嘘さえ預けてもらえない


彼がどんな人間なのかなんて長い間見ていればわかる。最低と呼ばれる人種であることも知っていた。一体どれだけの人を傷付けてきたのかなんてわからないほどに誰かの想いを踏み躙り、幾重もの屍骸の上に彼が笑いながら君臨していることも知っている。
馬鹿なひと、彼は泣きそうに顔を歪めながら笑う。ばかなひと、ともう一度、ひどく震えた声が鼓膜をゆっくりと撫でた。
伏せられた睫毛が彼の青白い頬に淡い影をつくりだし彩っている。
彼は美しい人だ。しかし同時に、ひどく汚れてもいた。彼自身それをよく知っていた。自分がどれだけひどく汚れ切っているのか、悲しいほどよく知り尽くしていたのだ。
だから今更誰かをすきになることなんて出来ないと言う。今まで散々砕き殺してきた想いが彼の足元できらきらと光っていた。

「だめだよ、君みたいな素敵なひとが、こんな人間にそんなことを言っちゃあ」

好きの二文字も言うことの出来ない彼はただ透き通った笑みを風に揺らせる。汚れに満ちたその顔に、美しい笑みを乗せていつもの彼になるのだ。
つい数秒前に見せたあの泣いてしまいそうな彼はどこにも見当たらない。いつものどこまでも完璧な彼に胸が痛くなった。
彼の足元に転がる遺骸が、お前には無理だとけらけらと僕を嘲笑う。でもここで引いてしまったらいつまで経っても彼はひとりのままで、それじゃあ駄目なのだ。
そりゃあ彼が今までしてきたことを考えたら当然の報いなのかもしれない。でも、僕が嫌だった。僕は彼に笑ってほしかったのだ。

「僕は」

ひくりと肩が揺れた。

「君がどんな人間でも好きです。馬鹿だと言われても好きなものは好きなんです。僕のことが好きじゃないなら、嫌いなら、そう言ってください。誤魔化さないで」

彼の瞳が歪む。

「きらいだよ。黒子くんなんて、だいきらいだ」

あれだけ存在を主張していた残骸が、光を失い紛れて見えなくなっていく。

「じゃあどうして泣いているんですか」

悲鳴が聞こえる。どこかの軋む音が一際大きく鳴った。

rewrite:2022.03.05