rewrite:2021.12.12
いま声も出ない
きっちりと固定された左手に冷や汗が止まらない。異常な現状に明滅する視界に映る彼の目はどこまでも本気だ。薫、と彼の名を呼んだ声は笑えるほど震えていたけれどそれを笑う人間はここにはいないし、笑えるような状況でもない。「なあに?」氷嚢を俺の小指の付け根に押し当てる彼の右手には肉切包丁が出番を待ち望んでぎらぎらと光っていた。「やめてほしいの?」氷よりもひやりとした言葉の感触に零しかけた声を呑みこんだ。黙り込む俺を見下ろす瞳には情など欠片も無い。「何されても良いって言ったの、征十郎くんなのに」す、と逸らされ伏せられた睫毛が泣き出す前兆のように微かに震えていた。惚れた弱みか否か、彼の泣き顔は俺にとってどうしようもない弱点だ。彼の涙は心を強く揺さぶってきて、どんなことをされても泣きながら謝られてしまうと許さなくてはという思いに駆られてしまう。抱き締めて背を撫で、泣かないでくれと落ちる涙を拭わなくてはと思わされるのだ、理不尽な仕打ちを受けた直後だとしても。「やっぱりあの子がすき……?」囁くような声の弱弱しさとは反対に氷嚢を押し付ける力が強くなる。涙で潤んだその目の奥が暗く光っていた。「誤解だ薫、何回も言ってるだろう」「言葉なんて信じられないって言ったのは征十郎くんだよ。どうする?やめてもいいけど、どうなっても知らないからね」目を細め、ゆったりと笑みを浮かべた彼に背筋が冷える。このままだと確実に死あるのみ。死ぬよりも小指を失くしたほうがまだずっといい、この身をずたずたにするよりはよっぽど。いくら謝罪しようが何をしようが彼は絶対に許さないだろう。約束という名の絶対命令に意図せずとも背いたのは俺だ。その罪の対価に小指一本切り落とすことになるとは思いもしなかったし、今でもまだ何かの冗談じゃないかとどこかで思っているけれどどこにも冗談の空気は見当たらない。彼に執行猶予という概念があれば良かったのに。「いいよ、やってくれ。俺は君のものだから」もう清く全てを諦め失血死ないしショック死しないことを祈るしかない。さて、この指の言い訳はどうしよう。
いい加減になる指先
先日知人の葬式があったのだが、どうやら俺はそこで妙なものを引っ付けてきてしまったらしい。「あ、おかえり。今日は遅かったね」テレビの前のソファに三角座りした浴衣姿の少年が、戸口に立った俺を見て笑った。妙なものというのはこれだ。俺は結婚もしていなければ当然子供もいない。現在ルームシェアなんぞしていない一人暮らしだし、友人が泊まりに来ているわけでもない。よってこの家には俺しかいないわけで、不法侵入でもなければ人がいるわけがないのだ。だがしかし、「ねえケーキ買ってきてくれた?」いるのだ。そう、つまり幽霊ってやつである。「……ああ」このおそらく十四、五歳と思われる少年は、先日の葬式から帰ると何故か我が物顔でソファの一角を陣取っていたのだ。おかえり、とまるでここが自宅のように振舞われたあの日の俺の気持ちが理解出来るだろうか。いつも室内は妙に寒い上に薄暗いし、少しでも機嫌を損ねればここはシベリアかと思う程の極寒にされ、引っ越しや除霊を行おうとすればホラー映画も真っ青な刃物オンリーのポルターガイストを起こされる。そんな俺の気持ちが理解出来るだろうか。「美味しい!」それでもこれが座敷童子だというならばまだ耐えるが、これはそんなものではなく、その辺のよりちょっと力がある上に少々性質の悪いただの幽霊なのだ。ぱくぱくと買ってきたケーキを食べる(一体あのケーキはどこへいっているのだろうか)幽霊を横目に、今しがた淹れたコーヒーを一杯呷る。これをなんとかできないだろうかと悶々と考えたところで、ふと以前昔のチームメイトが言っていた『霊にはファブリーズなのだよ』という言葉を思い出した。やるだけやってみようかな、とファブリーズを取り極々自然な動作で吹き付けた。「ちょっとなに!?今ケーキ食べてるのに!」むしろ逆効果だったんですけど。降り注ぐ刃物を避けながら、一体こんな毎日はいつまで続くのだろうと痛む頭で溜め息を吐いた。
rewrite:2021.12.12
混ざり合って群青
時折ふっと身体が軽くなる。屋上から飛んだようにふわりと、崖の上から滑り落ちたように不意に、浮くのだ。そういう時はいつもとても大きな不安と孤独を感じる。この広い世界に自分たった一人だけになった気分になる。どうせこの世で人は一人きりで生きていくのだとどこかの誰かが言っていたけれど、それはあまりにも寂しいと思うのだ。僕はどうしたってひとりでなんて生きていけない。誰かが足枷となってここに繋ぎ止めておいてくれないと、僕は駄目なのだ。じゃないと本当にふらりと落下して消えてしまいそうで、怖くなる。ふわりと足が浮く。嗚呼、僕をここに繋ぎ止めてくれるものは今はなく、ただ軽くなった身体が浮いていく。怖くて寒くて、目を閉じた。薄れた聴覚が何かの音を拾い上げる。と、次の瞬間にはぐっと痛いほどの力でキツく手首を握り締められていた。急に身体が重みを持って地に落ち、冷たく硬いものを背中に感じて目を開けた。「大丈夫か」覗き込む赤い瞳に頷き、ゆっくりと息を吐いた。僕の枷となってくれるただひとりの人。温かな手が滑って、手首から手のひらへと握る場所を移す。確かな感触と温度になんだか無性に泣きたくなって、強く目を閉じた。小さく息を吐くような音と共にさらりと手が離れ、優しいにおいが身を包む。「薫はちゃんと、ここにいるよ」背中に回された腕が宥めるように背を叩く。耳をつけた彼の胸から心臓の音が聞こえて涙が溢れた。渦巻いていた不安と孤独がさらさらと崩れ流れていく。「俺もここにいるから、何も怖がらなくていい」怖がることなど何一つないと囁いて強く抱き締めてくれる。この瞬間を迎えるたびに、僕はいつも夢見てしまうのだ。いつか彼がこの世から消えてしまうまでずっと傍にいて、繋いでいてくれるのではないかと。彼がいなくなったらきっと、僕は飛んで消えてしまうのだろう。嗚呼、と僕は思うのだ。嗚呼どうか、このまま不幸など訪れませんように、と。
rewrite:2021.12.12
愛してるを傷にしたい
すき、と薫が度々音にするそれはどんな言葉よりもじんわりと俺の中に沁み込んで、ほろほろほどけて全身を巡ってあたためてくれる。けれど言葉を口にした薫は俺とは反対に、いつもどこか苦し気な顔した。どうしてか尋ねても彼は何でもないとしか答えてくれなかったけれど今なら、あの時よりもずっとお互いを知った今ならばきちんと答えてくれるような気がして沈む瞳を覗き込んだ。「どうしてそんな顔をするんだい」すっかり冷たくなってしまった頬を手のひらで包めば少しずつ熱が移って、じんわりと彼の柔らかな頬があたたかくなっていく。「……嫌いにならない?」「ならないよ」「本当に?」「本当に」数度瞬いてから彼はゆっくりと口を開く。「すきって言うと、その度思うの」不安げな顔をしているのにその声は突き刺さるようだった。一切ぶれることのない強い力を持ったそれはよく研がれた刃物に似ている。「征十郎くんの耳を切り落として、塞いでしまいたいって」僕の声が最後になって残ればいいのにっていつも思う。僕があなたの最後になればいいのにって。だから本当は瞼も縫い付けてしまいたい、最後に見るのは僕だけでいいから。「ねえ、嫌いになった?」そう問う薫の声は打って変わって震えて掠れていた。泣きそうなその顔を見て嫌いになった、なんて言えるわけがない。惚れた欲目かはたまた弱みか、彼の重苦しいほどの愛もそれだけ想われている、と感じてしまう。「なってないよ」「本当?」「本当」むしろ君がそこまでこんな俺を好いてくれていて嬉しい。そう言えば、彼はとびっきりの笑顔を見せてくれた。「じゃああのね、約束して」可愛い彼の願いに何も考えずに頷いたこの時の俺をぼこぼこに殴ってやりたい。「僕以外の人を見ないで」僕以外の人に話しかけないで、僕以外の人に触れないで、僕以外の人のこと、考えたりしないで、「破ったら、殺してやる」弓なりになった目の底冷えする光に冗談だろうと笑えなくなり血の気が引いた。それだけ想われているだなんて暢気に喜んだの少し前の自分に今すぐ逃げろと伝えたい。これは、そんな生温いものじゃないぞ。
rewrite:2021.12.16
加速していく運命によせて
早朝の電車は人が少なくて静かで、どこか遠い、違う場所に連れて行ってくれそうな雰囲気を纏っている。ひんやりとした空気もどことなく柔らかく些細なものが綺麗に見えて、綺麗なものがより美しく見えるこの時間の電車が最近の僕のお気に入りだった。耳元で鳴る大好きな音楽がほんのりと景色を色付ける。人がいないというのは本当に良い。静かで、知らない世界にいる気分にさせてくれ、いつもの喧騒を忘れさせてくれる。シートの端に腰掛け、ぼうっと動き出した風景を少し眺めてから読みかけだった本を読もうと鞄を開けた。手繰り寄せた固い表紙をぱらりと捲れば、今度は違ったときめきが別の世界へと連れて行ってくれる。『次は――』音の合間を縫って聞こえてきたアナウンスにああもうここまで来てしまった、と顔をあげた。いつだって好ましいと思う時間が過ぎるのは早い。この時間ここから見えるものは全てこんなに綺麗なのに、どうしてここから降りると何もかも汚く見えてしまうのだろう。蘇る喧騒に目を伏せたとき、横から強い視線を感じて瞼を持ち上げた。「あ……」ぽとりと意味のない母音がこぼれる。なんて、なんて綺麗な人なのだろう。淡い光に透けた赤い髪がきらきらと輝き、それを受けて同じ赤い瞳が深い輝きを放っている。彼を包む不思議な雰囲気が神秘的な空気を作り上げていて、ほうっと溜め息がもれた。ひとつ空けた隣の座席から僕を見つめていたその人がふっと柔らかく微笑んだ。長い睫毛が弓なりになった瞳を優しく煙らせ、強い輝きを淡いものへと変える。その途端、世界がきらきらと鮮やかに輝きだした。「何の本を読んでるんだい?」硝子みたいに硬質で、でも優しい甘さを含んだ声が音の隙間を縫って飛び越えてくる。そ、とイヤホンを外して本のタイトルを口にすれば、ああと知っているように彼は頷いた。次いでその作者ならあの本が俺は好きだよ、と柔く笑んだまま続ける。「いつも楽しそうに読んでるから、何を読んでるのかずっと気になってたんだ」良かったら少しだけ話をしないかい。
rewrite:2021.12.16
あの日破いた続きをしよう
春休み、突然京都までやって来た彼はこれまた唐突に海に行こうと言った。午後の柔らかな日が差し込む車両内に人はまばらで、間延びした空気に満ちている。電車に乗ったきり口を開かない彼を見れば静かに外を眺めていた。随分と久しぶりに近くで見る彼の横顔に、さわりと小さく胸が騒ぐ。彼とは中学生の頃、恐らく恋仲と呼ばれるような関係にあった。まだ今よりもずっと子供でただ傷つけ合うだけのような拙いあれを、恋愛と呼べるかどうかも怪しいものだけれど、僕は確かに彼を好いていた。その姿を見つめるだけで心が浮き立って目が合う度に焦がれ、触れ合うと途端に酷く貪欲になっていくあの感覚と、独り善がりと言ってしまえるほど身勝手な感情を思い出すと指の端がじわりと焼かれるような痛みを感じる。春の光に縁取られた彼の淡く輝く輪郭に、かつての記憶が蘇って来た。そして思う。きちんとした言葉も交わさずに離れ離れになった僕らの今の関係は、一体何なのだろうかと。どうして彼は、僕のところへ来たのだろう。テツヤと同じ学校に通っている彼は、あの冬の試合を観に来ていた。どういうつもりでそこにいたのか僕には想像もつかない。ただテツヤたちを応援に来ただけなのかもしれない、けれど僕はどこかで期待していた。今もしている。「見て、海」そっと柔らかい声が降る。立ち上がり歩く彼の背を追い、降り立つ。潮の匂いに幼子のように瞳を輝かせ真っ直ぐ海へと駆けていく背はあまりにも眩しく、少し息苦しくなる。声を掛けようとして、一瞬、彼の名前を呼んでもいいのだろうかと躊躇う。そうして何も言えない僕をふいに彼が振り返り見た。傾き始めた日の薄い橙を背負って、彼が目を細める。「あっちに洞窟があるんだって。一緒に行こう、征十郎」変わらない柔らかな笑みと、優しい響き。息が詰まった。ああ、と小さく息を吐く。「ねえ、薫」「なに?」「綺麗だね」輝く海に彼は笑った。「そうだね」彼の隣で見る景色は、きっといつだってこんな風に、美しいのだろう。
rewrite:2021.12.22
背徳を煮詰めて
※教師パロのようなもの
カーテンが引かれ電気の消された室内は薄暗く、しかしまだ昼間だということもあり不自然な明るさがあった。少しだけ捲り上げたカーテンの下から生徒たちで賑わう南校舎を眺める。騒がしそうなあちらとは正反対にこの北校舎は静かだ。特別教室しかないここは授業以外ではほとんど人が来ない上に、校内で飛び交う霊の噂がここから人を遠ざけるのだ。小さなノックの音にカーテンから手を離した。「はい」そっと窺うようにドアが押し開けられ待ち望んでいた顔がのぞく。少しだけ不安げに下がった眉。入る許可を求めるような眼差しに笑みが零れた。「おいで、薫」椅子に腰かけ呼べば、そうっとドアを閉め錠を落とした彼が嬉しそうに近付いてきた。しかし一定の距離を保ち立ち止まり、じっと見つめてくる様は主人の許しを待つ犬のようで堪らなく可愛らしい。手招くと素直に近寄ってきてくれるされるがままな彼の手を引き、いつものように膝に乗せた。いい加減に慣れても良いのに、柔い頬は真っ赤に染まっている。「薫、こっち向いて」きっちりと結ばれたネクタイに指をかけながら背を撫でて顔を覗き込めば、薄い水の膜が張った彼の目が羞恥と熱とほんの少しの怯えに揺らめいていた。「大丈夫だよ、ここには誰も来ない」人が近寄らない北校舎の、更に奥まった場所にあるこの物置と化した部屋は火事でも起きない限り誰も来ない。だから選んだのだ、彼と会うにはもってこいの場所だから。「でも、先生……」「薫は心配性だね。一体誰がこんなところに人がいるだなんて思う?誰も思わないよ」結び目にかけた指に力を込めするりと解く。あ、と小さく声をあげた唇を舐めあげてしまえばもう彼は何もかも投げ出してしまうのだ。「せんせ、すき」熱に浮かされたような、けれど酷く泣いてしまいそうな切羽詰まったその声に、俺はいつもどうしようもないほどの悦びを感じてしまう。「俺もだよ、薫」苦しそうに眉を下げた彼の頬を安心させるように撫でれば、途端にとろりと蕩ける。そうして零れだす甘く爛れたものに俺たちは揃って溺れていくのだ。
カーテンが引かれ電気の消された室内は薄暗く、しかしまだ昼間だということもあり不自然な明るさがあった。少しだけ捲り上げたカーテンの下から生徒たちで賑わう南校舎を眺める。騒がしそうなあちらとは正反対にこの北校舎は静かだ。特別教室しかないここは授業以外ではほとんど人が来ない上に、校内で飛び交う霊の噂がここから人を遠ざけるのだ。小さなノックの音にカーテンから手を離した。「はい」そっと窺うようにドアが押し開けられ待ち望んでいた顔がのぞく。少しだけ不安げに下がった眉。入る許可を求めるような眼差しに笑みが零れた。「おいで、薫」椅子に腰かけ呼べば、そうっとドアを閉め錠を落とした彼が嬉しそうに近付いてきた。しかし一定の距離を保ち立ち止まり、じっと見つめてくる様は主人の許しを待つ犬のようで堪らなく可愛らしい。手招くと素直に近寄ってきてくれるされるがままな彼の手を引き、いつものように膝に乗せた。いい加減に慣れても良いのに、柔い頬は真っ赤に染まっている。「薫、こっち向いて」きっちりと結ばれたネクタイに指をかけながら背を撫でて顔を覗き込めば、薄い水の膜が張った彼の目が羞恥と熱とほんの少しの怯えに揺らめいていた。「大丈夫だよ、ここには誰も来ない」人が近寄らない北校舎の、更に奥まった場所にあるこの物置と化した部屋は火事でも起きない限り誰も来ない。だから選んだのだ、彼と会うにはもってこいの場所だから。「でも、先生……」「薫は心配性だね。一体誰がこんなところに人がいるだなんて思う?誰も思わないよ」結び目にかけた指に力を込めするりと解く。あ、と小さく声をあげた唇を舐めあげてしまえばもう彼は何もかも投げ出してしまうのだ。「せんせ、すき」熱に浮かされたような、けれど酷く泣いてしまいそうな切羽詰まったその声に、俺はいつもどうしようもないほどの悦びを感じてしまう。「俺もだよ、薫」苦しそうに眉を下げた彼の頬を安心させるように撫でれば、途端にとろりと蕩ける。そうして零れだす甘く爛れたものに俺たちは揃って溺れていくのだ。
rewrite:2021.12.22
おさない恋の殻を割る
その焼却炉には様々なものが投げ込まれる。食べ物の袋やチリ紙といった只のゴミだけではなく、かつての友との思い出の品、悩みぬかれて書かれた恋文、想いの詰まったプレゼント、憎き恋敵の私物エトセトラエトセトラ。物だけじゃない。友との決別の記憶や叶うことのなかった淡い初恋の記憶、選ばれなかった者の哀れな記憶、暗く湿った惨めな記憶、忘れ去り埋めてしまいたい思い出達もまた、この焼却炉に投げ込まれるのである。これは墓場だ。毎度決まった時間に開かれる少年少女たちの墓場。「またこんなところにいたのか」まだ火の灯っていない焼却炉には既に多くのものが投げ込まれていた。誰かの靴、可愛らしくラッピングされたプレゼント、手紙、ぬいぐるみのストラップ等々。「やあ赤司くん。君も何か捨てに来たの?」赤い髪が風に揺れますます炎めいて見える。「いや、お前に会いに来ただけだよ」ゆらゆら髪と同じ赤い双眸を揺らし美しい微笑みを浮かべた彼は、僕越しに焼却炉を見やった。特に何の興味もなさそうな目で哀れなモノ共を見、息を吐く。「薫、今日は一体何を捨てたんだい?」少しだけ意地の悪そうな色を過ぎらせ、彼は口元を歪めた。「さあ、何のこと?僕は何かを捨てたことなんてないけど?」お道化るように大袈裟に肩を竦めて見せれば彼はふん、と鼻を鳴らし歩み寄って来る。僕の脇を通り抜け、焼却炉の目の前までやってくると少しだけ身を屈め覗き込んだ。「俺はお前が何かを捨てないところなど見たことがないぞ?ああ、これかな、今日のは」すっと彼の白い手が拾い上げたのは淡い桃色に煌めく硝子玉だ。くっと喉の奥で何かが詰まった。「駄目じゃないか、これは大切なものだろう?」今度はハッキリと意地の悪い目だ。自分の顔が歪むのがわかった。「……お前なんか大嫌いだ」美しく煌めき様々な場面を映し出す硝子玉に心臓がきりきりと痛んだ。「俺は大好きだよ」だからほら、ちゃんと持っていて、と彼は僕が捨てた恋心をもう一度差し出した。
rewrite:2021.12.22
四足歩行の思考
赤司くんってカッコいいよね、あーわかるわかる、ていうぐだぐだ始まったその会話内容はもう聞き飽きたものだ。「やんなっちゃう」彼が人気者なのはずうっと前からのことだし、それは承知していたことだけれど僕は自分が思っていた以上に独占欲が強くて忍耐力がない。全中二連覇を達成してまた人気があがったようで、いよいよ僕は限界らしいのだ。いらいらしちゃって甘いものを食べても全然ダメで、これはいけないと彼にさり気なく僕以外に優しくしないで、なんて言ってみてもぜーんぜんダメなのだ。「ねえ、征十郎くん」本を読み耽る彼の肩に凭れ掛かる。久しぶりに部活が休みだっていうのに、彼は本を読んでばかりでいやになる。「どうした?」やっと本から顔をあげた彼は優しく目を細めて僕を撫でる。真っ赤な瞳がきらきらしていて、苺のキャンディのようだった。「あ、わかった」「え?」「征十郎くん、あのね、だいすき」とびっきりの笑顔で言えば、彼もとびっきり甘くてお菓子みたいな笑みをくれる。「僕もだよ、薫」するすると頬を撫でる、ひんやりした砂糖菓子みたいな白い指がゆっくり滑って唇に触れる。少し顔を動かすだけでいい、がぶり。びっくりした顔をする彼ににんまり笑って、くっきり歯型がついただろう指を離す。どんっと体を押し倒して馬乗りになればあともう少し、火事場の馬鹿力なんて笑いながらぎりぎり力を込めて、「すきだよ、だいすき」くったりと動かなくなった彼に笑みを深めた。一体どんな味がするんだろう、きっと甘いだろう。キッチンから包丁とスプーンを取ってきて、ぱちりと手を合わせた。「いただきまあす」力加減が良く分からず結構深くぱっくり口を開けた腕に唇をつけ、ちゅるりと啜る。とろりと溶けるような味わいに自然と笑みがこぼれた。やっぱり甘くって美味しい。少し苦いような、鉄っぽい味もするけれど、たっぷりお砂糖を混ぜてゼリーになんてしてみたらとっても美味しいだろう。うっとりしながらスプーンを握り、苺のキャンディに手を伸ばした。
rewrite:2021.12.22 | BGM:キャンディアディクトフルコォス / マチゲリータP
絡まりたゆたう花片の下
※大正ロマン(??????)的雰囲気パロ
そ、と触れた唇の柔らかさ。恐る恐る撫でた頬の温度、長い睫毛の描く陰影。深く煌めく赤き双眸、白磁の肌、燃ゆる赤毛と麗しき微笑。愛していると言ったあの甘やかな声と絡む視線に隠された熱に、震えた身体を思い出す。ああ、でもいくら思い出せども、あなたは今ここに居ないのだ。なんと悲しいことでしょう、あなたの消えたこの世の冷やかさに僕は毎夜涙を流さずにはいられない。人はあなたが消えたことを面白おかしく脚色し、あることないこと騒ぎ立て嗤う。あの誰よりも気高く何よりも美しかったあなたを、醜い人々が嗤うということに僕はとても耐えられなくて、だからこうして誰とも顔を合わさぬようあなたが残した屋敷に籠るのだ。きっとあなたはただ微笑むのでしょう、言いたいように言わせておけばいいとただただ優美に笑むのでしょう。あなたが今一体どこに居られるのか僕には想像も出来ない。けれど必ず迎えに参ると言ったあなたの言葉を信じ、それを支えに今日も日々諾々と無為に過ごすのだ。「失礼いたします」開いた襖の向こうに目をやる。「どうしました」「薫様にお客様がお見えです」「どなたですか」「それが……これを見せればわかる、としか」そっと置かれたのは鮮やかな緋色の扇、これを持つ人は一人しかいない。かっと胸に火が付いたような熱さを感じ、書きかけの文も捨て置き飛び出した。驚くように振り返る使用人達の合間を縫い応接間に飛び込めば、上等な黒いスーツに身を包み帽子を深く被った者が一人、悠々とソファへ腰かけている。組まれた長い足がゆるりと解かれその人は立ち上がり僕の前までやってきた。「やあ、薫」「……征十郎様?」「ああ。随分待たせたね」すっと流麗な仕草で帽子を取ったその下には、あの美しい微笑みが浮かべられている。「貴方を迎えに、いえ、攫いに参りました」芝居掛かった仕草で礼をし手の甲に唇を寄せる。触れたその柔らかさと熱に震えが走った。「本当に、これからは共に過ごせるのですか」僕の問いに彼は笑み、言っただろう、と赤い双眸を煌めかせる。「お前を攫いに来た、と」
そ、と触れた唇の柔らかさ。恐る恐る撫でた頬の温度、長い睫毛の描く陰影。深く煌めく赤き双眸、白磁の肌、燃ゆる赤毛と麗しき微笑。愛していると言ったあの甘やかな声と絡む視線に隠された熱に、震えた身体を思い出す。ああ、でもいくら思い出せども、あなたは今ここに居ないのだ。なんと悲しいことでしょう、あなたの消えたこの世の冷やかさに僕は毎夜涙を流さずにはいられない。人はあなたが消えたことを面白おかしく脚色し、あることないこと騒ぎ立て嗤う。あの誰よりも気高く何よりも美しかったあなたを、醜い人々が嗤うということに僕はとても耐えられなくて、だからこうして誰とも顔を合わさぬようあなたが残した屋敷に籠るのだ。きっとあなたはただ微笑むのでしょう、言いたいように言わせておけばいいとただただ優美に笑むのでしょう。あなたが今一体どこに居られるのか僕には想像も出来ない。けれど必ず迎えに参ると言ったあなたの言葉を信じ、それを支えに今日も日々諾々と無為に過ごすのだ。「失礼いたします」開いた襖の向こうに目をやる。「どうしました」「薫様にお客様がお見えです」「どなたですか」「それが……これを見せればわかる、としか」そっと置かれたのは鮮やかな緋色の扇、これを持つ人は一人しかいない。かっと胸に火が付いたような熱さを感じ、書きかけの文も捨て置き飛び出した。驚くように振り返る使用人達の合間を縫い応接間に飛び込めば、上等な黒いスーツに身を包み帽子を深く被った者が一人、悠々とソファへ腰かけている。組まれた長い足がゆるりと解かれその人は立ち上がり僕の前までやってきた。「やあ、薫」「……征十郎様?」「ああ。随分待たせたね」すっと流麗な仕草で帽子を取ったその下には、あの美しい微笑みが浮かべられている。「貴方を迎えに、いえ、攫いに参りました」芝居掛かった仕草で礼をし手の甲に唇を寄せる。触れたその柔らかさと熱に震えが走った。「本当に、これからは共に過ごせるのですか」僕の問いに彼は笑み、言っただろう、と赤い双眸を煌めかせる。「お前を攫いに来た、と」
rewrite:2021.12.22