孵らぬ卵を温めた


※そこはかとない医者パロ

皆が責め立てる、お前が悪いんだって皆が言ってる。ぼくは悪くないのに、悪いことなんてひとつもしてないのに、皆ぼくを悪者扱いするの。ぼくは、悪くなんてないのに。
幼い子供のようにぼろぼろと泣きながら、それでも彼、東雲は血に塗れた包丁を手離さなかった。泣いて、泣いて泣いて、目玉が溶けてしまう程泣いていたのに、その手はしっかりと多くの人を死に至らしめた悪意を握り締めていたのだ。
その現場を俺が見たわけではない。けれどその光景が酷く惨たらしく人の心を切り裂くには十分足りえる程だったのは分かる。人の心は、こんなにも恐ろしく残酷で昏いものなのかと零した旧友の顔はそうそう忘れられるものではなかった。

「赤司先生」

呼ぶ声に振り返れば、あの怯えたような顔があった。
それだけで何の用事なのかわかってしまう程俺は彼と関わっているのか。

「今行く」

自販機で温かいココアをひとつ買って、看護師たちの忙しない足音を聞きながら彼がいる部屋へと向かった。
身を切り裂くような絶叫が聞こえる。今日は時間がかかるかもしれないな、と近付くにつれ大きくなる泣き声にココアの缶を握り締めた。
彼はここに来てから、殆ど毎日泣いている。泣き喚くときもあればただ静かに涙を落とすときもある。その時その時で違うけれど、一貫して泣いているのは『怖い』からだ。
彼はいつだって何かに怯えている。怯えながらそれに抗う。その結果が、あの血塗れの包丁だ。

「せ、先生っ」

幾つも並ぶ白い扉の一番奥を開ければ、中にいた二人が駆け寄って来る。

「出ろ」

何か言いたげな顔で、だが結局何も言わずに出ていく。それを見届けて錠を下ろし彼が繋がれているベッドへ腰かけた。

「大丈夫だよ、、大丈夫」

暴れる体を抱きしめて一つ一つ血を噴く傷を埋めていく。貼った先から剥がれていくような脆い絆創膏じゃ何の解決にもならないというのに。
この呪詛のように繰り返される言葉こそ彼を雁字搦めにしているということは、とっくの昔に解っていた。

rewrite:2021.11.14