ただ一つ、ただの一つ、たった一つ


部屋の電気がついている。
遅くなると伝えていたからもう寝てると思ったのに、まだ起きているのだろうか。いつも寝るのが早い彼が起きて自分を待っているかもしれないということに自然と口元が緩んだ。きっと必死に睡魔と闘っているのだろう。
コンクリートの階段を上って、ついこの前お揃いで買った犬のキーホルダーの付いた鍵を取り出してドアを開けた。

「ただいま」

鍵を掛けながら言うとリビングの方からこちらに向かう足音が聞こえ、やっぱり起きていてくれたのだと笑みが浮かぶ。

「おかえりなさい」

ひょっこり顔をのぞかせた彼は予想通りひどく眠そうだった。

「待っててくれたんですか?」
「うん、だっておかえりって言いたかったから」

それにテツヤくんもおかえりって言われるの嬉しいって言ってたし、とふわふわとした夢見心地の笑みでいう彼に、きゅんと胸が痛む。些細なことでもそうやって覚えていてくれる彼が堪らなく愛しくなって、眠そうにゆっくりと瞬く彼を抱き寄せた。
ぎゅうっと抱き締めながら彼の髪に頬を寄せるとシャンプーのいい香りが鼻を掠めていく。僕が使ってもこんな優しいにおいにはならないのに、不思議だ。

「あっ、寝ないでください」

少しずつ身体から力が抜け今にも夢の世界へと旅立ってしまいそうな彼を離し、むにりと頬を押さえる。重たげな瞼がゆっくりと持ち上がり、きらきらとした瞳に僕が映った。

「だってテツヤくんあったかい」

頬にあてた手の上に彼が手のひらを重ねた。僕とは違う、少しひんやりとした小さな手。
ぱちりぱちりと星を散らす彼に、あ、と思った。



彼にずっと言いたかったことがあった。けれどタイミングが掴めないままゆるゆると日々を過ごし今まで来てしまっていたのだが、もしかしたら今が、そのタイミングなのかもしれない。

「なあに?」

柔らかく細まった目は優しい色で埋め尽くされている。
彼のこういう目を見る度に、ああ愛されていると再認識して、堪らなくなる。

「結婚、してくれませんか」


rewrite:2022.03.10 | BGM:テレ東 / やくしまるえつこ