Cemetery

果てがどこかにあったとしても

「もし明日、俺が死んだら赤司はどうする?」僕が部誌を書いている間に帰り支度を終えた聖司がふいにそう言った。振り向いて見れば、彼はベンチに寝転がったままの姿勢でこちらを見てなどいない。手のひらから落ちたボールが音を立てながら部室の端まで転がっていく。「何だ、いきなり」部誌に向き直り再び手を動かす。誰かに何かを言われたのだろうか、今日は玲央と長話をしていたしそれかもしれない。「今日、玲央先輩と話してたんだけど」どうやら予想は的中したようだ。「もし明日、大切に思ってる人が死んじゃったらどうする?って話になって」「へえ、聖司はなんて答えたんだ」「俺は普通で無難な答えを出したよ、悲しいって」「ふうん、味気ないね」「だろ。でもさ、実際そういう場面になんないとわかんねーし。ていうか、そういうことはあんまり考えたくないんだよな。赤司ってなんか、すぐ死んじゃいそうで怖いし」ふうっと彼が息を吐く音が聞こえる。死にそうで怖い、なんて初めて言われた。僕はべつに病弱でも虚弱体質でもない至って健康体だし、それなりに鍛えている分その辺の人間よりも多少丈夫な方だろう。聖司の言葉が不思議でペンを置いて椅子ごと振り返れば、丁度彼も身体を起こしたところだった。「どうしてそう思うんだ?」感情が表に出やすい彼にしては珍しく、何を考えているんだかわからない目をしていた。「赤司って、希薄っていうか、ここにいない感じがするんだよ、時々。だからかも。目離したすきにいなくなってそう」ぐっと眉間に皺を寄せた彼のその言葉に、かつてのチームメイトを思い出した。「俺は赤司がいなくなったら寂しいし悲しいし、嫌だなって思うよ」上手く言葉に出来ない、と歯痒そうに顔を顰める彼が何を伝えたいのかいまいち汲み取り切れない。しかし、なんとなくだけれど解った気がする。「馬鹿だな、僕がそうそう死ぬわけないだろう、お前の面倒も見ないといけないんだから。だから心配いらないよ」温かい手に触れれば、安心したように彼は少しだけ笑った。
rewrite:2021.12.12

十中八九のてのひら

見る目がないというか、どうしてそんな子を、というのばかり彼はすきになる。どうしようもなく馬鹿でどうしようもなく駄目な、それはもう本当にどうしようもない人間ばかりなのだ。「どうしよう赤司」そうして決まって、何かあると僕のところにくる。今にも泣いてしまいそうな顔をしてどうしようもない女の話をする彼に些か殺意すら覚えてしまう。だからあんなのは止めておけと言っただろう、なんて言ったところで、でもあの子は、だけどあの子は、とああでもないこうでもないと要らぬフォローをしだす始末だ。彼が選ぶ女もどうしようもないが彼自身もどうしようもない、お手上げである。「今度はどうした」けれど僕は毎度毎度律儀に相談に乗り、アドバイスを出し、なんとかなるようにしてしまう。何故か、理由は至って簡単だ。馬鹿馬鹿しいことに、このどうしようもない男に僕は恋なんてものをしてしまったのだ。全く何がどうしてそうなったのか自分でも一切合切理解出来ないけれど、彼を見れば脈は荒れるし話せば一日意味もなく笑ってしまいそうな気分になる。「リストカット、してるみたいなんだ……」今度はメンヘラ気取りか。どうしてこうも面倒なのばかり引っかけるんだ、勘弁してほしい。「いつから」「結構前からって言ってた。今朝包帯巻いてて気付いたんだ」「傷は見たのか」「見てない」「安心しろ、ただのフリだ。包帯を取ってみろ、傷なんざ一つもないだろうな」何で分かるんだと言いたげな顔に溜め息が出る。どう見てもあの女はそういうタイプの人間だろうに何故分からないんだろうか。あんなのと付き合っていても良いことなどない。それどころかマイナスしかないだろう。さっさと別れてしまえばいいのに。「全く、見る目がないな、聖司は」さっさと別れて僕と付き合えばいいのに、なんて言ったところで、また冗談だと流されてしまうんだろう。いっそ既成事実でも作ってしまえば彼も少しは真剣に考えるのだろうか。
rewrite:2021.12.12

絡まったり解けたり

水の中では何の音も聞こえない。耳鳴りのような、自分の体内から鳴る音だけが轟々と響いている。胸を圧迫されているような息苦しさ、逃げていく酸素、朦朧としだした意識の中で、いくつもの記憶が通り過ぎていく。倒れたコップ、泥、うろつく足跡、劈くような酷い絶叫、赤い地面、花、破片、それから―――、ざばりと思い切り引き上げられる。急に入って来た酸素に思い切り咳き込み、生理的な涙が浮かぶ。見上げれば険しい顔をした赤司さんがいた。赤い目がきつく光り、唇は引き結ばれたままで何も言わない。痛いくらいの力で腕を掴まれたまま、やや広すぎる浴槽から引っ張り出されてしまう。大きなバスタオルを掛けられそのままずるずると引っ張られていく。バスタオル一枚だというのに部屋が暖かいからか寒さは感じない。いや、そもそもあれだけ水に浸かっていたのだ、何でも暖かく感じるのだろう。怖い顔のまま赤司さんはキッチンへ消えていった。まだスーツ姿のままの背をぼんやりと見送ってから、鈍重な動作で服を纏い濡れた髪を雑に拭きソファへ腰かけた頃、赤司さんがマグカップを片手に戻って来た。無言で手渡されたカップの中身はホットミルク。礼を言って一口含めば仄かな蜂蜜の甘みが広がった。「ちゃんと拭かないと風邪引くぞ」溜め息を吐いた赤司さんはまだ水の滴る僕の髪を丁寧に拭き直し始める。「あ、すいません」「ゆずのそれ、どうにかならないのか」赤司さんの言うそれとは、水風呂のことだろう。「いい加減にしないと死ぬぞ」「大丈夫ですよ」「そう言って前病院送りになっただろう」「……すいません」深い溜め息。危険なのは分かっているけれど、あれじゃないと駄目なのだ。ああやって全てを遮断してあらゆる境目を無くさなければ。デュパンでもホームズでもない僕には、そうでもしないと答えが導き出せない。「けど、ちゃんと犯人、解りましたよ」呆れた顔の赤司さんは頷き、「出来ればもっと平穏に謎解きしてもらいたいものだ」と笑った。
rewrite:2021.12.12

まほろ新星

冷え込む季節になってきて、赤司の手もいつもよりもっと冷たくなってきた。動いてても冷たいままっていうこともあるくらいだ。だからカイロを持ちなさいと言っても全然持たないし、その癖冷えたら冷えたで俺の首やら脇腹やらで暖めようとするからもうこっちとしては堪ったもんじゃない。心臓に悪いことこの上ないのだ。「ぎゃああ!」ぴたり、と氷のような冷たさに首筋が覆われる。今絶対心臓止まった、俺一回死んだぞ。「やめろよ赤司!びびんだろ!」喚きながら離れて振り返れば案の定いい笑顔を浮かべた赤司が立っていた。「冷えたから暖めようと思って」ちょうど聖司もいたし、と悪びれもせずにさらりと言った赤司にムカつくけど何も言わない。怖いし。「だからカイロ持てって言ってんじゃん……」ポケットに常備していたカイロを引っ張り出す。別に赤司の為に常備しているわけじゃないんだからネ、俺の心臓と首のためなんだからネ。「ほら」カイロを差し出すが赤司は受け取ろうとしない。またこいつは何でいつも素直に受け取らないかな、と溜め息を飲み込んで記録用紙の挟まったバインダーをベンチに置き、赤司の手を掴む。分かっていてもその外にでも居たのかってくらいひやりとした温度に一瞬息が詰まった。ときどき死んでるんじゃないかと心配になる。カイロを赤司の手の間に挟み、外側から自分の手でぎゅっと挟む。何が悲しくて男の手などサンドしなければならないのか、桃井ちゃんとかならもう大歓迎なのに。「聖司の手は暖かいな」「まあな。青峰のがあったけえと思うけど」少しずつ赤司の手が暖まって冷たさを感じなくなってくる。赤司が「血が通ってきた」と言うのは大体このタイミングだ。もうわかってしまっている自分に悲しくなる。いつになったらこいつはカイロを携帯するのだろうか。「いい加減自分でカイロとか持って来いよ」「いやだ」「じゃあ俺で暖とるのやめろ」「いやだ」「もう何だよお前ええ」笑うだけで何もしない赤司に、飲み込みきれなかった溜め息がとうとうもれた。
rewrite:2021.12.13

胸が綿菓子みたい

冬の凍った空気を取り込んだ肺がその冷たさに一瞬震える。気管まで凍ってしまいそうなくらい寒くて、ぐるぐるに巻いたマフラーを鼻まで引き上げポケットのまだ温まり切っていないカイロを握る。門を抜け最初の交差点へ着いたとき、とんっと軽く肩を叩かれた。振り返ると息を弾ませた聖司が「おはよ、赤司」と片手をあげた。「ああ、おはよう。走ったのか」「おう、赤司見っけたからすげえ走った」人懐っこい子供のような彼の笑顔は見る者の心を緩める効果でもあるのか、僕は彼が笑うといつもつられて笑ってしまう。「赤司、今日はもう誰かに会った?」「いや、会ってないけど?」「電話とかメールとかは?」「別にないけど……」何が聞きたいのだろう、と目の前のどこかそわそわと落ち着きのない顔を見上げる。聖司は少しだけ考えるような顔をしたけれど、一度頷くとぱっとまた笑った。「そっか、俺が一番か!」「は?」「赤司誕生日おめでと!やっと十六歳だなー」なははと笑う聖司を見つめる僕の顔は随分間の抜けたものだったろう。彼に言われるまですっかり忘れていた。「……ありがとう」にこにこ笑う聖司の目がひどく柔く優しげで落ち着かなくなりなんだか照れてしまって、彼の顔から目を逸らし前を向いた。カイロを握る手がじっとり汗ばんでいる。「それでですね、色々考えたんだけど俺、赤司が欲しいもんとか全然わかんなくてさ。よかったら日曜日、どっか出掛けない?」少し自信なさげ眉を下げ、窺うように首を傾ける。時々計算なんじゃないかと思ってしまうくらい彼は人の心を揺り動かすのが上手い。いや、まあ単に惚れた弱みというやつかもしれないけど、だとしたら我ながら随分ご執心なことだ。いいよ、と頷くと聖司はぱっと目を輝かせにこにこ嬉しそうに笑った。「あ、根武谷先輩からめちゃくちゃ美味しい和食の店教えてもらったからそこも行こうぜ」「ああ、楽しみにしとくね」「赤司」「なに?」「ありがと」「……こっちの台詞だよ」はは、と少し赤い頬で笑う彼につられて、また僕も笑った。
rewrite:2021.12.22

楽園の失墜

ふらりとやってきたその男は、泥沼の如く澱んだ赤い瞳を暗く煌めかせ神父を見つめた。どろりとしたその目に浮かぶ色に神父は息を詰め、同時にその雰囲気から何かを感じ神父はその男を懺悔室へと案内した。そうして黒いカーテン越しに聞こえ始めた話に神父は戦慄する。「俺は人を殺めました。もう二週間も前の話です。俺にはとても大切な子がいて、その子はとても優しくて魅力的で、それ故に多くの人を惹きつけてしまう子だった。彼が俺を好いてくれていることは勿論分かっていたし、彼を疑う気持ちなんて微塵もありません。彼の中では俺が唯一絶対で、一番だと確信さえしていて、だから彼が誰と仲良くしようが別に構いはしなかった。だって結局、必ず俺のところに戻ってくるのだから。でも、それがおかしくなり始めました。あいつが、黒子テツヤが、聖司と仲良くなり出してから全てがおかしくなったんです。それまで彼の中の全てにおいて一番上に存在していた俺が彼の中心であるはずなのに、俺よりも黒子を優先するようなことがちょっとずつ増えていった。でもただの友達だって聖司は言っていたし、彼自身もそう思っていたんだろう。でもあいつは違った、あいつは、聖司を恋愛対象としてみていたんです。俺のものなのに俺から奪おうとしたんだ、笑えるでしょう?俺と約束のある日にわざわざ遊びの誘いをいれたり何かにつけて付き纏ったんです、友人を無下には出来ない聖司の性格に漬け込んで。許せないでしょう、もう見ていられないと思った。前々から忠告はしていたんだ。なのに聞かなかった。それどころかやってみろとばかりにヒートアップしたんです。信じられないでしょう、もう我慢出来なかった。それ以上はどうしても許せなかった。だから俺は自分の手であいつを殺しました。聖司を守る為に。あいつは死んで俺達の前から消えた。そのはずなのに、いるんです、ずっと。俺を笑ってる、馬鹿な人ですねって。今も俺のすぐ後ろで笑ってるんだ」
rewrite:2021.12.23

満ち干きのほとぼり

僕はいわばもうひとつの彼なのだ。別人の形をした彼の身体なのである。幾重も重なった傷は固く、薄っぺらなカッターナイフの刃などいとも容易く拒んでしまうけれど、彼はその傷ごと千切るように引き裂いた。乱暴に素早く、何の躊躇いもなく。痛みに呻くこちらなんてお構いなしで、またひとつ、腕には真っ赤な線が出来上がる。幾つかの線を塞いでいた瘡蓋が刃に引っかかって引き剥がされて現れたじんわりとした熱と鋭い痛みに唇を噛むと、彼は薄く笑った。「噛まないで、血が出るよ」白い指が唇を押してくる。彼は彼が作りだすもの以外の傷が僕に出来ることを酷く嫌った。僕は彼だから、きっと彼は意図せず傷付くのが嫌なのだろう、彼を傷付けるのは彼でしかいけないのだ。ぼたぼたと垂れた血が床に斑点を描いていた。彼はその斑点を少し眺めてからこちらをちらりと見てまた笑い、血だらけの傷に口をつける。じっとりと舌が這う感触は何度繰り返しても慣れず、ぞわりと背筋が粟立った。裂いた場所を抉るように舌が動いて痛みが波のように襲ってくる。大声で叫んでしまいたくてもじっと黙って耐えねばならない。だって僕は彼だから。けれど痛いものは痛くて、ぐっと歯を食いしばっても涙は滲む。「また泣いてる」真っ赤な瞳を嘲笑うように歪めて、薄く歯型のついた僕の唇に噛み付いてくる。噛んで、舐めて、また噛んだ。吐き気のする血の苦い味がする。それがこの唇から出た血なのか彼が舐め取った血なのかわからない。僕が吐き気を堪えているのを、血の味に吐き気を感じているのを知っていながら彼は血を流し込むのを止めない。漸く彼の気がすんで腕に包帯が巻かれた頃、決まって言うのだ。「ねえ、ゆず。きっと君はいつか僕を殺すんだろうね」でもそれは間違いだ。僕には、十江ゆずという人間には彼を殺すことなんて出来やしない。彼を殺すのはどんな時でもどんな場合でも彼自身なのだ。だって僕は、彼だから。
rewrite:2021.12.25

まばたきの刃毀れ

触れようと手を伸ばせば細く頼りない肩が震えた。それから小さくごめんなさいと怯えた声で言う。彼のこの、癖のような謝罪が僕はあまり好きではない。何に対するものか分かっていないのに、何がいけないのか分からないくせに、謝っておけばなんとかなるとでもいうかのように口にするのだ。溜め息混じりに腕を下ろすとまた彼は肩を竦ませ小さく謝った。「ねえ」ちらちらと彷徨っていた目を覗き込むとじわりと怯えの色が滲む。いつもそうだ、涼太やテツヤとは楽しそうに話しているくせに僕と話すときはいつもそんな顔をする。まともに視線を合わそうとはせず、何を怖がっているのか怯えた眼差しをあっちにふらふらこっちにふらふら、いつも泣きそうな顔をしてにこりともしない。今も別にとって食いやしないのに身構えている。苛立って仕方がない。涼太たちに対する態度を僕にもとればいいのに。「何が怖い?」下ろした腕をもう一度持ち上げ伸ばす。「ほら、また」「ぁ、」竦んだ体に笑えば、ひゅっと息を飲み体を強張らせた彼がまたごめんなさい、と吐き出した。謝ってほしいわけではないのに。哀れなほど青褪めた頬にひたりと手のひらをあてればひんやりとした温度と微かな震えが伝わってくる。きっと涼太やテツヤがこうしてもこんな反応はせず、不思議そうな顔をして見つめてきたり、どうしたのなんて笑うのだろう。拒むよう伏せられた睫毛も細かく震えていて、だんだんと苛立ちが悲しみへと変容していった。「僕のこと、嫌い?」姑息な僕は彼が否定できるわけがないということを分かっていてこんな聞き方をしてしまう。愚かで、哀れだ。彼はあの、えぇと、と必死に何かを言おうと口を動かしていた。けれどその口から何が出てきたって、何を言わせたって、結局それは彼の意思じゃない。一体自分は何をしているのだろう。いつまで経っても彼の頬は温まらないし、目が合うこともない。つまりはそういうことなのだ。彼は僕を受け入れてはくれない。
rewrite:2022.01.06

とうとう透明のひと、とうに透明のひと

ベッドの下から古いラジオだ出てきた。金属部分がところどころ錆ついたそれは随分と長い間放置されていたようだ。いくつも並んだボタンのひとつを押してみようとするけれど、何かが詰まっているのか固くて上手くいかない。どこか押せるところはないだろうかと順々に触れていくと、一番端の小さなボタンがカチリと音を立て動いた。途端、ざりざりとしたノイズが飛び出してくる。まだ動くことの驚きながら側面についたチャンネルのつまみを回してみれば、ノイズに誰かの話声が混じってきた。『……、……』聞いたことがあるような声だがうまく聞き取れない。スピーカーに耳を近付け、聞こえる音に意識を向けながら少しずつつまみを動かしていくと、唐突に笑い声が響いた。その声にはっとして目を開ければいつからいたのか、彼がじっと僕を見つめている。「あ……」征くん、と彼の名前を呼ぶと、彼は優しく笑って僕の頭を撫でた。きらきらとした赤い、不思議な目が弓形になる。「こんなところで寝たらだめだよ、水緒。風邪を引いてしまう」寝てないよ、と首を振ろうとして気付く。ラジオはどこだろう。あの固いボタンと掴んでいたつまみの感触だけがあって、肝心のものはどこにもない。もしかしたら彼が持って行ったのかもしれない。僕が目を閉じた瞬間に。重たい頭をなんとか持ち上げて体を起こすとすぐに彼の腕が回される。少し苦しいくらいの抱擁に目を伏せゆっくりと息を吸った。彼のにおいが肺に満ちていく。少しだけ冷たい彼のにおいはいつだって麻酔のように僕の頭を痺れさせる。何も考えられなくなって、どんどん空っぽになっていくのだ。「水緒、夕飯は何がいい?」「……なんでもいいよ」「じゃあ水緒のすきなものにしようか」体の感覚がどんどん薄くなって、視界が狭まっていく。寝ていいよ、と彼が僕の頭を撫でる。目を閉じて肺の中の空気をもう一度入れ替えたとき、ざりざりとした音が聞こえてきた。あのラジオの音だ。あれ、と目を開けるとベッドの上に転がるラジオが視界に入った。あいしてるよ、と彼が囁く。被さるように、ノイズ混じりの笑い声が響いた。
rewrite:2022.02.06

淋しさは眠たげにまばたく

征十郎の隣にいるといつも自分が消えてなくなっていくような感覚があった。彼の持つ様々なものが少しずつ、俺の存在を削り取っていっていくのだ。あいつの幼馴染、というだけで俺まで同じような“天才”の部類だと思われ期待されることはもう日常茶飯事で、でも俺に“天才”でも“秀才”でも無いからいつもいつも失望される。価値のないものを見る冷え切った暗い目とのっぺりとした顔、それを目の前にすると決まって彼の隣にいる時と同じ、自身が透けてなくなっていく感覚に蝕まれる。それが嫌で、失望されたくなくて必死に努力をしてもそれが必ず実を結ぶとは限らない。少し上手くなっても、俺より上手い、凄い人間なんていくらでもいる。もしかしたらもっとたくさんのものと引き換えに死ぬほどの努力を積めば一軍にはなれたかもしれない。でもたとえそれだけの努力をしても一軍“止まり”なのだ。レギュラーになれることはない。あの彼らを押しのけるには足りないものが多すぎる。俺は一生かかっても彼らと、征十郎と並ぶことは出来ないのだ。それがわかってしまって、何をしても結局失望されることには変わりないのならば、これ以上何をしても意味はないのではないか。強すぎる光は視界を奪う。高すぎる志は道を閉ざす。だから俺は、その時から彼の背を追うことをやめた。けれど心のどこかでまだ、彼に追いつきたいと、彼の隣に立ちたいと思っていたのだろう。だから多分、俺はまだバスケを続けているのだ。「お、洛山勝ったって」「やっぱりな、赤司いるしそりゃ勝つだろ」「だよな。あ、聖司どこ行くの?」「トイレ」「迷うなよ」「おー」チームメイトの声を背にドアを閉める。征十郎は、やっぱりすごい。あの緑間のいる秀徳に勝ったのだ。もしかしたらそれも、当然だと思っているのだろうか?彼の考えはあの頃から変わっていないのか、それとも少しは変わったのか、試合を見ているだけじゃあそんなことまではわからない。だが確かめる術はもうない。だって他でもない俺が捨ててしまったのだ、彼との繋がりも、何もかも。
rewrite:2022.02.18