やわく潰れる胸のあいだ
一面の白い壁に格子の嵌め込まれた窓硝子と、ベットと棚と、クローゼット。それが彼の世界の全てだった。たったそれだけで彼の世界は構成されているのだ。
枕に顔を半分埋め幾分か苦しげな呼吸を繰り返す彼の頬を撫でると、少しひんやりとしていた。リモコンで設定温度を少し上げ、眠る彼を見つめる。
長い間ここで暮らしていたせいで少々病的な白さをした透ける肌に、一本の細い瘡蓋がまだ残っていた。すっかり爪を切ることを僕が忘れていて、伸びっぱなしのその爪で彼が引っ掻いてしまったところだ。
治りかけで痒い、と彼が小さく言っていた瘡蓋の上をそうっとなぞり、今は短く切り揃えられた爪を指先で優しく擦る。そのままするすると指を動かして、あたたかい彼の手を握りしめた。
やわらかくてあたたかい、真っ白な手。きゅっと力を込めると、夢の中にいるのに握り返してくれる彼が愛しくて、泣きそうになってしまった。
「……あかしくんだ」
寝起きで少し掠れた声にはっと顔をあげると、薄く目を開いた彼がふんわりと笑っていた。何も知らない、無垢過ぎるその笑みが僕の胸を突き刺す。
「おはよう、水緒。ちゃんと眠れたかい?」
それでも僕はそれに気付かない振りをして目をそらし、目の前の柔らかい髪を撫でる。気持ち良さそうに目を伏せながら、彼が小さく頷いた。
「ふしぎな夢をみたよ」
「へえ、どんな夢だい?」
「あのね、あかしくん、魔法使いになってた」
ふふ、と思い出したのか小さな笑みを零す。
「それで、一緒に空を飛んだの。とてもきれいだった」
目を閉じ、息を吐きながら囁かれた言葉にちりりと焦げる。
「水緒、外に出たい?」
彼は外に出たいのだろうか。でも外は、綺麗な彼にはあまりにも汚すぎる。
「ううん」
感情を消してしまったような無表情のあと、ぽつりと呟いた。
「こわいから、いい」
固く閉ざされた瞼の裏で、一体今彼は何を思い出しているのだろう。
「そうだね」
彼のことは何もわからない僕には、その頬を撫でることしか出来なかった。
rewrite:2021.12.02