果てと楽園は違う場所


顔を撫ぜていく生温い風を感じながら眼下に広がる海原を見つめる。暗く沈んだ街はぽつりぽつりと光が見えるだけだ。
随分遠くまで来た。荷物も無く、少しのお金だけを手に全てから逃げるよう、彼と共に行き先も見ず電車へ乗り込んだ。
きっと皆心配するだろうと他人事のように思い、忘れる。俺は彼のために全てを捨てたのだ。

大和、行こう」

繋いだままの手のひらから伝わる温度は依然冷たいままだ。一向に温まらない彼の手を弱い力で引けば、彼はああと頷き小さく笑った。
その笑みに一体どれだけのものが隠されているのか、俺などには到底計り知れない。
人気のない道をたった二人、外灯を頼りに歩いていく。目的地なんて端からない。

「征十郎、あれ」

白い指がさしたのは古ぼけ、今にも崩れてしまいそうな教会だった。

「入れる?」
「ああ、ほら、鍵が壊れてる」

朽ちた錠前はいとも簡単に崩れその一生を終えた。
硝子が割れ、埃の舞う荒れ果てた教会内にぼんやりと佇む彼は、この世のものではないように見えた。月明かりに照らされた横顔が冷たく光る。
怖いくらい綺麗なその姿にざわりと胸が騒いで、彼の手を握る力を強める。

「征十郎」

大丈夫、ちゃんと彼はここにいる。

「もういいよ」

薄く笑って、もういいよ、ともう一度繰り返した彼の手から力が抜けていく。

大和、」
「ありがとう征十郎。でももう、帰ろうか」

ちゃんと握りしめていたのに、するりと繋いだ手が逃げていく。

「帰るなんて、どこに?」

返事はなく、彼はただ笑うだけ。帰ろうと言った彼はそこから動く気配はなく、まるで別れを告げているようだった。

「お前は、大和は、帰らないのか」
「俺は帰れない」
「どうして」
「どうしてだろうな」

一歩彼が下がる。踏まれたはずの硝子は音を立てず、辺りは痛いほどの静寂を保ったままだった。
何も聞こえない。彼の息遣いも、何も。
ふらりと彼が揺れた。ゆったりと弧を描いた唇が、そうっと持ち上げられて形を作る。

「もう、いいよ」

小さく吐かれた息は、音もなくただ、消えた。

rewrite:2022.01.04