繊細なかたちで生まれてしまったね


▼ 宮田司郎

人はいつだって過去からは逃げられない。だから忘れたふりをして扉を閉めて鍵をかけて入ってこさせないように見張っているのだ。
しかし水緒はそれが出来ない人間だった。鍵を無くしてしまったのかそもそも扉が壊れてしまっているのか、彼はいつも無防備にその姿を晒し、嬲られ、泣き叫ぶしかない。そうして血塗れで息も絶え絶えなくせに、その影を愛おしむような目をするのだ。
小窓の檻越しに見える彼は、何もないところを撫で笑っていた。

水緒、夕食だ」

もう止めてくれ、と叫んでしまいたい衝動を抑えトレーを抱えて室内に入れば、あっと小さく叫ぶ。その眼は何かを追うように冷ややかな地面を走り、俺の横を通り過ぎて廊下へ向けられた。

「せんせ、ミケが……」
「すぐに戻ってくる」
「でも……」
「ほら、早く食べてしまいなさい」

ぐずぐずと閉められたドアの向こうを見つめる水緒にトレーを差し出す。

「でも、せんせ、ドアを閉めちゃったらミケ、帰ってこれないよ」

握った手の平に爪が刺さり、じくじくと痛みを発している。

「……そうだな」

ドアを僅かに開け“猫”が一匹通れるだけの隙間をつくれば水緒は嬉しそうに微笑んだ。
無垢で、この世の汚れなど一切知らないその笑みは眩しすぎて見ていられない。彼の笑みはその無邪気さ故に人を苦しめるのだ。
箸を手に取りながら、彼はきょろきょろと辺りを見回した。誰かを探すその仕草に噛み締めた歯の隙間から空気が零れる。

「せんせ、まだみんな帰ってこないの?」
「……ああ」
「みんなは何してるの?」
「……」
「僕のこと、」
「いいから、食べろ!」

堪え切れずに漏れ出した怒声に水緒呆然と目を見開き、それからゆっくりと顔を青褪めさせると震える小さな声でごめんなさいと呟いた。何度もごめんなさいと言って涙を落とす。
ああ、今日もやってしまった。いつもそうだ、俺には彼を救うどころか傷付け怯えさせることしか出来ない。幻影に囚われるその手を引いてやるには、俺の手はあまりにも棘が多過ぎる。

rewrite:2022.03.14 | 文字書きの為の言葉パレット(@x_ioroi)「衝動・茫然、呆然・地面」