ほとんどの夜は冷たくて静か
▼ 宮田司郎
指先が何かどろりとしたものに触れギョッとし、本から目を指先に向ける。マグカップに触れたはずの指は一体何に触ったのだろうか。カップに何か付いていたかと見てみても何もなく、変わらぬつるりとした光を放っている。
気のせいだったのだろうかとマグカップのコーヒーを飲みながら時計を見た。もうとっくに予定の時間は過ぎているというのに大和はまだ来ない。仕事が終わらず戻って来られないのだろうか。
そういえば今回はそこそこ大変な仕事だと言っていた。彼が一体どんな仕事をしているのかは一切聞いていないが、度々体に結構大きな傷をつくってくるところを見るとあまり歓迎出来ない類のものなのだろう。
興味が無いと言えば嘘になるが、あまり彼を困らせることはしたくない。
だから聞かずに黙って帰ってくるのを待つのだ。そうしていれば彼は決して自分から離れることはないと分かっているから。
不意にノックの音が響き、沈みかけていた意識が引き戻される。はい、と返事をしてドアに目を向ければ、とてもじゃないが人間だとは思いたくないものがそこにあった。
恐らく顔だと思われる部分は崩れかけ、本で見た奇形児の頭部を彷彿とさせる。それは口を開閉させ何かを言っているようだが、聞こえてくるのは喉の奥で息が詰まっているような奇妙な音だけだった。
ひたりとした嫌なものが背筋を這っていく。夢でも見ているのか、大和を待つ間に寝てしまったのかもしれない。
窮屈な体勢で眠ったせいで妙な夢でも見ているのだろうと目の前の信じ難い光景から目を逸らそうとした矢先、短い破裂音が響き、
「悪い司郎、遅れた」
倒れていくそれの向こうに待ち人である大和が立っていた。
「最後のがどこ行ったかと思ったらお前のとこでめちゃくちゃ焦った、何もされてないよな?」
どろどろと溶けていくそれを何の躊躇いもなく踏み付けながら傍までやってきた大和はいつもと変わらない。
「……大和?」
「ん?」
「どういう、ことだ?」
収拾のつかなくなった頭でそれだけ尋ねると、彼は少しだけ困ったように笑いながら「これが俺の仕事」と答えた。
rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「仕事・時間・奇形」