04

「つまりなんだ、お前はその少年を救うためにとんでもない術式と陣を作成して、足りない魔力を補うために魔樹の根を切ったと?」
「さっきからそう言ってるだろ」
「……お前、自分が何をしたのか分かっているのか」
「RSAの奴らが知れば手叩いて喜んだ後に歌い踊って花撒き散らしそうなこと」
「確かにな……いや違う!キングスカラー、世界を越える召喚術は原則禁止であると習っているだろう」
「越えるつもりは無かった」
「ああ!?」
「俺はこの世界のどこかに消えたはずの番を喚び戻したのであって、それが世界を越えるものだとは全く思っていなかった」
「おい」
「召喚範囲をこの世界“内”とするはずの術式をうっかり記述ミスしてこの世界“外”とうっかり書いちまったんだ」
「おい、こちらを見ろ」
「うっかりしていた」
「キングスカラー、こちらを見ろ」
「いつもの俺ならばこんなミスするはずがないんだが、徹夜が続いていて知らず知らずのうちに注意散漫となってたんだろう、うっかりしていた」
「ごり押ししようとするなキングスカラー」

はあ、と深い溜息を吐いたクルーウェルは、絶対にこちらを見ようとしないレオナの隣でクルーウェル一押しの店の新作レーズンバターサンドを心底美味しそうに頬張っている少年を見た。
海色の瞳をきらきらと輝かせている少年の首筋にいくつかついた噛み痕。項が一番ひどく、それはもうくっきりと、犬歯の根元まで刺したのであろうほどにくっきりと痛々しい傷痕となっていた。


レオナがその痕をつけたのはもう五日ほど前の話である。温室奥の魔樹の根が切られてから五日、レオナへの事情聴取がこれほどまでに遅れた原因こそがその傷痕、もとい少年であった。
魔樹の根が切られた当日の夕方、全ての授業を終えてから怒り心頭、殺意すらわきそうな状態でレオナの寮部屋へと向かったクルーウェルが目にしたのは強固な施錠と防音の魔法である。一生徒がかけたとは思えないほどの素晴らしい出来ではあるが、もう何年も教師をしている身からすればまだまだ甘い。
こんなもの掛けやがって、とさらに怒りながら魔法を解き開け放った部屋には、今の今まで情事に耽っていましたといわんばかりのレオナと見知らぬ少年の姿があった。二人とも辛うじて衣服は身に着けていたものの最低限な上に乱れており、少年に至ってはもうふにゃふにゃのくにゃくにゃである。
クルーウェルは自身の血管が切れそうな気配を感じていた。それはそうであろう、とんでもないことを仕出かした本人はのんきにお部屋で如何わしいことをしているのだ。
青筋をびきびき浮かせながら一体何のつもりかと問いながら部屋へ一歩踏み入ったクルーウェルだったが、部屋へ踏み込んだクルーウェルに気が付いたレオナによる本気の威嚇に足を止めた。
今にも眠ってしまいそうな顔でサンドイッチをちまちま食べている少年を守るように抱き締め、鋭い牙を剥き出しに唸るレオナからはじわじわと魔力が漏れ出している。辺りの空気が乾燥しはじめたところで、レオナが最大出力のユニーク魔法を自身へ向けて放とうとしていることに気付いたクルーウェルはすぐさま身を引き戸を閉めた。

「どういうことだ……」

明らかに今のレオナは正気ではなさそうだった。数時間前の電話では平時と変わらない様子ではあったので、あの抱えられていた少年が関係しているのだろうが話を聞けなさそうな今は何も分からない。
どうしたものかと思いながら学園長に話をすれば、ならばレオナが電話で言っていた通り二日後に再度話を聞くようにとだけ言われてしまった。明らかに面倒なことが起きたと思っている顔であるし、出来れば何事も無く隠匿したいという気持ちが駄々洩れである。
クソッタレ、と内心で毒づきながらも二日後にまず電話を掛けてみたが繋がらず、最早無の顔で部屋へ赴いてみればまたもや威嚇されてしまった。ただ初日よりも幾分正気を取り戻しているようで、落ち着いたらちゃんと説明しに行くと心底嫌そうな顔でレオナは答えた。
なんで自分がこんなことを、とあまりの苛立ちにお気に入りの店のレーズンバターをヤケ食いした三日後、ようやっとレオナは件の少年を連れてクルーウェルが最早自室代わりに使用ししている薬学準備室へと現れたのである。
そして冒頭の会話だ。

「キングスカラー、もう一度聞く。お前は自分が何をしたのか理解しているのか」
「嫁を召喚した」
「バッボーイ!!くそったれ、なんなんだどいつもこいつも……」

くそ、ともう一度毒づいたところで少年、もといレオナより俺の嫁だと紹介されていた大和がクルーウェルへ向けて、美しい花柄の皿へ盛られたレーズンバターサンドをすすす、と差し出した。

「どうぞ」

少し申し訳なさげに眉を下げた顔は、怒られた大型犬のような風情がある。撫でたくなったが撫でれば恐らくレオナがやかましいだろう。
クルーウェルは黙って頷きレーズンバターサンドを口にした。やはりここのものはいつ何時食べても格別に美味しい。冷めてしまった紅茶を飲み、臓腑のそこから吐き出したような深いため息をついてからクルーウェルは言った。

「ここにいる間はもう二度とああいった魔法や魔樹の使用はしないと誓うならお咎めは無しだ」
「誓う。よし帰るぞヤマト
「ステイ!話はまだ終わってない!」
「ッチ」
「キングスカラー、彼はどうするつもりだ。別の世界から引っ張ってきたのならば戸籍は当然ないし、入学許可を受けていない者はこの学園にはおいておけない」
「戸籍ならもう用意してある。入学許可も受け取った」
「はあ!?」

驚愕のあまりティーカップを落としそうになったクルーウェルの目の前に、ぴらりと紙が現れた。
『特別入学許可書』と記されたその紙の末尾には学園長であるクロウリー直筆のサインが印されている。金でも積まれたか、と苦々しい顔をするクルーウェルに「ヤマトも魔法を使える」とレオナは笑った。

「俺と魔力回路を繋いだから、ある程度の魔法であればこいつも使える。入学許可書もあるんだ、何も問題はないだろ?」
「魔力回路を繋いだ……?お前、いつの魔法を」
「さあ。うちの蔵書室の奥で見つけたから有効活用しただけだ」
「異変は」
「ない。何も問題はないし、むしろ今までよりも流れが整って調子が良い」
「……はあ、分かった。いつから出席だ」
「九月」
「新学期からか。学年は一年か?」
「二年だ。九月までに俺が教える」
「は!?二か月しかないぞ!?」
「足りるだろ。なあヤマト
「ん、なんとかなんじゃない?俺勉強すんの結構好きだし」

魔法など空想の世界のものでしかなかった大和にとってこの世界のあらゆるものが興味の対象となっているようで、この部屋に入ってきた時も机に積まれた本や並べられた魔道具をきらきらした目で見ていた。
あれは何これは何、とレオナとクルーウェルの会話の隙間で小声で尋ねていたし、学びたいという意欲は確かに強そうではある。

「……まあ、何かあれば言え」

疲れ切った顔でまた溜め息を吐いたクルーウェルはぐったりとソファに身を預け、もう帰ってよいと手のひらを振った。
クルーウェルがそういうや否やレオナはさっさと大和を抱えて部屋を後にしていく。なんとも俊敏な動きで、それがなんとも可笑しかった。
クルーウェルが学園長から指示されていたのはレオナから話を聞く“だけ”である。後のことは全部学園長がどうにかこうにかするのだろう、隠蔽や隠匿は得意であろうし。
はあ、と自分以外誰もいなくなった部屋でもう一度だけ特大の溜め息を吐いてからクルーウェルは残ったレーズンバターサンドをひとつ頬張った。
これから学園内は少々騒がしくなるかもしれない。
レオナは寮長なだけあり求心力が強く、憧れを抱く生徒も多いのだ。崇拝の気があるものすらいる。そんなレオナが突然、見たことも無い人間を連れ歩きだしたら周囲はどう思うだろうか。
確かに先ほどの少年は整った顔立ちであるから美醜の点ではあれこれ言われないかもしれない。だが魔力量やその技量、知識といった点では、将来優秀な魔法士となるものが多いこの学園内ではほぼ最下層だ。
おそらく生活する寮はサバナクローになるであろうし、あそこはまさしく弱肉強食の世界だ。いくらレオナの“番”であるからといってそれだけで納得し、そこにいるのを良しとするのは一体どれくらいいるのか。
ひとまず彼の割り振られるクラスの担任になる者にしっかり見ておくよう伝えておかなければならないだろう。

「全く、なんだってうちはこんなに問題児しかいないんだ」

またひとつレーズンバターサンドを頬張り独り言ちるクルーウェルはまだ知らない。
来る九月の入学式、異世界からの来訪者がもうひとり現れることも、それによって巻き起こる騒動も。

フリルとレースとサテンの邂逅

2022.10.22