彼の自傷癖は僕らが中学生になった頃に始まったものである。それからはまるで感情が希薄になったというように怒りもせず泣きもせず、ただただ柔らかい笑みを浮かべるだけになってしまった。本来の彼は感情の起伏が激しく、特に幼馴染であった僕に対しては本当に表情豊かだったのに、いつの間にか人形のようになってしまったのだ。人形のような彼は得も言われぬ美しさとそこから見え隠れする毒々しい恐ろしさも併せ持っているように見える。何があっても穏やかに微笑む彼は僕にとって全く知らない人で、とても恐ろしい別次元の生き物のように思えた。しかし、世界とはいとも簡単にひっくり返ってしまうものだ。いつだったか、彼が保健室でただひとり泣きながら己の腕に包帯を巻きつけていたのを偶然見てしまったあの瞬間、僕の世界はくるりと反転した。彼の透き通った涙がぱたぱたと叩きつけられる様に目を奪われ、心まで奪われてしまったのだ。彼の笑み以外の表情を見るのは本当に久しぶりで、思わず彼に駆け寄ってしまうほど僕には衝撃的だった。それから僕と彼はまた共に時間を過ごすようになったが、その距離は小学生の頃よりももっとずっと近い。「動かないでくださいね」重なるようについた無数の切り傷の上の真新しい傷から流れる血を拭い、傷口を押さえる。救急箱から消毒液を引っ張りだしてちらりと彼を見ると、僕の手元をただぼうっと見ているだけだった。「ねえ」まっさらなその表情の奥、彼の内側にあるとても柔らかい部分はひどく傷付き薄汚れた絶望に塗れている。光らない瞳は底なし沼のような不気味さと人を惹きつける奇妙な魅力があった。「テツヤはいつまでいるの」きっちりと巻けた包帯に満足気に息を吐いて、散らばったものを片付けながら僕は笑う。「いつまでもいます」彼も笑った。「嘘ばっかり」「嘘じゃないですよ、君の傷を治すのは僕です。僕はずっと君の隣で君の傷を治します」だから安心して傷付いていいですよ、全部ちゃんと、僕が治してあげますから。
rewrite:2022.03.09