いとおしむように目を閉じて


▼ 宮田司郎

あの人は蜘蛛のようだ。巧妙な罠を張り巡らせ獲物を捕らえる様は正しくそう。美しい蝶を雁字搦めに捕まえてあの人は一体これから何をしようというのだろう。食らうのだろうか、それとも。

倉瀬さん」

眞魚川の方へ歩いていく倉瀬さんを思わず呼び止めた。酔っているようなふわふわとした不安定な足取りと何処も見ていない眼差しに不安を覚えたのだ。
彼のそんな姿は初めて見た。私が知る彼は、いつだって何もかも決まっている道を歩んでいるような足取りで、ずっと先まで見通すような目をしていたのだ。
足を止めた彼は声が何処から聞こえたのか分からなかったのか、やけにのんびりとした仕草で辺りを見回す。それからようやく私の姿を見つけた。だが彼はぼうっと私を見つめるだけで何の反応も示さない。

倉瀬さん?」

もう一度声をかければ「あ、牧野さん」と今気付いたかのように瞬いた。奇妙なズレに恐れが次々と浮上してくる。

「珍しいですね、こんなところまで……お散歩ですか?」
「……」

一瞬目が虚ろになり、何かを探すように視線が彷徨う。

「ええ、今日は、天気がいいですから」

そう答える彼はどこか崩れた笑みを浮かべた。それが恐ろしくて一瞬言葉が詰まる。
彼はこんなにも不安定な、それこそ薄氷の上に立っているような危うさを持っていただろうか?今にも沈んで絶えてしまいそうな空気を?

「これから病院に行くんです」

その言葉、夢を見ているような無垢な瞳とあどけない笑みに、鳩尾の辺りが急激に冷え込んでいく。あまりにも無防備なそんな顔を彼がするとはとてもじゃないけれど信じられなかった。

皇一郎、こんなところにいたのか」

ただ呆然と幼い笑みを浮かべる彼を見つめていた私の耳に飛び込んできたその声は、平時では考えられないほど柔らかく優しい。彼の背後から、私にとっては恐怖でしかない白衣が見えた。

「ああ、牧野さんといたんですか」

ゾッとする程冷たく鋭い視線に身が固まる。

「駄目だろう、約束を忘れたのか?」
「ごめんなさい……」

まるで悪夢を見ているようだ。失礼します、と言った宮田さんの口元が微かに歪んでいた。

rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「薄氷・視線・浮上」