最果ての地、幸福の国
肺の中に水が満ちていくような凍える感覚にうっとりと目を細めた。どんどん遠くなる。薄い皮膚越しに伝わる冷たい水の温度はまだ少し攻撃的だけれど、直に馴染むだろう。
そうしてその頃には僕は原形もない程どろどろに溶けていなくなっているはずだ。
「すきだよ」
裏側でそっと囁くような声が聞こえた。まるで自分に言い聞かせるようなその音は、彼が僕のことなんて愛していない証拠だ。
あの人はなんだって誰よりも器用に上手く熟せるくせに、嘘を吐くことだけは誰よりも下手だった。あの人の嘘はいつだって完璧で、それ故中身が透けて見えてしまうのだろう。
それでもそれを受け止め呑み込んできて、脆い嘘に騙されたふりをしていたのは僕が何よりも彼のことを愛していたからだ。僕の一方通行だったとしても、偽物でも、それでも良かった。それでも良いと思えるほど、僕は惹かれてしまっていた。
そうっと心臓の裏側を微かな悲しみが撫でていく。
ああ、彼は最後まで僕を愛してくれることはなかった。きっと彼は誰も愛せない人間なのだろう。誰一人、自分すらも愛せない可哀想な人。
だからあんなにも綺麗な目をしていたのだろうか。何ものにも穢されず、濁ることもなく、透き通るような瞳。ここの外に広がる血の海よりも濃い、息を呑むほど美しい赤い双眸。
あの目に見詰められると堪らなく苦しくて痛かった。決して僕のものにはならないと嫌でもわかってしまうから。それは悲しい。
ああ、どうしてあの人は愛してもいないくせに僕の傍にいたのだろう。硝子細工の愛を吐き出してまで、どうして隣にいたのだ。
ちりちりとした痛みが頭の奥を這う。彼のか細い息遣いが聞こえる気がする。
可哀想な人、まだ貴方は痛みの最中にいる。
僕と同化し始めた水が揺らめいた。彼は最期まで僕を愛してくれなかった。最期まで偽りの心を差し出した。気泡の愛はいずれ弾けてしまう。
「さようなら、征十郎くん」
目を閉じて、沈み込む。貴方への想いと共に僕は息絶えるのだ。
rewrite:2021.10.10