Cemetery

※主人公:チャーミングな何様俺様天才(自称)様な人外説のある男(諸説あり)

ぬくもりの影

▼ 松野一松 / osmt

あの時差し出された手を取れなかったのは、その美しい手に触れた途端、掴んだ途端、握り締めた途端、全てが終わってしまう気がしたからだ。何もかもが崩れて終わってしまうと思った。けれどそれは終わってしまうのではなく、ただ世界が移り変わるだけだったのだと気付けたのは、もう随分と経ってからだった。あの時彼の少し震えていたあの手を握り締めていたら、俺の生きる世界は今では考えられないくらい美しく柔らかな色をしていたのかもしれない。こんな泥の中で息をしているような苦しさも、生き辛さも感じることはなかったのかもしれない。心情そのもののようなどんよりとした空の下を歩き、いつもの薄暗い路地裏へと入る。寄ってきた友達の猫たちの前に缶詰やにぼしを広げながら思うのは、やはりどうしたって彼のことなのだ。初めて大和と会話したのも路地裏だった。路地裏の友達と触れ合う時だけが唯一安らげる時間だった高校生の頃、偶然路地裏で鉢合わせたのが始まりだった。いつもはすぐに逃げる子たちがその時ばかりはその場に横たわったままで、静かに彼を受け入れていた。そこで俺たちは色々な話をして、それからも会話を交わし時間を共にするようになったのだ。たまに連れ立って路地裏へ行く時間が心躍る瞬間へ変わるのはあっという間で、猫に優しく触れる手に触れたくなるのもあっという間だった。あの男の傍にはいつも仄かに甘い優しい空気が漂っていて、それは俺を受け入れ、そうっと呼吸を促してくれるものだった。何かを奪うことは一度としてなく、与えてくれるばかりだったのだ。あれは、きっと彼の愛そのものだったのだろう。俺はそれに気付けなかった。愚かな俺はそれに気付くことなく、ありもしない終わりの影に怯えて、震えながら愛を差し出した手を拒んだのだ。拒んだから、今俺は独りで暗い夜に怯え、刺すような朝日に震え、細く呼吸を繰り返すしかない。救い上げてくれるあたたかな手はもうない。吐き気のする後悔はずっと燻り、纏わりついて離れることはない。
rewrite:2022.02.24

アップライト・サーカス

▼ 松野おそ松 / osmt

時々、何もかもが面倒になって、ごちゃごちゃ喚いて騒いでみたりへらへら馬鹿みたいに笑ってんのもヤになってしまう時がある。身体が重たくて何一つ自由に動かせず、ただ部屋の真ん中でごろりと寝転がって目を閉じた。何一つ儘ならない。段々、吸って吐いてと繰り返す呼吸すら面倒になってきて止めてみても、結局苦しくなって息を吸う。けれどそれすら上手にできなくて、厭な苛立ちと怠さがどろどろと周囲を包み込んでいくのだ。こういう時は、俺の傍には誰一人近寄っては来ない。空気を読まず絡んではいつの間にか俺を引き上げてくれるカラ松すら、一切合切見ないふりとでもばかりに無視をきめこむのだ。嫌になる。もう何が嫌なんだか分かんないけど、何もかもが嫌。きっとこのままずぶずぶと沼の底に沈んでいって、死んでしまうんだ。きっとそう、誰も俺のことなんて引っ張ってくれやしないから、このまま、ずぶずぶずぶずぶ。「おそ、寝てんの?」いや、いた。一人だけ、カラ松なんかよりももっとずっと空気を読まない野郎。こっちの気なんかお構いなしで引きずり込んで引っ掻き回して、ぶんぶん振り回したと思ったらあっさり手を離すようなそういう奴。隣の事務所からウチの屋根に飛び乗ってやってきたヤローはまた土足のまま窓から部屋に上がり込んできた。掃除するのは誰だと思ってんだ、毎回毎回こいつは!「あら~?おそくん今日はゴキゲンななめなの?」ごっつい靴が顔の真横にどん、と降って来てギョッと目を見開けば仁王立ちで俺を見下ろす悪魔の顔がある。にやにや笑って「Good morning, Darling!」なんてうんざりするような甘ったるい声で言うのだ。「お仕事手伝えよ、おそ。暇だろ」「ヤだ!絶対ヤだぁ~!」「またちゃんと出来たらご褒美やるぞ」「ごほうび……」「前と同じやつだし、簡単だろ」「ま、前とおんなじ!?絶対無理!死んじゃう!」ああ、ああ、クソみたいに可愛くなくて可愛い弟たちよ!今すぐ帰ってきて俺のことをどっかに連れてって!じゃないとまたこの俺様何様大和様にめちゃめちゃにされて死んじゃうよ~!
rewrite:2022.02.24

不定の春をいくつも並べて

▼ 松野カラ松 / osmt

時々、大和のことがたまらなく美味しそうに見えることがある。彼はいつだって良い匂いがする(柔軟剤の匂いだとか、時にはお菓子のような甘い匂いだとか)し、薔薇色の柔らかそうな頬や唇だったり、綺麗な形の桜色の爪だったり、どこか淡くてふわふわとしたものがあるのだ。それを目にする度、なんだか美味しそうに思えて、ぱくりといってしまいたくなる。実際口に入れてみても甘い味がすることはないのだが、なんとなく美味しいような気がして、なんとなく安心するのだ。大和も怒らないものだからつい、ついつい口に含んでしまう。「ン~、完璧だぜ……」大和の伸びてきていた爪を切ってやすりを掛け、滑らかになったそこを眺めているとじわっとまた衝動が沸き上がって、ついついぱくりと口にしてしまう。根元まで含みもぐもぐと奥歯で甘噛みすると、大和はくふくふ笑いだした。まるで可愛くて堪らないというようなその眼差しは、少し恥ずかしいけれどとても嬉しい。愛されているとよく分かるから。溢れだした唾液を嚥下するついでにじゅうっと吸い付くと、ひくりと彼の肩が震えじわりと頬に朱がまじり始めた。愛でるようだった眼差しが揺れる。固い関節を犬歯で突きながら長い指に舌を巻き付ければ、こちらを見つめていた瞳が水気を帯び始めた。じゅるじゅると血でも吸い出すように圧をかけ、爪と肉の間を舌でなぞりながら再度彼を窺うと目尻を赤く染め潤んだ目でこちらを見つめていた。薄く開かれた唇から、ふるふると細かく震え熱を孕んだ吐息が聞こえてくる。口角があがるのを止められない。そのまま口を開き、見せつけるようにべろりと指を舐めあげてみせればこくりと白い喉が震えた。下がった眉と熱を帯びた眼差しにぞくぞくしてしまう。いつだって完璧で素晴らしい彼が俺によって翻弄されているのだ、興奮しない方がどうかしている。さて、そろそろ俺も我慢が出来ないし大和ももうとっくに食べ頃だ。据え膳食わぬは男の恥ともいうし、ここは遠慮なくいただこうじゃあないか。
rewrite:2022.02.24 | もぐもぐ唐松くん

色のない世界の朝焼け

▼ 松野カラ松 / osmt

俺のせいで彼は壊れてしまった。これ以上ないってくらいに俺を愛してくれていた彼を、俺はずたずたに切り裂いて、めちゃくちゃに壊してしまった。「大和、おはよう」ベッドで眠らなくなった彼はいつも窓辺に置いた揺り椅子にすわり、そこから動くことはあまりない。「今日は南瓜のキッシュだぞ。大和、好きだったろ」レースのカーテン越しに外を眺める横顔は今日も変わらず彫刻のような無表情だ。テーブルに置いた朝食の乗ったトレーもちらりと見るだけ。気紛れのように食べてくれる時もあるけれど、大抵彼は食事に手をつけない。昔のように目を輝かせることも美味しいと心底幸せそうに笑うこともなければ、あれが食べたいと楽しそうに言うこともない。まるでゆっくりと死にゆくように、彼は生きるために必要なことを少しずつしなくなっていた。「大和、今日は食べないと。昨日も食べてないだろう?」眠ってしまいそうなゆっくりとした瞬きを繰り返す彼は人形のようだ。いつだって輝いていた瞳は伽藍洞で、その目に見つめられる度に息が詰まりそうになる。「ほら大和、口を開けてくれ」結ばれた唇にフォークを持っていっても、前のように恥ずかしげに目元を染めることもなければおずおずと開かれることもない。柔らかく結ばれたままだ。「大和、一口だけでいいから」もう一度声を掛けるが、彼はそのまっさらな目でぼんやりと俺を見つめるだけだった。「……アパショナータが聞きたい」不意に囁くような声で言われたのは彼が好きなベートーヴェンの曲の副題だった。見た目に反してクラシックが好きな彼は、よく曲に纏わる色々な話を俺にしてくれていた。室内に満ちるピアノの旋律は激しく、あの日の彼を思い出してしまう。俺を求め叫んだ彼の手を振り払うことなく握っていれば、あの日の結末はまた変わっていたのかも知れない。彼には俺だけしかいなかった。手を取れるのは俺しかいなかったのに。「ごめん、ごめんな」背凭れに身を預け目を閉じる彼の冷たい手に触れ、祈るように握り締める。しかし彼が握り返してくれることは、もう二度とない。
rewrite:2022.02.24 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「副題・もう一度・結末」

良い子も悪い子もいなくなる

▼ 松野カラ松 / osmt

「カラ松みーっけ」にっこり嬉しそうに笑いながら雑誌を読んでいた俺の隣にやってきた大和は、一見機嫌が良さそうに見えた。「え、もしかして探してたのか?」「うん。電話した」全然気付かなかった。慌ててポケットに入れていた携帯を見ると、確かに不在着信が一件にメッセージが二件。ああ、やってしまった。さっと血の気が引いた俺の顔を大和は無表情で見下ろしている。「ご、ごめん……」「前言わなかったっけ」首を傾げ小さな子に言い聞かせるようなひどく優しい声で大和は言う。「俺からの電話は2コール以内に出てねって」冷えきった瞳が恐ろしくてならない。俯いた俺の前髪が引っ張られ、強制的に目を合わせられる。不機嫌を隠さないぎらりと光った目が細められ、ああ殴られると身を固くしたが予想した痛みはやってこない。大和を見上げれば「萎えた」と至極どうでもよさそうな声音で突き放されてしまった。関心の失せた目で俺を一瞥し、ふうっと詰まらなさそうに息を吐いて背を向ける。去っていく背中が終わりだと告げているようで、このまま行かせてしまえば二度と俺のもとへは帰ってこない気がして、「大和っ」思わず縋るようジャケットの裾を捕まえた。待ってくれ、「大和、その、」「……カラ松さぁ」言葉を遮りジャケットを掴む俺の手に触れて、大和が振り返る。感情の読めない無機質じみた目。「な、なんだっ?」「俺のこと好き?」確信している声だった。俺の答えなんて解り切っているくせに大和は時々こうして言葉を求める。「好きだっ」間も置かずに望まれている通りの言葉を返せば、大和は満足げに目を細めうっとりする程艶美な微笑みを浮かべた。それから「俺もだぁいすき」振り下ろす。骨と歯に挟まれた肉がぶちりと切れ口の中に鉄の嫌な味が広がる。よろけた俺のこめかみを足先が抉った。為す術もなく無様に倒れ伏した体を苛む痛みに心のどこかで安心している。大和はまだ、俺を捨てない、これで良いんだ、とただ言い聞かせた。
rewrite:2022.02.28

羽根の躾け糸

▼ 松野一松 / osmt

「一松」圧し掛かってきた大和の体温の高さにぐらりと理性が揺らいだ。緩く細められた瞳に籠る甘ったるい熱がじりじりと脳を焼いていく。「ねえ、ちょっと、」肩を押しながらどいてと言おうとした矢先、「名前呼んで」恍惚さえ窺わせる声でそう言いうっとりと笑み肩を押す俺の手を捉える。そうしてその長い指を絡ませ握り締めると、俺の手の平にそうっと唇を寄せ柔らかなキスをのせるのだ。「一松、俺のこと愛してるって言って」囁き俺の胸に手を置いて身を乗り出し、何度も唇に吸い付いてくる。やわやわと食まれ、薄い皮の上をねっとりと舌が這っていった。「言って、なあ、早く」いつの間にか彼の腕は俺の首に回され逃げ場はなくなっていた。目を合わせようとしない俺に焦れたのか、吐息がかかる程の距離で「愛してるって、俺しかいらないって言って」と切なげに掠れた声で言う。それでも俺が何も言わないままでいると次第にその瞳の水気が増していった。回されていた腕が再び俺の肩の上へと戻される。「一松、お願い、」小さな子供のように何度もお願いと繰り返す彼の目からとうとう涙が零れ落ちた。渦巻いていた甘い熱がどんどん流され、代わりに冷たく暗い悲しみに塗り替えられ苦しげに歪んでいく。震えた小さな声で、それでも繰り返される“お願い”にようやく、ゆっくりと息を吐いた。だらりと投げ出していた腕を震える背に回しぼろぼろと涙を落とす彼の頭を肩に押し付ける。落ち着かせるようにゆっくりとした速度で背中を撫で下ろし、その手が縋るように俺の胸元を握り締めたのを感じたら、「愛してる、大和。お前だけしかいらないから」とびっきり、これ以上ないってくらい優しく言うのだ。隙間を無くすようにきつく抱き締めて大和の望む言葉をその耳へと流し込んでいく。「……一松」嗚咽が治まりだしたら涙に濡れた頬を拭って、そして彼の望む通りキスをすればあとはもう、全て俺の思うままになる。可愛い可愛い俺だけの人形の出来上がりだ。
rewrite:2022.02.28 | これはイケメンに捏造したタイプの一松さん。

はしたないスカートの縁

▼ 高瀬準太 / ofr

つい三日ほど前に右耳にピアスを開けた。開けたことに対した理由はない。妙な苛立ちと無気力感が綯い交ぜになった衝動と、後は大和が開けてみたいと言ったこと、そんなものだ。「準ちゃん、ちょっと」購買へ行こうと財布を持って教室を出たところで、大和が俺の腕を引き歩き出した。握られた場所から伝わってくる少し高めの体温になんだか変に緊張してしまう。そうして連れてこられたのは三日前も来た音楽準備室だった。「何するんだ?」「ピアス」「開けるのか?」「んや、拡張してみっかなって」大和のポケットから出てきた小さな袋には細長いドリルみたいなものがぽつりと鎮座していた。「開けたばっかで全然安定してねえけどやってみようぜ」「かくちょうって何」「サイズ的にちょっと無理すっから血出るかもな」なんだか恐ろしい言葉が聞こえた気ががするんだが。「大和、かくちょうって何」「ピアスの穴、広げてみよってこと。いいだろ?」ピアスの穴を広げてどうするんだ、と思う間にピアノ用のふかふかの椅子に座らされ、開けたばかりでまだ熱っぽさのある耳朶に触られる。良いって言ってないのに。「ピアス取るぞ」じわっとした熱さとずるり内側が擦られるような感覚に、ぞくぞくとした妙な感覚が湧く。「痛い?」「平気」「次は痛いだろうけど我慢な」そう言うや否や、開けられた穴にあのドリルのようなものが勢いよく押し込められた。気遣いも何もあったもんじゃないそれに激痛が走る。「いっ、だぁっ!?」「我慢、我慢」「っは…ぅう、んん、い、たぃ…!」「あ~泣くな準ちゃん」ぬるりとしたものが首を伝い、気持ち悪いその感触に眉を顰めると大和は心底楽しそうに笑った。それから器具が突き刺さったままの耳朶に指を這わせ、悪戯に爪を立ててくる。「ひっ、やめ、…い”!?」いたい、でも、なんだかおかしい。止めさせようと大和の腕を掴んだ手に力が入らない。「やだ、って、っん……!」「気持ち良い?準ちゃん」嘲るその顔に、くらりと眩暈がした。
rewrite:2022.02.28

回数制限のやさしさ

▼ 市原豊 / ofr

何となくそのひたむきな姿にイラついてしまった俺は、ついついそこにあるバットを手に取ってフルスイングした。我ながら惚れ惚れする美しいフォームのスイングをぶち当てられた、投球練習をしていたイッチャンが潰れた悲鳴と共に吹っ飛んでいく。「イッチャンあそぼーぜ。暇なんだよ」背中を強打したからかイッチャンは咳き込んだまま何も答えない。無視すんなよとバットの先端で軽く頭を小突くとぎろりと睨まれたが、涙目なもんだから全然怖くない。「お、まえ、何なんだよっ!」いきなり何すんだ怪我したらどうするなんとかかんとか。早くて何を言っているのか聞き取れないし耳元で叫ばれると普通に煩くて、「うっせえ」胸倉を掴むイッチャンを突き飛ばした。またぎゃんぎゃん吠えるイッチャンに向けてバットを構えると、面白いほどイッチャンの顔色が変わる。「あっ、逃げんなよ」「おま、ほんとなに、俺何かしたかよ」後退るイッチャンはちょっと泣きそうだ。「何か心当たりでもあんの?」適当な俺の返事を真面目に考えるイッチャンは素直というか馬鹿というか。まあ動かないでいてくれるのは的の意味では有難い。イッチャンが練習に使ってそのままにしていた白球を拾いあげ、軽く投げてスイング。良い音がして真っ直ぐ飛んだ球はそのままイッチャンの米神辺りにヒットした。ちょっと高すぎただろう、ダメだなやっぱり俺は。あんまり練習好きじゃないからってサボりがちだったけど、イッチャンを見習ってもっと真面目に練習しなくちゃいけないな、と白球の入った籠を引き寄せる。「よし、イッチャン練習しようぜ!俺めちゃめちゃ頑張るわ」痛みに蹲っていたイッチャンが俺の声に顔をあげ、バットと白球を持っている俺に絶望的な顔をする。イッチャンのにこにこ笑ってる顔も好きだけど、俺はこういう顔も好きだ。でもまあ一番好きで気に入っているのは「かわいく泣けよ、イッチャン」めそめそ泣いているかわいい顔なのだ。
rewrite:2022.03.05

相対する嫌悪

▼ 市原豊 / ofr

大和はときどきおかしくなる。いつもはうんざりするほどぴったりくっついて甘えてきたり、反対に俺を甘やかしてみたり。始終幸せそうな笑顔を浮かべて俺と一緒に居る大和は、ときどき、何かのスイッチが入ったかのように突然おかしくなる。「大和ー、帰んぞー」大和は俺の部活が終わるまでいつも絶対に教室で待ってくれている。待ってないで先に帰ってもいいのだと言ったとき、奴は少し寂しそうに笑って首を振った。俺と一緒に帰りたい、一緒に居たいのだと小さな声で言う大和に不覚にもときめいてしまい、その後は俺の方からから待っていてくれと言うようになっていた。「大和?」ぼうっと窓の外を眺めたまま振り返らない大和になんとなく嫌な感じを覚えながらも肩に触れる。と、振り向いたその目にひゅうっと息が喉を落ちていった。凍るような冷えた瞳の奥でゆらゆら燃える薄暗い熱。「大和……?」情けなく震えた声に大和が笑ったと思った途端、がつんと米神に重たい衝撃を受け目の前に星が散る。ちかちかする視界と固い床の冷たさにああまたかと回らぬ頭の片隅で思った。今日は一体どれくらいで終わるだろうかと考えながら、降り注ぐ痛みにただただ耐えてひたすら時間が過ぎるのを待つ。滲む視界を閉ざし早く終われと念じていると、どれくらい経ったのか、大和が動きを止めた。「……痛い?」そうっと熱を持つ頬を撫でられ、ああ終わったのだと目を開けた。「ごめん、豊」そう言って大和は鞄を漁り常備している小さな救急箱を取り出した。腫れた頬に湿布を貼りつけ、切れた唇の端に絆創膏をくっつけて、痛みに涙が滲む目尻に唇を寄せる。「豊はすぐ泣いちゃうね。かわいい」愛おしそうに俺の頬を撫で何度も何度もキスを落としていく大和の目は、すっかりいつも通りだ。それにほうっと安堵の息を吐いた拍子にまたぼろりと涙が落ちた。情けなくぐずぐずと鼻をならす俺に大和はくすりと優しく笑って、「え?」拳を振り上げた。ぎらりと目がひかる、
rewrite:2022.03.08

藍に温くとける

▼ 松野カラ松 / osmt

全身に薄い青を纏い輝く瞳で硝子越しに水中を見上げるその姿の美しさは、この世のものとは思えないほどである。カラ松は水槽を眺める大和の横顔をぼうっと見つめながら、この人はやはり人間なんてものではないのだろうと本気で思っていた。毎日毎日とびきり美しい瞬間を見つけてはそんなことを考えてしまう。前に宇宙のようだと誰かに言った瞳の中を泳ぐ魚の影をそうっと覗き、きっとその海は心地良いだろうとカラ松は目を細めた。カラ松はその海があたたかく、愛に満ちていることをよく知っている。その海に触れられるのがカラ松ただ一人だけだということもまた、彼はよく知っていた。「……綺麗」硝子にそっと触れる指先に水の細かな輝きが移り、浮かび上がるように光った。子供のように無邪気なその声と表情は彼の持つ大人びた容姿と相俟りどこか危うげな色を作りあげていて、知らず喉が鳴る。と、次のコーナーへ足を動かしていた大和が、水族館に入ってからめっきり口を開かなくなったカラ松へ少しだけ不安げな瞳を向けた。ここに連れてきてくれたのはカラ松だけれど、もともと行きたいと言っていたのは大和自身だ。楽しくはなかっただろうか、と少しだけ寂しくなりぼうっと黙って自分を見つめてくるカラ松に大和はそっと声をかけた。「カラ松、楽しくない?」「えっ、あっ違うんだ、その……大和が綺麗で……」「あ、あー……そう」真っ赤な顔のカラ松につられるようにじわりと頬を赤くしながら、大和はカラ松があり得ない程自分を好いていたことを思い出した。大和と共に居られる場所は全て楽園であるという顔をする男だったのをすっかり忘れていたのだ。大和は熱を吐き出すように息をついて、それから手を差し伸べた。「手、繋ごうカラ松」「え!?いや、う、嬉しいが……でも……」「誰も見てないよ。な、ダメ?」「ダメ、じゃない」大和は重ねられたカラ松の熱くしっとりとしたその手ににっこり笑った。ふんふんと小さな鼻歌が聞こえてきそうなご機嫌な様子に、胸を高鳴らせながらカラ松もつられてまた至極幸せそうに笑う。ああ、今日も彼のいる世界はこんなにも素晴らしい、と。
rewrite:2022.03.22 | 短編「致死の瞳」の続編