Cemetery

※主人公:チャーミングな何様俺様天才(自称)様な人外説のある男(諸説あり)

ドラッグレスドーナツ

▼ 高瀬準太 / ofr

自分たち以外誰もいなくなった教室でプラスドライバーを弄びながら「昨日観たやつでさぁ、これで穴開けてんのあってな」と大和が言った時点で何をされるかだいたい分かってしまった。いい?と聞いてはくるけど俺の返事などどうでもいいのだろう。その証拠に大和はもう消毒を始めていた。「動くなよ」優しく頬を撫でる手の感触と、目尻に触れる唇の柔さに心臓が高鳴る。そして大和の指が耳へと触れたと思った途端、とんでもない痛みが走った。「い"っ、ぐぅ……!」痛みと共にじくじくとした熱が侵食してくる。ぼろりと涙が落ちても大和は手を止めない。「もう少し」俺の耳朶に突き刺さっているのであろうドライバーをゆっくりゆっくり、焦らすように押し込めてくる。痛い、堪らなく痛くて、でも、「はっ、ぁ、んんっ」ぞわぞわと背中を這い上がってくる快感に声を堪えきれない。「抜くぞ?」ちゅうっと涙で濡れた目尻にまたキスをしてきた大和が囁くような声でそう言って、乱暴にドライバーを引き抜いた。泣き喘ぐ俺を「かわいい」と笑うその目には獰猛な光がちらついている。きゅうっと目を細めて赤い舌で唇を舐めるその仕草に、今度は何をされるんだろうと心臓が忙しなく動く。「結構デカいな」開いた穴に指を這わせ容赦なく爪を立て、「ん、ぁあ"、!」首筋を伝い落ちていく血をべろりと舐めあげる。何度も大和の柔らかい唇を押し付けられ、くすぐったさに身を捩ればくつりと喉の奥で笑った大和が耳朶に噛み付いた。傷口をぎりぎりと歯で抉り、舌で確かめるようになぞって、また歯を突き立てる。耐え切れず俺の肩を掴む大和の手首を握り締めると一段と噛む力が増して、そのまま噛み千切られてしまいそう。与えられる痛みの気持ちよさにいよいよ我慢出来なくなりびくびくと体が震え、あと少し、というところでぱたりと刺激が止んだ。す、と離れた大和がなんで?て顔をしている俺を見下ろしにこっと笑う。「じゃ、また明日な」鞄と上着を手にさっさと教室を出て行った背を呆然と見送る。酷い、こんな状態で放置だなんて!
rewrite:2022.02.23

ふたりという機能不全

▼ 高瀬準太 / ofr

「お前また怪我した?」三人しかいないせいか妙に静かな部室に慎吾の声が響く。見れば顔を顰めている慎吾と、練習着に着替えている準太のわき腹に出来た痛々しい青痣とミミズ腫れが目に入った。見ているだけでも痛々しいそれはまだ新しそうで、多分つい最近出来たばかりのものなのだろう。どうもここのところこいつは怪我ばかりこさえてくる。体中あちこち、いつも満身創痍といった感じで特に背中が酷いのだ。引っかき傷やミミズ腫れはだけではなく、切り傷やらどう見ても根性焼きとしか思えない火傷痕まで、一目で異常だとわかる尋常じゃない量の傷が群れを成していた。「ああ、何でもないっすよ」まただ、明らかに何でもないはずが無いのに準太はいつも至って平然とそう言う。「お前さ、そんなんつくって何でもない訳ねえだろ」もう我慢できないと慎吾が部室から出てようとする準太の腕を掴み、そのままベンチへと座らせた。「お前どうしたんだよ、最近おかしいって」「おかしいって言われても……俺は別に、」「お前のその怪我、工藤大和とかいう奴と付き合いだしてからだろ」慎吾の断定的な物言いに、そういえばと思い出した。準太に好きな子が出来たと聞いて、それが男だと驚いて、幸せそうに相手の話をする準太を見ていると応援したくなって、あれよあれよという間に二人が付き合いだして、それからだ。準太が怪我ばかりするようになったのは。「だからやめとけって言ったのに」意地でも止めればよかった、と零す慎吾に疑問が募る。「どういうことだ?」準太とよく笑っているところしか見たことがなかった俺とは違い、慎吾は色々知っているような顔をしている。「その工藤っていうの、あんま良い噂聞いたことないんすよ」良い噂を聞かないその男が準太に怪我させている、と慎吾は暗に言う。「準太、」「大和は関係ないし、別れたりしませんよ。それに練習だってちゃんと出来てるんだから別に問題ないでしょ」俺たちを睨みつけそれだけ言うと、止める間もなく準太はそのまま部室を出て行った。重たい空気の中に慎吾の後悔の言葉だけが落ちていった。
rewrite:2022.02.23

ひどくやさしい顔をして

▼ 高瀬準太 / ofr

いつものように空き教室で昼御飯をつついていると、弁当箱に入っていたミートボールを準太が物欲しそうに見てきた。「食べる?」「いいのか?」目をきらきら輝かせる準太が可愛くって仕方がない。「じゃあほら、あーん」嫌がるかと思ったが意外にも準太は素直に口を開く。何も疑っていない顔で無防備に口をあけて待っている準太がもう可愛くて可愛くて、思わずミートボールではなく指を突っ込んでしまったのも仕方が無いことだろう。「ん、ぇ?」きょとんと目を丸くして後、不安げに瞬きを繰り返す。それでも決して自分から俺の指を引き抜こうとしないのは俺の努力(躾ともいう)の賜物だろう。瞬きを繰り返し俺を窺う準太に微笑み、半端に入れていた指を奥まで差し込んでいく。舌の付け根を強く圧迫しながら更に遠慮なく奥へと指を進ませ、えずく様子にますます口角があがった。準太の顔はどんどん不安げになって、嫌な感じに喉が波打ってくる。じわじわ目に涙がたまりだしてぽとんと落ちたところで指を引き抜いた。「っぅ、え」一際大きく喉が波打ち、急いで準太は自分の手のひらで口を覆うけれどもう遅い。「わあ」つい先程食べたばかりのものたちが次々吐き出され指の隙間から溢れ落ちていく。まだ原型を保っているものもあるだけになかなか気持ち悪い。吐き続ける準太の背中を撫でさすり、さて、と息を吐いた。「落ち着いてきた?」肩で息をする準太にそう声をかけ、顔を覗き込みティッシュで口元をふいてやる。あ~めちゃめちゃ泣いてる、かわいい。濡れて光る目が不安と困惑にゆらゆら揺れている。「じゃあ準太、“お片付け”しような」吐いた物を指して笑う俺の意図をしっかり理解したのだろう、準太は絶望的な顔をしている。「ほら、もったいないだろ準太。折角ママが作ってくれたんだから」「大和さん、あの、」「準太なら出来るよな?」何か言いたげに開かれた口は結局閉ざされ、代わりにまた涙が落ちる。準太は吐瀉物の前に膝をついて、身を屈めた。ああ、ほんと、「いい子だな、準太」
rewrite:2022.02.23

折り目を合わせてただしい生活

▼ 島崎慎吾 / ofr

文化祭で俺のクラスはコスプレ喫茶をやることになり、ホールもキッチンもやらない(やれない)俺は同じく役に立たない和己と共にせっせと看板作りに徹していた。「どうよ」顔面力の高い大和は当然ホール担当になったらしく、衣装合わせの今日、出来上がったものを見せにきてくれた。「似合うだろ」本物みたいな軍服に身を包んだ大和が床で作業をしていた俺を見下ろしている。誰が選んだのかは知らないが大和にこれをチョイスしたセンスは天才的だ。頭から爪先まで完璧な出で立ちの大和にクラスメイト達は歓声をあげ、俺も心の中でそれはもう大歓声をあげた。「似合ってるな」なるべく普通に見えるよう笑えば、大和は不愉快そうに眉を寄せ鼻を鳴らした。「違うだろ、慎吾」磨き上げられた硬そうな革靴がどん、と俺の肩を蹴りつける。唖然とした顔で俺たちを見るクラスメイトなどお構い無しに大和は倒れ込んだ俺に二発目を叩き込んだ。硬い革靴が思いっきり脇腹にめり込んで咳き込む俺を、大和は詰まらなさそうな、冷ややかな目で見下ろしている。ああすごい、やばいかも、どうしようもなくゾクゾクする。そうして全部見透かしている大和は底意地の悪そうな最高に俺好みの笑みを見せ、肉食獣みたいに舌舐めずりして、「ほら慎吾、なんて言うんだっけ?」と股間を踏みつけてきた。痛くて、でも痛いだけじゃない力加減に半分勃ちかけていたのがますます元気になってしまう。変態、と大和はひどく楽しげに言い、踏む力を強めた。「ぐぅ、っ!」「あは、イイ顔だな」うっとりするくらい甘い笑顔で、大和は痛みに酔う俺の顎をがつんと蹴り上げた。その拍子に舌を噛んだのだろう、口内に広がる血の味に顔を顰めれば滅茶苦茶に引いた顔の和己が視界に入った。うっかり忘れてたけどここ教室じゃん?「慎吾、お前……」とかなんとか言ってるクラスメイトにああやっちまった、と思うけれど、大和が楽しそうだし何がとは言わないが色々大っぴらに出来るから。まあいいか、なんて。
rewrite:2022.02.23

よくある朝に目が覚める

▼ 松野カラ松 / osmt

俺は多分、大和が好きだった。いや、多分ではない、俺は大和が好きだ。それは今でも変わらなくて、だから忘れられないのだ。春夏秋冬を幾度も巡り、どんどんと淡く褪せていく記憶の中でも彼だけは、ハッとする程眩い鮮やかな笑みを浮かべている。見る者の心を一瞬で奪い去ってしまうようなあの笑みは、俺の知る限りいつだって俺にだけ向けられていた。大和は分かりやす過ぎるほどに俺を特別扱いしていて、けれど愚かな俺はそれに気付くことはなかったのだ。こうして彼と離れ思い出を振り返って初めて、彼が俺を、俺だけを特別視していたのだということを知った。そうしてその時、自分が彼に抱いていた感情もまた、知ったのだ。大和が傍にいるとひどく心地が良くて落ち着くけれど、同時に胸がざわついた。彼が誰かと親しげにしていると胸に小さな空洞があるような寒さを覚えていた。深く考えることはなかったそれは、彼が俺に向けていたものときっと同種のものだ。そのことに気付いたときのあの遣り切れなさ。もしあの時、大和が隣にいたときにそのことに気付いて、そうして俺も自分の気持ちに少しでも気付いていれば今もここに彼はいたのかもしれない。ここにいて、あの鮮烈な色を放つ笑みを時折浮かべていたかもしれない。そう思うと悔やんでも悔やみきれない。彼は一体どんな思いで俺の隣にいたのだろう。自分の感情にも彼の感情にも何一つ気付くことのなかった俺を、彼はどんな思いで見ていたのだろう。大和は何も言わなかった。思ったことはすぐに躊躇いなく吐き出していた彼が最後まで言葉にすることはなかったのを考えると、堪らなくなる。きっと彼は、俺が自分自身で己の感情に気付くのを待っていたのだ。俺の意志で自分を選んでほしかったのだろう。頭の天辺から爪先まで、何もかもを自分のものにするために。大和はそういう男だった。だが俺は、彼が何度も与えた全てのチャンスを逃したのだ。俺はもう、彼がどこで何をしているのかも知らない。やっと気付いたというのに。
rewrite:2022.02.23 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「春夏秋冬・記憶・爪先」

余所行きの旅

▼ 松野一松 / osmt

それらしい理由をつけて学校を抜け出し、街へと走る電車に乗るため、駅に向かうバスに乗り込んだ。窓の外を流れていく風景を見る大和の手を強く握るとぴくりと反応し、緩やかに笑う。心底幸福そうな、幼子の如きその反応はかつての彼からは考えられもしなかった。それがなんだか悲しくて寂しくて、胸の奥がじりじりと淡く痛む。「一松、見て、もう着く」閑散としていた景色の中にぽつりと寂れた駅舎が見え始める。バスはゆっくりと駅へ近づき、停まった。「下りよう、大和」きょろきょろとあたりを物珍しげに見る大和の手を引き立ち上がり、バスを降りる。「どこに行くんだ?」「俺の家だよ」「一松の?」「そ、今からなら皆いるだろうし」「ふうん……」大和は俺の家族が大好きだった。それこそ自分の家族のように思っていたのだ。でももう、そんなこと彼には分からない。今の彼は俺のこと以外は何も分からないのだ。あの狭くて不自由な箱庭で彼は壊されてしまった。強くて、けれど人一倍脆かった彼はそこに渦巻いく悪意に殺されたのだ。「大和、危ないからもう少し下がってて」白線を越えた場所に立ち線路を見下ろす大和が怖くてその手を引いたけれど、彼は来ない。それどころか彼はふらりと線路の上へ下りてしまった。「大和っ」思わず叫ぼうとした言葉は、こっちを向いたその目に消えた。「なあ一松」不安定に瞳を揺らめかせ、どこかぼんやりとした顔をする彼にあの日を思い出してしまう。遠くで警報機の音が聞こえる。学校の近くの遮断機が下りたのだ。「大和、早く上がれ!」ほら、と手を差し伸べても大和は来ない。「なあ、」俺の好きだった甘やかな笑顔を浮かべ静かに口を開くのは、かつての彼だ。時間が戻ったようなその光景につられるように笑みを浮かべかけ、緩やかな弧を描くその目が笑っていないことに気付いた。「お前も、」大和は怒っていた。俺が来ないことに怒っているのだ。「一松も俺を、殺すんだろう」俺がどれだけ言葉を尽くしても、結局そこには行かないし行こうとしないことを知っているのだ。それに彼は酷く怒っている。「お前も嘘ばっかりだ」電車が来る。
rewrite:2022.02.23 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「理由・不自由・幸福」

すべて運命のせいにして

▼ 松野おそ松 / osmt
※全然活かせてないマフィア松


野生動物のようにしなやかで鮮やかなその身のこなしは敵ながら天晴れで、思わず見惚れてしまうほどであった。目の前で部下共がどんどんただの挽肉と変わっていくというのに、俺は目の前で踊り笑う男から目を逸らせず何も出来ない。熱を帯びギラリと光る青緑の瞳は愉悦で歪んでいるのに、どこか夢みる少女めいている。矛盾を多く抱えた男だ、それがまた途方もなく暴力的なまでに魅惑的で、ごくりと喉が鳴った。あの男がほしい。何を差し出してもいいから、あの男が欲しい。最後の肉からゆらりと離れ返り血塗れの顔を乱雑に服の袖で拭った男はまた笑った。幼子のように無邪気で、聖母のように慈しみに溢れ、悪魔のようにいやらしい、ゾッとするほど鮮烈な笑みが俺を捕らえる。握り締めたままの銃を構えるには体が重くていうことをきかない。「ああ、やっぱりいいなぁお前」どろりとした低い声がずるりと這入り込む。目の前まで来た男が両手の武器を投げ捨て、勢いよく腕を伸ばしてくる。あ、と思う間に俺は男の腕の中に抱きこまれていた。「全部捨てて俺のとこに来いよ」耳元で吹き込むように囁かれ、「なあ、おそ松」ぞくりと頭の天辺から爪先まで甘い痺れが駆け抜けた。ただ名前を呼ばれただけ、それだけだ。それだけなのに体に力が入らない。震えた息を吐くことしか出来ない俺に男はくつくつと喉で笑って、そうっと少しだけ体を離した。きっと俺は惚けたような酷い顔をしているだろうに男の目はまるで宝石か何かでも見るようだ。「ね、もし一緒に来てくれるなら、俺の名前、呼んで」背に回されていた手の片方が、するすると腰から胸へと移動し、頬に当てられた。何かを擦り込むように親指が何度も唇をなぞる。「呼んで、大和、て」甘く掠れた声がじくじくとした快楽に似た痺れを与えてくるもんだから、たまらない。ああ、もう、いいんじゃないの?だって、俺だってこの男が欲しいのだ。こんなもの全て捨てちまっても、全然構いやしないんじゃないの?「……大和、お前を俺に頂戴」がしゃんと俺の手から滑り落ちた銃の音が合図だった。
rewrite:2022.02.23 | 他兄弟もきっと陥落していく。昔みた夢を元に。

悲しくならない

▼ 市原豊 / ofr

三回戦目の相手である西浦高校との試合で崎玉はコールド負けした。らしい。試合から帰って来た豊が、俺の家までやってきてそう言った。まあ、だからなんだっていう話だ。俺は別段野球に興味があるわけではないし、うちの高校が勝とうが負けようがどうでもいい。それが豊にとっては大切なことでも。「ふうん」全く興味を示していない相槌に豊は少し困ったようにもごもごと口を動かした後俯いた。お前は頑張ったよとか言ってほしかったのだろうか。だが残念ながら俺は試合を見ていないから豊がどう頑張ったのか、そもそも頑張ったのかどうかすら知らないし、そもそも慰めるとかそういうことは得意じゃない。豊は少し居心地悪そうにもぞもぞしながら、時折俺を見やる。面倒くさいし、なんだか無駄なことに時間を取られているような気がして無性に苛々してきてしまう。「あー、イラついてきた」俺はまあストレスは溜めたくないタイプだし、他人を殴り飛ばすことに何の躊躇いもないので取り合えず苛立ちの原因を強く殴りつけることにした。ごつ、という硬い感触に口の中が切れただろうことが分かる。豊は勢いのままに床に頭をぶつけ、なかなか痛そうな音を響かせた。何が起こったのかと目を白黒させ俺を見上げる豊の上に馬乗りになり、見下ろすとぐっと豊の眉間に皺がよる。「何すんだよ!」ようやく理解した豊が俺を睨み上げる。生意気な目つきが気に障ってもう一度殴ってやろうかと拳を握ったところで、豊の湿布が張られた肘が目に入った。これはあれだ、名前は憶えていないけれど豊の決め球の副作用的なものだ。何度か試合終わりにこうなっているのは見たことがある。「いっ、!?」二の腕辺りを掴み、押し倒すようにその肘をフローリングに強く押し付けるとびくんと豊の体が跳ねた。必死に痛みを耐えているぎゅうっと閉じられた目、震える睫毛と漏れるが息がなんともいじらしくて可愛らしく思える。ぐり、と押し付けたまま動かせば涙が滲んだ。「あは、豊ちゃんかわいい」いっつもこういう顔してたらいいのに。
rewrite:2022.02.24

遠ざかる夜の遊園地

▼ 松野一松 / osmt

この世には出会ってはいけない人間同士というものが存在するのだとその日僕は知った。僕の五人いる兄の一人である松野一松とあの男は、きっと出会ってはいけなかったのだ。赤く身を染めた兄はひどく幸せそうで、そんな顔はもしかすると初めて見たんじゃないかと思ってしまうほど満ち足りていて、ぞっとする。兄に寄り添う男もただ眠っているだけなのではと思うくらい穏やかな顔をしていて、自分の中で何かが暴れてしまいそうで見ていられなかった。どうしてこうなったのだろう。一昨日の夜、いつにも増してご機嫌な様子の一松兄さんは「明日大和と出掛けてくる、多分帰らない」と母さんに言っていた。大和と一松兄さんは高校で出会って以来ずっと仲良くしていて、彼は一松兄さんの唯一といっていい人間の友達だ。僕も何度か遊んだことがある。一緒にいて楽しいし面白い人だけど、僕はなんとなく大和が苦手だった。あの瞳が僕には妙に恐ろしかったのだ。自信に満ちた力強い真っ直ぐな眼差しは、じっと見ているとだんだん底知れぬ沼に引き摺り込まれていくような感覚を抱かせてくる。全然そんな感じは無いのに、頭がおかしくなりそうな、泣いて喚いて許しを請いたくなる、そんな気が何故だかしてくるようで僕は苦手だった。一松兄さんと大和は度々泊りがけで何処かに遊びに行くことがあって、昨日もそうだった。昨日の朝、朝御飯も程ほどに「いってきます」と珍しくちょっと笑って僕たちに言った一松兄さんを、僕たちは朝御飯を必死に奪い合いながら見送って、それが最期だった。帰らないってそういうことだったの、いってきますってどういう気持ちで言ったの。聞きたいことは沢山あるのに答えてくれる人間はもういないのだ。しっかりと繋がれた二人の手と『来世で幸せになります』という紙切れの意味も理解できないし、わざわざ時間指定までして僕たちをここに呼び出した意味も分からない。理解したくない。がたがた壊れたように震える僕の後ろで、兄さんたちの叫び声と泣き声が聞こえる。皆が泣いてる中で、一松兄さんと男だけが静かに微笑んでいた。
rewrite:2022.02.24

あなたのうたひびくところ

▼ 松野カラ松 / osmt

上から降り注ぐ鈍器に目が覚めてしまった。乱れた息を整え寝返りを打てば、隣で眠る大和が見える。カーテンのわずかな隙間から入る月明りでほんのりと白く浮かぶその顔は、何かいい夢でもみているのか少しばかり綻んでいた。緩やかにカーブを描く眉と、ちょっとだけあがった口角の無防備さに胸がきゅっと苦しくなる。この人のこんな姿を知っているのは、きっとこの世で俺だけだ。誰の前でも隙をみせないその心をふんわりと柔くして差し出してくれる大和がたまらなく愛おしくなって、そのまろやかな頬をそっと撫ぜた。その感触に夢から引き揚げられたのか、一瞬眉間に皺が寄り、ふるりと濃ゆい睫毛が震える。それからゆったりと重そうな瞼が持ち上がり、鮮やかで眩い宝石が姿を現すのだ。「ん~……?なあに、どしたのカラ松……」俺にだけ向けられるとびっきり甘くて優しい声は少し掠れ滲んでいる。半分ほどしか姿の見えない瞳もうるうると煌めき揺らめいていた。「こわい夢でもみたか?」「……うん」「ん……ほら、こっちおいで」俺を迎え入れるように腕は布団を持ち上げ、広げられる。いそいそとその隙間に体をねじ込み、温かい彼の体に腕を回してぎゅうっと抱きついた。くすくすと小さな笑い声が耳元で聞こえ、それからすぐに抱き締め返される。薄いTシャツ越しの体温と心音が心地よく、そこでようやく俺は再びゆっくりと眠りへの階段を下りてゆける。とろとろと微睡んでいく俺の頭を撫でた彼の微かに笑った吐息が額に触れ、そのすぐあと、柔らかなものが押し付けられた。きっとあのおまじないだ。大和は俺が嫌な夢をみたり、嫌なことがあって落ち込んでいたり、悲しいことがあって泣いていると、額にそっとキスをしてくれる。それは俺が幸せになれるように、とたくさんの愛がこめられたとびっきりのおまじないだ。大和にしかかけられないそのおまじないがいつも俺を守り、生かすのだ。「おやすみカラ松」子守歌のようなその囁きを最後に、俺はとっぷりと夢へ沈む。
rewrite:2022.02.24