大事に握りしめていた悪夢
▼ 宮田司郎
樹は風呂に入るのが好きらしく毎日毎日随分と長風呂をする。
しかも朝と夜、二度入るのだ。いや、風呂に入るのは別段問題ではなくて、問題なのはその時間なのだ。正確に計ったわけではないので分からないが、軽く一時間は超えて入っている。
毎度のことだからそろそろ慣れたいものなのだがどうにも心配になってしまうのだ。溺れているのではないかと不安になる。一度溺れて死にかけていたことがあったから余計に。
「樹?」
だから度々、何の物音もしない浴室に向かって声をかけて確認するのだ。それに彼が返事をしたら俺はまた読書や仕事に戻る。それを彼が出てくるまで数回繰り返すのも毎度のことになりつつある。
「……樹?」
いつもならすぐに返ってくる彼の声が聞こえない。ざあっと血が足元へ下がるような感覚に眩暈を覚えながら浴室へ走り勢いよく扉を開ければ、彼はぐったりと浴槽の縁にもたれていた。
烏の濡れ羽色の目もぞっとするほど赤い唇も半開きで、とても大丈夫そうには見えない。のぼせたのかと彼を湯の中から引っ張り出そうと触れた腕がじっとりとした冷たさを纏っていて、また血の気が引いた。
一瞬死んでいるのかと思ったが彼は規則正しい呼吸をしている。
「司郎くん、すごく気分が悪い」
小さな掠れた声に眉が寄る。やはりのぼせたのだろうと彼の冷えた腕を掴んだが、彼は立つ気がないどころか浴槽から出る気がないらしく、腕を握る俺の手を壊れ物にでも触れるよう優しく握った。
「司郎くん、僕、知らなかった。悪阻って本当に辛いんだね」
「……は?」
どこかうっとりとした顔で、平たい腹を撫でる彼の目の焦点は合っていない。
「悪阻、」
思わず彼の言葉を繰り返すと、彼は嬉しそうに目を細めた。
「うん、今僕のお腹の中で司郎くんの子が一生懸命自分の場所を作ってるんだよ」
ほう、と彼の口からもれた吐息に背筋が寒くなる。
「男の子と女の子、どっちかなぁ。僕はどっちでも良いけど、司郎くんに似てたらいいな」
「何を、」
「産まれてくるの、楽しみだね、司郎くん」
その目はどこも見ていない。
rewrite:2022.03.29