俺がレオナの匂いをフンフン必死に嗅いでいる間に移動していたようで、気が付けば俺はベッドの上に転がされていた。
明らかにシングルではないサイズの広々としたそのベッドからはレオナの匂いが漂っている。
「レオナの匂いがする……」
「俺の部屋だからな」
「なんか、すごい眠たくなってきた」
ベッドのふかふか具合に加えて、頭がふわふわしてくるレオナの匂いに包まれていればそりゃあ眠たくもなる。眠りに片足突っ込んでる夢見心地なんてどころか、もう両足突っ込んでずぶずぶと沈んでいくようだ。
このままゆっくり眠れたらきっとすごく幸せだろうな、と沈むままに身を任せていれば、急激に漂う匂いが強くなって体温が上昇していく。
「ぁ、なに……」
「お前、匂いが強くなってきたな」
それはレオナのフェロモンに引きずられているからだ、と答える余裕がもう俺には無い。どんどん身体は熱くなっていって、何も考えられなくなっていって、ただただ目の前にいるアルファの存在しか感じられなくなっていく。
重たい腕をのろのろとレオナの方へ伸ばせば、ぐうっと顔が近付いてべろりと唇を舐められた。ライオンの獣人のはずなのに、その仕草は犬のように思えて思わず笑ってしまう。
それを狙っていたように俺の唇を舐めた舌がぬるりと口内に入ってきた。あちこち好き勝手につついて絡まってきて段々と意識が朦朧としてくる。気持ち良くてそうなってるのか、単に窒息気味でそうなっているのか、それとも両方なのか分からないけど、初心者向けじゃないレオナのキスに俺はもういっぱいいっぱいだった。
「おら、ちゃんと息吸え」
「す、すえない、しぬ」
ぜはぜはと必死に呼吸する俺を面白そうに眺めるレオナの背中を叩けば、ますます可笑しそうに笑われてしまった。
「初心者に優しくしろって教わんなかったのか」
「優しくしてんだろうが」
「どこが……?」
「いきなり噛みついたりしてない」
剥き出しのうなじをざらりと撫でられ、ぞわぞわして背中が浮いてしまう。
「俺がここを噛めば、お前はもう此処からは帰れなくなる」
「うん」
「お前がどれだけ向こうの知り合いに会いたくてももう会えない」
「うん。レオナがいるならいい」
かつての友人はもういなくなってしまった。新たな友人をつくることも出来ず、何かを相談したり頼ったりできる人もいない。家族もどこか遠い人で、ただただ募る寂しさと言いようのない悲しみを埋めてくれていたのはレオナだけだった。
何度夢から覚めなければいいと願ったか分からない。俺にはもうレオナしかいないのだ。
レオナは俺の答えに満足げに喉を鳴らしまた何かを唱え、周囲にきらきらと光が舞う。
「薬が抜けるまで寝ておけ」
抜けたらもう寝る暇はないだろうからな、と恐ろしいことを言いながらレオナはベストを脱ぎベルトを抜いて、俺の隣にごろりと寝転がった。
ぐにゃぐにゃになっている俺を抱き込んでシーツを被り、匂いを嗅いで満足げに息を吐いている。
身体は熱いままだし眠れるわけがない、と思っていたのに、レオナの匂いがあのふわふわした柔くて優しいものに変わっていて、瞼が重たくなってくる。どきどきするけどすごく安心する匂いにどっぷりと浸かって、夢の中でも夢を見たりするのだろうか、とぼんやりと思いながら沈むように眠りに落ちていった。
* * *
大和の呼吸が穏やかで一定になったのを感じて身を起こせば、途端にむずがって唸る。それが可愛くて仕方がなくて、レオナは小さく笑いながら宥めるように手触りの良い髪や頬を撫でてやった。
「あと少しだ」
大和から香る喉のひどく乾くような、噛み付いて飲み込んでしまいたくなるような匂いを深く吸いこみながら、思わずといったように言葉が零れ落ちる。
センスの欠片もない首輪が守っていた項は真っ新で、何の痕もない。
あと数時間もしないうちにここに自分の痕を刻み込むのだと思うと、大声で笑いだしたくて堪らなくなる。生まれてから一度だって抱いたこのないほどの高揚感と幸福感に、どうにかなってしまいそうだった。
初めて大和を見つけた時、レオナは本能的に「これは自分のためのものだ」と感じた。まだ成長途上のような頼りない身体と幼い顔が信じられないくらい愛おしいものに思える。
しかし力を込めればぽっきりと折れてしまいそうな腕を握った途端、彼は幻のように消えてしまった。
白昼夢でも見たのか、と思ったが翌日の昼下がり、彼はまた現れたのである。
それからは昼下がりの決まった時間に大和は現れるようになった。その時々によって位置は多少ずれるが場所は決まって温室内で、一時間もしないうちに幻のように消えてしまう。
妖精の類にしては不確かで、ゴーストにしては生々しすぎる。
一体どこから来て、どこへ消えてしまうのか魔力を追おうにもそれらしいものは全く感じず、本人からも魔法は空想の世界にしかないと言われてしまっていた。
本人は眠るとこの場へ来るといっているが、どうやってこの侵入防止の結界が張られたここへ入ってきているのかは分からないと言う。召喚などの類も考えたが魔法陣も術式が埋め込まれた魔法具も見つからない。学校内だけではなく王宮や、王族の伝手を辿って手にした書物を読み解いても何がどうなってここにやって来ているのかまるで分からなかった。
ただこの世界ではないところから来ているようで、所謂常識であるとか誰もが知る歴史であるとかはまるで知らない。大和の口から語られる常識も歴史もこの世界のものとは異なっていた。
興味が尽きず、知りたいことが山のように出て来るのに大和がこの場にいる時間はあまりにも短く、調べようにも何も手がないという状況にレオナは少しずつ焦りを感じていた。
突然現れた存在は、大抵突然消え失せる。
大和がいつこの場へ現れなくなるのか全く分からないのに、彼がこの場に現れる原理も留まらせる方法もまだ見つからない。本人はここは夢であると主張するが、この世界に生きるレオナからしてみれば大和のほうが夢のような存在に思えた。
そうして、
「お前は一体何なんだ」
ついに尋ねたその問いを最後に、大和はこの温室へ現れなくなった。
ならば他の場所かとあらゆる場所を探したが見つからないままひと月が経ち、本当にあれは夢だったのだと突き付けられているようだった。
けれど大和は確かにいたのだ。あのふわりと仄かに香る、胸が甘く痛むような匂いをよくよく覚えている。
あれは“レオナのためのもの”だ。この手のうちに仕舞い込むまでは絶対に諦めてはいけないものなのである。
そうしてレオナは現れないのならば喚び寄せればいい、と自身の伝手やコネだけではなく、王族としての伝手や権力すらも用いてありとあらゆる召喚に関する書物をかき集めた。
授業にすら出ずに一日中自室で書物を読み漁り、術式を組み立てて続けること二か月。
「よし」
レオナ渾身の召喚術式がようやく完成した(副産物として大和がこの世界に喚びだされた原因と方法を解明し、ついでに留年も獲得した)。
いくつかの古代魔法を組み合わせたその術式は、簡単に言うと『“運命の人”召喚』だ。術者と最も相性が良く、最も愛に満ちた関係を築けるであろう者を喚び寄せるという、ロイヤルソードアカデミーの連中が知れば歌い踊り花を撒き散らして協力し応援してくれそうなものである。
組み込んだ古代魔法の一つに『異界を渡る鳥の魔法』を組み込んだことで、同じ世界からだけではなく、“ありとあらゆる世界”の存在を召喚対象とすることができた。
ただ、発動には非常に魔力を要する。レオナ自身の魔力では到底足りない。
実家を頼り強力な魔力増強の魔道具や魔法薬を入手するか、それとも寮生の協力を仰ぐか。悩みに悩んだ末、レオナは温室奥にあるモンスターの一種である魔樹(根や蔓、枝葉からあらゆる魔力を吸収し成長する木で、一年に一度実る果実は強力な魔力増強薬の材料となる)を使用することを決めた。
実家に頼って首を突っ込まれてごちゃごちゃ言われるのも嫌だし、大和を喚び出す術式に不特定多数の人間の魔力が流れるのも嫌だというレオナの我儘のもと、魔樹は魔力回路などが密集した根っこを一本ばかしぶった切られることとなったのである。
ぶつ切りとなっても尚うぞうぞと蠢く根を温室の奥に描いた魔法陣の片隅に釘で打ち付けたところで、全ての用意は整った。
あとは術式がきちんと発動し、陣が機能すれば理論上は召喚自体は成功するはずである。
ただ大和が召喚されるかどうかは分からない。
じわじわと光りを帯びていく魔法陣に魔力を注ぎながら、レオナは祈るような心地で陣の中心を見つめていた。陣全体が眩い光を帯びた時、ぶわりと中心から風が吹いて来る。
その風と共に求めていた香りが噎せ返るような濃さで溢れ出し、レオナを包んだ。
成功したのだ。術式はきちんと発動し陣も機能した。ということは、レオナと最も相性が良く、最も愛に満ちた関係を築ける存在は大和であると証明されたも同然。
「っく、はは、」
堪らず笑い声を零しながら、レオナは風の治まった陣の中央にくたりと横たわる身体へと近付いていった。
今までの比ではない、殴り付けてくるような甘くて甘くて喉が渇いて噛み付きたくて仕方がなくなる匂いに、知らず喉がぐるると鳴る。
「(随分とまあ美味そうな匂いだな)」
じわじわと溢れて来る唾液を飲み下し、すやすや眠る大和の肩を揺さぶった。
ピリリと静かな空間に響いた電子音に、レオナは少しずつ匂いの強くなってきた大和を撫でていた手を止めた。
ここに連れてくるまでになんやかんやあった(契約を結ばずに召喚場所を離れても問題の無いようレオナと大和の間に魔力回路を繋いだり、勝手に魔力提供媒体として根をぶった切られた魔樹が仇討ちをしにきたり、それを相手取ったり)が、無事に大和はここにいる。
まだ大和の生態に関して謎な部分は多いがそれはまあ追い追いでいいだろう、これからはずっと共に居られるのだ。
「なんだ」
無視していても鳴り止まない電子音にうんざりと息を吐きながらレオナはサイドテーブルに放り投げていた携帯端末を拾い上げた。
発信者はラギー。どれについての電話なのかと思いながら応答すれば、「アンタ今どこっスか!?」と叫ばれてしまった。その声の向こうからざわざわと騒がし気な音が聞こえてくる。
「寮にいるが?」
怒鳴り声は恐らくクルーウェルのものだろう。その合間からクロウリーの声と、生徒であろう声がいくつか聞こえてくる。
ラギーが今すぐ温室に来るように、と話している最中でその声は遠のき、「キングスカラー、貴様一体何をした」とクルーウェルの怒りに震えた声へ変わった。
「魔樹が暴れていると聞いて来れば桁違いな魔力痕が残っているし、お前のとこの寮生が“とんでもなく良い匂いがする見知らぬ誰か”をお前が連れていたと言っている。その説明をしに今すぐ温室へ来い」
「今日はもう無理だな。明日……いや明後日学園長室で説明してやる。連れて来たやつも連れてな」
返事も聞かずに電話を切ると、「れおな?」と舌足らずでふにゃふにゃに蕩けた大和の声がレオナを呼んだ。同時にぶわりと頭がくらくらするほど濃厚で、甘く熟れた匂いが包み込んでくる。
「薬は抜けたな」
もたもたと起き上がろうとするけれど力が入らないのかぺしゃりとベッドへ崩れてしまう大和へ近寄りながらそう問いかけると、熱に浮かされたような目がぼんやりとレオナを見やる。
「……れおな、はやくぎゅってして」
「くそかわいいな、おい」
「れおな、なんかすごいやらしい匂いする」
「お前のがよっぽどだぞ」
ベッドへ乗り上がって、熱を持った身体に圧し掛かる。どんどん理性が削られていくようで、ただただ目の間の獲物を貪りたくて、自分のものだと印をつけたくて仕方がない。
レオナはぎらつく緑の目を細め、殊更優しい声で問い掛けた。
「もういいな?」
答えとして返って来たのは重ねるだけの拙いキスだったが、それだけで十分だった。
もともとはあなたの一部だった
2022.10.21