奪われた春がすぐそばにいる


『お魚さんみたい』

と彼はよく僕の髪に触れ目を見つめ、透き通る綺麗な笑みを浮かべていた。きらきらと光を反射する瞳の中に映る僕は、確かに魚のように見えた。薄い水色と不健康そうな色をした肌が彼の黒曜の中でゆらゆらと揺れる。
飽きもせずにじいっと僕を見つめ、時には絵を描いたりもしながら彼は一日の大半をそう過ごしていた。

『テツヤくん、やっぱりきれい』

じいっと見つめてくる目は寒気がするほど無邪気な色をしていて、時々居心地が悪くなる。

水緒の目の方が、僕はすきですよ』

彼の白く華奢な指に己の指を絡めきゅうっと握ると彼は穏やかな笑みを浮かべる。ありがとう、と言った彼の目に、確かに僕は映っていた。僕だけが映っていた。

水緒、返事をしてください」

今でもあの日のことはよく覚えている。
光の失せた目に僕は映っていなかった。閉じられた目は開くことはなく、あの美しい瞳をもう二度と見ることはできないのかもしれないと思ったときのあの喪失感は、きっと誰にもわからない。
叶わぬとしてもそれでも僕は諦めきれずに、もがき続けた。もう一度彼に会いたい。

「何処にいるんですか、水緒

昔、祖母から聞いたことがある。
七夕というのはあの世とこの世が一番近い日なのだと。天の川を越えて向こう側が天で、こちら側が地上なのだと。だからその川を越えることが出来たら、彼に会うことが出来るのだ。
しかし人々の祈りで構築されたその川に一度飲まれてしまえば、もう二度と向こう岸には届かない。

水緒水緒、出てきてください」

痛みに耐え、ともすれば引きずられそうになる足を動かし、ここまで辿り着いたというのに。

水緒、返事を、してください」

何度も何度も名前を呼んでも彼の返事はない。自分の声ばかりが広がるだけで、何も聞こえない。それどころか、ただ暗闇が広がるばかりで何も見えやしないのだ。
ここに彼は居る筈なのに、僕は向こう側に辿り着けた筈なのに、それなのに、どうしたってあなたが見つからない。

rewrite:2022.03.05 | BGM:極彩、嬋娟ノ魚。 / マチゲリータP