色のない世界の朝焼け
▼ 松野カラ松
俺のせいで彼は壊れてしまった。これ以上ないってくらいに俺を愛してくれていた彼を、俺はずたずたに切り裂いて、めちゃくちゃに壊してしまった。
「大和、おはよう」
ベッドで眠らなくなった彼はいつも窓辺に置いた揺り椅子にすわり、そこから動くことはあまりない。
「今日は南瓜のキッシュだぞ。大和、好きだったろ」
レースのカーテン越しに外を眺める横顔は今日も変わらず彫刻のような無表情だ。テーブルに置いた朝食の乗ったトレーもちらりと見るだけ。
気紛れのように食べてくれる時もあるけれど、大抵彼は食事に手をつけない。昔のように目を輝かせることも美味しいと心底幸せそうに笑うこともなければ、あれが食べたいと楽しそうに言うこともない。
まるでゆっくりと死にゆくように、彼は生きるために必要なことを少しずつしなくなっていた。
「大和、今日は食べないと。昨日も食べてないだろう?」
眠ってしまいそうなゆっくりとした瞬きを繰り返す彼は人形のようだ。いつだって輝いていた瞳は伽藍洞で、その目に見つめられる度に息が詰まりそうになる。
「ほら大和、口を開けてくれ」
結ばれた唇にフォークを持っていっても、前のように恥ずかしげに目元を染めることもなければおずおずと開かれることもない。柔らかく結ばれたままだ。
「大和、一口だけでいいから」
もう一度声を掛けるが、彼はそのまっさらな目でぼんやりと俺を見つめるだけだった。
「……アパショナータが聞きたい」
不意に囁くような声で言われたのは彼が好きなベートーヴェンの曲の副題だった。見た目に反してクラシックが好きな彼は、よく曲に纏わる色々な話を俺にしてくれていた。
室内に満ちるピアノの旋律は激しく、あの日の彼を思い出してしまう。俺を求め叫んだ彼の手を振り払うことなく握っていれば、あの日の結末はまた変わっていたのかも知れない。
彼には俺だけしかいなかった。手を取れるのは俺しかいなかったのに。
「ごめん、ごめんな」
背凭れに身を預け目を閉じる彼の冷たい手に触れ、祈るように握り締める。
しかし彼が握り返してくれることは、もう二度とない。
rewrite:2022.02.24 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「副題・もう一度・結末」