夜光の逃げ道


触れた指の温かさを思い出した。
電車の窓の冷たさに温度を奪われていく腕が、どこかで彼のぬくもりを求めている。労わるように触れ、撫でた彼の骨ばった白い指。
ひらひらと舞い落ちていく雪が羽のように見えた。白い、天使の羽だ。もし僕が死んだら、果たして天国にいけるのだろうか、なんて信じてもいないくせに思って少しだけ気分を紛らわせる。
日の沈みゆく街を照らす明かりが車窓に張り付いた雪で滲み、ぼんやりとした淡い光となっていく。どこか幻想的で美しい景色だった。吐き出した息が窓を僅かに曇らせ、外界を遮断する。
目を閉じれば瞼の裏にまた彼が描かれる。一体何度目だろう。目を閉じるたび、彼の美しい横顔や柔らかな笑み、困った顔、怒ったような目が次々に思い出される。それが苦しくて薄く開いた目に、鋭い光が一瞬差し込んだ。遠くなる警報機の音。どこかの踏み切りをまたひとつ走り抜けたのだろう。
今彼はどうしているだろう。僕のことを心配したりしてくれているだろうか。一瞬ポケットの中を探って、苦笑した。彼との思い出が山ほど詰まった携帯など持って来てしまったらきっと止めてしまうから、と置いてきたのは僕自身だろうに。
必要最低限のお金しか入っていない薄っぺらな財布をポケットの中で握り締める。

ゆずはきっと僕に出逢うために生まれてきたんだよ」

勝気な目で、自信たっぷりに微笑んだ彼が浮かぶ。
どうしてここにいるのだろうと嘆く僕に、彼はそう言って温かな手を差し伸べてくれた。そうであればいいと思った。
けれど今、僕は棄てようとしている。彼がくれた理由も、存在意義も、何もかも。怖かった。いずれ来る終わりにきっと僕は到底耐えられない。日に日に増す焦燥に似たものが、ゆっくり炙るように僕を甚振るのだ。
安心ばかり与えてくれていた手にすら不安を覚えるようになって、柔らかな笑みにすら終わりがあるように思えてしまって、僕を見つめる赤い瞳が暗く翳るような恐怖を感じるようになってしまった。もう何もかも駄目になってしまった。
駄目にしてしまった僕を、どうか許してほしい。

rewrite:2021.12.01 | BGM:サイレン# / ASIAN KUNG-FU GENERATION |「夜中の透明」の対