蜃気楼を織る


水緒の背から羽根が生えた。空想や絵画の中の天使のような、純白に煌めく大きな翼が。

水緒、痛くない?」

その付け根はまだ少し赤く、痛々しい。
一人では洗うこともままならなくなった彼の背を洗い流しながら問えば、彼はぼんやりとした目でただ頷いた。日に日に彼の意識は希薄になっている。
あの日、痛みに叫び泣く彼に僕は近寄ることが出来なかった。痛い、たすけてと掠れた声で言う彼の鮮やかな赤を散らす白い背から目が離せなかった。ぼたぼたと大きな粒を瞳から落とす彼の背を引き裂き現れた、真っ白で美しい大きな羽根。微かに輝きを放ちながら姿を現したそれに、彼の叫びがなりを潜めて漸く近寄ることが出来た。
触れることを躊躇うほどに神々しく、恐ろしさすら感じる天使の如き羽根。
どうして突然、本物なのか、俄かに信じ難い、夢でもみているのか?ぐるぐると頭を駆け巡ったそれらは、恐る恐る触れた羽根の予想外のあたたかさに霧散した。
感覚もあるらしいそれを切り落とすこと出来ず、かといって病院なんぞにも行けず、結局どうすることも出来なかった。

「流すよ、熱かったら言って」

少し温い湯をかけると、羽根の上をきらきらと光りながら滑り落ちていく。
初めは僅かだった輝きは、日に日に強くなっている。周囲を光の粒子が飛ぶようにぼうっと光っているのだ。それに比例し薄くなる彼の意識に僕は不安を隠せずにいた。
もし、このままどんどん彼の意識が薄れていって、無くなってしまったら。そうしたら、一体どうなるのだろう。

水緒?」

流し終え、いいよと言っても動かない彼にどうしたって嫌な事をばかり考えてしまう。暫くして彼はやっと細い声で返事をした。

「大丈夫?」
「うん」
「どこか痛い?」
「ううん」

緩慢な動作に合わせてぱたりと滴が落ちる。

「あのね、最近、よく分かんないの」
「え?」
「あったかいのも冷たいのも、分かんない」

どうしちゃったのかなあと呟いた彼の目は、どこを見ているのか分からない虚ろなものだった。少しずつ、けれど着実に彼の中で何かが失われている。
全てはこの羽根の所為なのだろう。煌々と輝く白き翼が、どす黒いものに見えた。

rewrite:2021.11.23