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この女はずっと自分の大切なものの傍にいたのだと思うと無性に腹が立ったのだ。だから寺山ではなく桃井さつきを撃ったし、桃井の元へ駆け寄る寺山の影を撃ちもせず眺めていた。
寺山のありったけの憎悪のこもる呪詛めいた叫びを聞きながら、赤司征十郎は少しだけ愉快な気分になって薄く笑う。荒れていた気分は幾分落ち着いてきている。
赤司は口元に薄く笑みを刷いたまま、青峰の気配を追い淡々と銃弾を撃ち込んでいった。
少しでもはやく終わらせて、自分は兄のもとへ帰るのだ。なんなら何日か学校を休んで、兄とどこかに出かけるのもいい。海へ行って灯台に上るのもいいし、山の展望台から景色をみるのもいい。自分の見たものを少しでも兄と共有したかった。

そして気が付けば寺山の嵐のような叫び声は止み、倉庫内にはただ銃撃の音だけが響いていた。後でも追ったかと二人のいる辺りを見上げれば寺山は桃井のところにまだ座り込んでいる。
項垂れ動かないその人影に、赤司は丁度良いとばかりに寺山へ狙いを定めた。しかしそれに気付いてのか、青峰の邪魔が入る。

「寺山!動け!」

赤司へ向かって弾を撃ち込みながら青峰は叫ぶが、その声は届いているのかいないのか、寺山は依然動かない。
電池の切れた人形か、廃棄されたマネキンか、そんな風情に赤司はなんだかますます愉快な気分になってまた笑った。

「寺山ぁ!」

せめて寺山だけでもとでも思っているのか、青峰は必死に寺山の名を呼んでいる。だが他人の心配をする前にまず自分のことを第一に考えるべきだし、今はそんな余所見をしている暇など青峰にはないはずだ。
もともと腕を怪我していてそれなりに出血もしているだろうし、このどこか現実味の薄い撃ち合いで疲弊しているだろう。なのに他者を気に掛けるなど随分余裕があるではないか。
寺山も青峰も、なんだかひどく憎たらしく思える。なにもかもが気に食わない。
赤司の青峰を追い詰めていく動きには、数分前の作業じみた淡々としたものではない、獲物を甚振るような悪意が滲み始めていた。
ぎらついたその目には平時の冷静さなどなく、ただただ飢えた獣のようである。

「皆死ねばいいんだ」

それは小さな声だったが、赤司にははっきりと聞こえた。自分が言ったのかと錯覚するほど今の心情そのものの言葉に赤司は動きを止め、ハッと周囲を見回す。
今、完全に我を忘れてしまっていた。こんな状況で冷静さを欠けば足元を掬われる。
いけない、と頭を振り赤司は一度深呼吸すると青峰の影を視界の端で捉えながら通路を見上げた。
座り込んでいたはずの寺山はいつの間にか立ち上がってこちら側を見下ろしていた。そしてもう一度、死ねばいいと聞こえてくる。
寺山が手に持った物から何かを引き抜くような、何かを離すような、そんな動作をしたのを赤司は見た。
それが何であるか考える前に、逃げなければという本能のままに走り出す。寺山の言葉とこちらを見下ろす姿から、計り知れない殺意と憎悪を感じたのだ。
扉へ向かう赤司に気付いた青峰が銃弾を撃ち込んでくるが、応戦する余裕もなく赤司は資材の山を縫い全力で走っていく。
そうして走りながら赤司は寺山が持っていたものが手榴弾か何かかもしれないと思いついた。何かを抜く仕草は手榴弾ならばあり得るし、爆発物を投下した方が銃で撃つよりは確実にこちらを害せる。
威力がどれほどのものなのか分からないが、こんな閉鎖された空間内で爆発させられたらただでは済まないはずだ。そこには寺山自身も含まれている。
きっと自分諸共皆殺しにするつもりなのだ。自身の生きる指標を失ってしまったから。


X X X


僅か数メートル先で崩れ落ちていく体に、寺山は絶叫した。
駆け寄り触れた桃井はまだあたたかくて、もしかしたら腕や足を掠めただけで、ショックで気絶してしまっただけかもしれないと微かな希望が胸に宿る。ぐんにゃりと人形のように力の抜けた体を抱き寄せ、寺山は桃井の名を呼んだ。
じわじわとブレザーの胸元が黒っぽく染まっていくのが薄明りの中でもよく分かる。桃井に触れる寺山の手もじっとりと何かの液体で汚れていった。
桃井の名前を何度も何度も呼ぶがその目は開かない。
だって、そんなはずがないのだ。軍人でも何でもない赤司が、あの距離から、この暗がり立っていた桃井の胸を撃ち抜けるはずがないのだ。
中るはずがないのに、どうしてか桃井の胸元はどんどんと染まっていくし、その身はぴくりとも動かない。まるでもう生きていないみたいではないか。

「うそ、うそよ、だってさつきちゃんは私が守るっていったもの」

まだあたたかいのに、体温は残っているのに、何度呼んでも揺すってもあの美しい桃色が見えてこない。


「さつきちゃん、ねえ」

何度呼びかけても、なあに、とあの優しく柔らかな声は返ってこない。
あの瞬間に寺山の世界は壊れてしまったのだ。
それを理解した途端、煮え滾る感情がどろどろと溢れ出し寺山の口から破滅的な叫びが零れ落ちていった。
あの男が桃井を傷付け、自分から桃井を奪っていこうとしている。嘲笑っているようなあの冷え冷えとした忌まわしい赤い目、あの男が、あの男さえいなければ、あの男さえ生きていなければ。
全てを呪うような怨嗟を吐き出しながら、寺山は桃井を抱き締める。
涙が溢れ出して、それが桃井の頬へ落ち、流れていく。それが桃井の涙のように見え、寺山は口を閉ざした。

「さつきちゃん」

薄く開かれた唇の端から血が零れていることに気付き、指先でそうっと拭った。かつては柔らかな桃色をしていた頬はもう血の気を失ってしまっている。
乱れた桃井の髪を優しく梳いて直し、ひやりと冷たい唇に自身の唇を触れ合わせる。薄い皮膚越しに伝わる柔さは寺山の知っているものと何も変わってない。
寺山は自分の唇についた桃井の血を舐めとり、焦点の定まらない目でその静かな死に顔を見つめた。

「寺山ぁ!」

青峰の叫びを遠くの音のように聞きながら、寺山はまた桃井をぎゅうっと抱き締めた。力の抜けきった体はとても重たく、その重みがどんどん寺山自身を壊していく。
ふと指先に硬い感触が掠め、寺山は顔を上げた。桃井の上着のポケットに何か重たく硬い物が入っている。
取り出してみれば、桃井に支給されていた武器である手榴弾が二つ出てきた。
桃井をそうっと床に横たえ、手榴弾を手に寺山はゆらりと立ち上がる。

「皆死ねばいいんだ」

どいつもこいつも、地獄に落ちればいい。罰を受けるのだ。
ハッと動きを止めた男をじっとりと見下ろしながら、寺山は二つの手榴弾からピンを引き抜く。
桃井が待っているのだ、なるべくはやくしなければ。
寺山は躊躇わずに手榴弾を振り被り、扉へ向かっていく影の方へ投げた。寺山の手から離れていった手榴弾は緩い放物線を描きながら落下していく。
鈍い大きな音と共に熱と衝撃が体中を襲う。
その中で、桃井のあたたかな手が頬を撫でていくのを感じ、寺山はゆっくりと微笑みを浮かべた。

足跡だらけの白昼夢

2022.09.08