喪失はいつも指先の届かないところにある
蝶は幼虫から成虫になる時、一回死んじゃうんだって。
そう言った薫は淡い微笑を唇に乗せて、うっとりと目を細めていた。
「美しくなるために生まれ変わるんだって。死を経て全てを創り変えるんだよ」
パックジュースを弄ぶ指の先を守る爪は噛まれ毟られた後が幾つもある。ぎざぎざになったそこはひとつの小さな凶器で、それで傷つけられるのはいつだって彼自身だ。
「アポトーシス、征十郎くんならきっと知ってるよね」
自殺プログラムだよと何が楽しいのか満面の笑みを浮かべる彼に鳩尾がじっとりと重く冷え込んでいく。
頬杖をついた拍子に少しだけずり落ちた袖がちらちらとそこにある傷の頭を見せる。彼が生まれ変わろうとした証。
生きることを確かめる為につけられたものじゃない、本気で命を絶とうとした深く太いものが数本、そこに横たわっていることを知っているのはきっと僕だけなのだろう。醜い傷跡は今でも着実に増え続けているはずだ。
そこだけじゃない、腕にも腿にも。薫は着実に死へと向かっていて、いつも失敗して未遂に終わってしまうけれど確実にそれは彼の命を削っていた。何度も何度も自分を傷付け、彼は少しずつ己を破壊しているのだ。
彼の話していたアポトーシスの話は僕も知っていた。蛹の中で死んだ幼虫がペースト状になり新たな形を、美しいとされる形を作る。
彼も、そうなのだろうか。どろどろになって生まれ変わろうとでもいうのだろうか、そんな必要はどこにも無いのに。
「征十郎くんは」
真っ直ぐで無垢でどこまでも空っぽになってしまった瞳がじっと僕を見る。
その眼で見つめられるたび、昔の毎日楽しそうに笑いはしゃいでいた今とは正反対の薫を思い出して息が苦しくなる。
「きっと僕が生まれ変わっても、気付いてくれないんだろうな」
少しだけ寂しそうな色を浮かべた柔らかな眼差しは責めているようで、それがどうしようもなく悲しかった。けれどわかるよと言ったところで彼はそれを信じないのだろう。
見つけられる自信は確かにあるのに、それを彼に伝える術が僕にはない。
彼に届く言葉はいつだって圧倒的に少なく、僕は彼に何も伝えることが出来ないのだ。
rewrite:2021.11.14