に押し当てた。『Good morning,Darling!』電子的な雑音を含んだ声にふっと息が入り込む。『今日休み?いつもの病気か?』何にも考えていないような、青天の声が眩しい。「ああ、いや……うん」『はは、どっちだよ。まあいいや、今からそっち行くから』返事なんて待たずに一方的に切られた電話を離し息を吐く。あと数分もすれば嵐のようなあの男がやってきて、あっという間に何もかも吹き飛ばしてしまうのだろう。なんだか無性におかしくなって笑ってしまった。
rewrite:2021.12.14 | BGM:或る街の群青 / ASIAN KUNG-FU GENERATION