春の陽射しのような残り香


何かを手に入れたとき、それは何かを捨てたときでもある。何かを捨てなければ何かを手にすることは出来ない、いつだって世界はそう出来ている。
工藤大和を手に入れたとき、赤司征十郎はその対価として多くを捨てた。

大和、朝食の時間だよ」

薄いレースのカーテンを通し柔らかくなった朝日に照らされた室内はまだ少しひんやりとしている。
ぱたぱたとスリッパの音を立てながら、赤司はなかなか起きてこない大和を起こしにひとつの部屋へと入っていった。

「ほら、起きて。冷めてしまうよ」

なかなか動こうとしない我が恋人へ困ったように笑い、優しく抱き起す。くったりと凭れかかってくる大和の頬に触れ目尻へそっと唇を寄せる。そしておはよう、と甘く柔らかな笑みを浮かべた。
彼らの朝はいつもこうして始まる。
それからしばし戯れるような甘い触れ合いをし、少し冷めてしまった朝食をとるのだ。温めなおした味噌汁を啜りながらのんびりとその日の予定を話し合うのが彼らの朝の食卓の慣わしで、今日は特に何の予定もないから家でのんびりしようかと赤司は笑った。
食後のコーヒーを飲みながら他愛ない会話を交わしていたとき、ふいにチャイムが鳴った。
少し前まで楽しげに笑っていた顔がすっと色を消す。しん、とした室内にまたチャイムの音が響いた。
しかし赤司はコーヒーカップから手を放さず、ただ黙って遠くのインターホンを眺めている。

「誰だと思う?」

少し尖った囁くその声には苛立ちと不安が僅かに滲んでいる。訪ねて来た人物は誰も出て来ないことに諦めたのか、またチャイムが鳴ることはなかった。
それにふっと息を吐いてコーヒーを一口飲み込み、カーテン越しに空を見上げた赤司は向かいに座る大和へ視線を戻す。
朝日に照らされた顔は半ば崩れかけていた。鼻を刺す酷い匂いにも瞬きせぬ朽ち果てた瞳にも、何一つ気付いていないとでもいうように赤司はまた笑いながら他愛ない話をする。
赤司征十郎は工藤大和を手に入れる為に、捨ててはならないものまで捨ててしまった。

rewrite:2021.12.25