02

「それで、一体何があったんだ」

椅子へ腰かけそう問うクルーウェルの顔は疲れ切っている。
あの後、教室で転がる生徒二名と外に投げ飛ばされた生徒二名(偶然居合わせたバルガスの風魔法により救出されていた)から事情聴取を行ったり、病院送りにしたり、窓の修理依頼を出したり、散らばった硝子の清掃や学園長への報告をしたりとクルーウェルは非常に忙しかった。ただでさえ新学期が始まったばかりで忙しかったというのに、輪にかけて忙しかった。
何よりも大変だったのが、駆け付けたレオナが大和の乱れた服装に怒り狂い、四人をキングスロアーしようとするのを止めることである。触れるもの全て砂にせんばかりに魔力を荒れさせるレオナをトレインと二人掛かりで抑え、最終的にバルガスの手刀で気絶させることでなんとか死人が出ることもオーバーブロットするような事態も避けることは出来た。出来たが、トレインもクルーウェルもよれよれである。
荒れ果てた周囲を粗方片付け、大和とレオナのいる保健室へ向かう頃にはクルーウェルはもう草臥れ果てていた。
そんなクルーウェルを更に疲れさせたのが、保健室に入ってから目の前で繰り広げられている光景である。
接着魔法でも掛けられたのかと問いたいほどレオナが大和にべっっっっっとりとくっついているのだ。レオナはベッドの上に胡坐をかいた足の間に大和を格納し、ぎゅっと背後から抱き込んで後頭部辺りに顔を埋めていた。
慣れたことなのか大和はされるがままに身を任せており、時折匂い付けでもするようにぐりぐりとレオナに頭を擦りつけられてもこれといって反応しない。

「空き教室に引き摺り込まれて、襲われそうになったので抵抗しました」
「……窓硝子は」
「……ごめんなさい、俺が割りました」
「具体的な経緯は話せるか」
「図書室に行こうとしたらあの教室に引き摺り込まれました。あの四人は前から俺のことが気に食わなかったようで、よく嫌がらせや罵詈雑言を浴びせられていましたが、ここで俺が何かすればレオナや周りの人に迷惑がかかると思い堪えていました。でも服を脱がされ撫でまわされて胸を揉まれたので、いよいよ身の危険を感じ抵抗しました」

とても怖かったです、と言った大和の声はあまりにも棒読みでクルーウェルはなんだか頭が痛くなってきていた。

「無我夢中であまり覚えていないのですが、抵抗した俺に攻撃魔法を撃とうとしている人がいたので咄嗟に近くにいた人を突き飛ばしたところ勢い余って窓を突き破って落下してしまったようです」
「……本当は?」
「投げたら落ちた」
「おい」
「でも正当防衛でしょ、せんせ。俺は四人掛かりで襲われて、汚ぇ手で撫で回された挙句に攻撃魔法まで撃たれたんだぜ」
「正当防衛というには少々度が過ぎる」
「度が過ぎる?じゃあせんせ、俺にあのまま抵抗もせずにレイプされてろっていう訳?それとも攻撃魔法で重傷を負えって?俺が“優秀な魔法士のたまご”じゃないから」
「いや、違う、そういう意味じゃなくてだな」
「せんせ、犬の躾と一緒だよ。人の手を噛むような犬にはちゃんとどっちが上か、誰が飼い主か教えてやんないといけないだろ」

そう言って笑う顔は立派なNRC生そのものである。彼がここに通うと決まった時、やっていけるのか心配していたがそれは杞憂だったようだ。
大和の後頭部や首筋のにおいをひたすらにスーーーーーーッと嗅いでいたレオナがおかしそうにくつくつ笑いながらようやく顔を上げ、「最高だろ、俺が仕込んだんだぜ」と得意げに鼻を鳴らした。

「俺の大事な嫁が舐められちゃあ困るからな。練習台はたくさんいるし、勉強にしろ何にしろ、色々身に着けるにはここはうってつけだろ」
「俺だいぶん喧嘩出来るようになってきた」
「またトーナメント組むか。今度は二、三年も入れてな」
「また、だと……?もしかして入学式の日にお前のとこで怪我人が山ほど出たのはそのせいか」
「いつものことじゃないの?恒例行事だって聞いてたけど」
「バッボーイ!そんなものがあってたまるか!」
「サバナクローでは序列決めも兼ねた恒例行事だ。ただまあ、今回のはいつもよりだいぶん盛り上がったからな、うちじゃ処理し切れない怪我人が出た」

まるで他人事のような顔で言うレオナに、クルーウェルは精神だけが犬になる魔法(クルーウェルが一番得意だと自負している魔法である)をうっかり掛けそうになった。学生時代や新人時代であれば条件反射的に掛けていたであろう。だがクルーウェルはもう立派な教員であるので、ゆっくりと息を吐くことで自身を落ち着けた(その息に殺意が多分にこもっていたことは否めない)。
もうさっさと帰ってゆっくり風呂に入って酒飲んで寝よう、とクルーウェルは「話は以上だ、帰ってゆっくり休め」と切り上げて椅子から立ち上がった。

「いいか、早く帰れよ」

戸口からそう念押しし、クルーウェルは保健室を後にした。
報告書だのなんだのはもう全部明日にして、さっさと帰ろう。今日は心底疲れた、と特大の溜め息を吐きながらクルーウェルはすっかり薄闇に沈んでしまった廊下を歩いて行った。


* * *


「なんか食べたい。めちゃめちゃ腹減った」

クルーウェルが去った後、くるっといとも簡単に向かい合わせに体を回され、それからぎゅうっと絡みついて離れないレオナに大和はそう言いながらもぞもぞと身じろいだ。

「おい、反省してんのか」
「なんの?俺に反省するとこなんてあった?」
「触らせただろ、べたべたべたべた……クソ忌々しい」
「やるなら徹底的にやれって言ったのレオナだろ」
「徹底的にやったのは良い。でも触らせる必要があったか?」
「襲われたっていう事実がないとレオナに迷惑かかんじゃん。正当防衛ならなんでもしていいってラギーも言ってたし」
「迷惑なんかかかんねーよ」
「俺がヤなの!不利な状況は絶対につくりたくねーの!」

ぐぐ、と胸を押され、ようやっと身を離したレオナはひどく不貞腐れたような顔をしていた。不機嫌そうに尻尾はしたしたとベッドを叩いているし、じっとりとした目がちくちくと責めてくる。

「もうしないから怒んないで」
「当たり前だ」
「もうレオナにしか触らせないから」
「当たり前だ」
「じゃあ早く帰って飯食お、腹減って具合悪くなりそう」

機嫌直して、と大和は目の前のすべすべの頬にキスをおくる。レオナがいつも大和へするように、何度もあちこちへキスを落とせばご機嫌斜めにベッドへ叩きつけられていた尻尾がうにうにと踊るように動き出した。
それにくすくす笑いながらも嫌味なほど高い鼻先や、みっしりとした長い睫毛に縁どられた目元、見た目よりもずっと柔らかな唇へ、スタンプでも押すようにむにっと唇を押し付けていく。レオナがよくするマーキングみたいだな、と思いながらすべすべとした頬を甘噛みしたところで、うるるっと目の前の喉からネコチャンのゴロゴロ音に似たものが聞こえて来た。
ゴキゲンな時によく耳にする音に、ますます笑みがこぼれる。

「レオナ、部屋戻ろ。飯食って風呂入って、で、ベッドで続きしよ」

そう言った途端、ふわりと苦くて甘い、コーヒーとチョコレートのにおいが漂い始めた。嗅げば頭がふわふわとしてくるレオナのにおいに、とろりと思考もとろけていく。

「明日は休みだからな」
「れおなは?」
「休み。お前の看病しなくちゃいけないだろ」
「れおなのサンドイッチたべたい……」
「仰せのままに」

とろんとした目元に唇を押し付けてから、レオナは力が抜けてくにゃくにゃになった身体を抱き上げ意気揚々とベッドを下りた。
何かというとレオナはよく大和を抱きかかえるが、その最もたる理由は大和がこの世にちゃんと存在しているという確認が出来るから、だ。世界を越えて来た大和は不確定要素が多く、魔力回路を繋げこの世界に定着しやすくしたとはいえ何が起こるか分からないのである。
まあ単に大和に触れていたいという理由も大いにある。はじめての恋人で、はじめて絶対に手離したくないと思ったものに対して、レオナもまだどう接すればいいのか分かっていないのだ。だからとりあえずぎゅっと掴んでぴったりくっついておこ、という具合になっているのである。
大和を抱きかかけてゴキゲンに尻尾の先をうにうにと動かしながら、レオナは自室へ帰る為に鏡舎へと歩いて行った。

さくら色に煙るやわらかな荒野

2023.04.17