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島北部の山の裏から海岸沿いに歩き、神社を辿って井戸の家近くの林内で山から響いてきた銃声に黒子テツヤたちは足を止めた。この音の前にも数度銃声を聞いている。
黒子は神社で見た黄瀬涼太と十江の死体を思い出し、目を伏せた。

「今度は山か」

呟くようにそう言って、火神大我は顔を顰める。

は何処にいるんでしょう。巻き込まれてないといいんですけど」
「まああいつ、すばしっこいしなんかある前に逃げれるんじゃねーか?」
「だといいんですけどね……行きますか?」

それに返事をしようとした時に近くから聞こえてきた音に火神はハッと動きを止めた。黒子の肩を掴み動かぬよう目で訴え、周囲を見回し音の元を探す。
そんな火神の様子に、黒子も身を守るために自身のマシンガンを何かとても重たいものだというようにのろのろと構えた。それを目の端で捉えながら、火神も銃をきつく握り締める。
音はだんだんと近付いてきていた。
そうして音がすぐ傍までやって来た時、突然黒子がマシンガンを下げ音の方をどこか呆然とした顔で見た。

「おい」


どうした、と火神が問うより前に黒子は走り出していた。

「ばか、黒子っ」

なんだってこいつは勝手なことばかりするのだ、と舌打ちしながらも火神は後を追いかけ、黒子が誰かを抱き締めているのを見つけた。否、誰かなんてわかり切っている、ずっと黒子が探していた東雲だ。
どこをどう歩いてきたのか、東雲の制服も足元に投げ捨てられたデイパックもあちこちが土で汚れている。
無事で良かった、と何度も言う黒子の言葉通り、見た限りでは東雲に怪我らしい怪我は見当たらない。上着にもスラックスにも土以外に汚れは見た限りではなく、それが何だか火神には妙に恐ろしく思えた。
それになにより、ポケットから覗く銃のグリップ。東雲に支給されたのはアイスピックだったはずで、ならばどこかでその銃を手にしたのだ。誰かを殺して奪ったのか、“偶然”倒れている誰かから手に入れたのか。そう思う火神の脳裏には佐野雄大の顔が浮かんでいる。
黒子は気付いていないのか、気にしていないのか何も言わず、その顔からは何も読み取れない。

「テツヤくんも怪我ない?」
「ええ、僕も火神君も無事です」
「そっか、良かった……」
、ずっとひとりだったんですか?」
「ん、そう。話の前にとりあえず移動しよ。山からできるだけ離れないと」

どこか緊張した面持ちでさっと辺りを見回してから、東雲は握り締めていた方位磁針に視線を落とす。

「何かあったのか」

不安げな顔をする黒子の手を引き歩き出した東雲へ、火神はそう問いかけた。強張った顔のまま、東雲は火神を見上げ言う。

「近くに赤司くんがいる」


X X X


山を下り赤司征十郎はもともと向かう予定であった灯台のほうへ足早に向かっていた。
山頂の展望台横にある小屋の中を見てからというもの、赤司の中で一刻も早く終わらせて帰りたいという気持ちが非常に強くなっていた。
兄に会いたい。今までも何度か合宿や家の用事等で一日以上離れることはあったけれど、時間があれば電話をしていたから声だけは毎日聞いていたのだ。それが今は連絡手段がない為に、声も聞けていない。そんな事態は赤司にとっても兄にとっても初めてのことである。
兄が安全な場所にいると分かっている赤司はまだ良いが、兄は赤司が生きているのかもう死んでしまっているのかも分からない状況だ。きっと修学旅行どころではないだろう。
早く帰って兄を安心させたいし、自分も安心したい。ああ兄は今どうしているだろう、ベッドにでも籠ってしまっているのだろうか、ともう何度目になるか分からない兄のことを考えながら草をかき分けて行くと、何かが見えた。
草や葉の緑とはまた少し違う緑色の髪。緑間真太郎だ。
ぐったりと木に寄りかかり動く様子はない背は、赤司が近付いても身動ぎする気配すらない。回り込み見れば脇腹周辺が赤黒く汚れていた。薄く目の開かれた青白い顔に生気はない。
そのすぐ傍に誰かの上着を掛けられている生徒を見つけ確認してみたが、そちらももう息絶えているようだった。目を閉じた青白い顔は茉柴のもののようで、ならばここに高尾和成もいたはずだ。赤司はさっと周囲を見回したがそれらしき影も気配もない。
もし先程の発砲音の元がここならば、高尾は発砲した人間を追いかけて行ったのかもしれない。

銃声の響いた方角から逃げるように走ってきていた東雲のことを思い出しながら、赤司はそのまま真っ直ぐ灯台へと向かった。人がいないかと見て回ったが、もともとあった四人分の死体以外は人も新たな死体もない。
まあ入り口近くに死体の転がる場所へ入ろうという人間はそういないだろう。
次は観光協会へ向かおうと林の中に足を踏み入れた時、一瞬、ぞっとするようなものを感じて赤司は足を止めた。
視線だ。誰かが近くにいる。
すぐに走りだせるよう身構え耳を澄ませるが、自分の呼吸音と風の立てる音以外何も聞こえてこない。
しばしの静寂の後、かさりと微かな、けれどはっきりとした音が赤司の耳に届いた。
半ば反射的に振り返り引き金を引く。銃弾は木を抉り辺りに小さな木片が散る。
向こうも銃声に咄嗟に動いたのだろう、その姿が見えた。青峰だ。
赤司はその手にサブマシンガンとは別に拳銃が握られていることに気付や否やすぐに走り出した。
瞬発力や敏捷性は自分より青峰のほうが格段に高い。そのうえあちらには拳銃だけではなく、もともと青峰に支給されているサブマシンガンがある。半端に障害があり広い場所での撃ち合いはこちらの分が圧倒的に悪い。
赤司はこの辺りにある建物の場所をざっと思い浮かべ、行き先を倉庫のある家へと変更した。


X X X


井戸のある家からもそれなりに離れた西海岸付近の林の中で、黒子は東雲を手当をしていた。東雲も怪我をしているかもしれない、と火神が診療所から持ってきていた救急箱に黒子は心底感謝した。
まあ手当といえど大した怪我ではなく、林の中を駆け抜けたことによって出来てしまった切り傷や、地面を転がったり斜面を滑り降りたせいで出来てしまった擦り傷である。

「ありがとう」
「いいえ。随分傷だらけですけどどうしたんですか?」
「山で地面転がったり滑り落ちたりしたから」
「えっ、落ちたんですか!?どこか痛いとこないです?」
「あの山斜面が急なところがあってね、ちょっと滑っただけだから大丈夫だよ」
「そうですか……山にいたんですね」
「うん。でも赤司くん見かけてすぐ下りてきた」

テツヤくんに会えて本当によかった、と小さく呟く東雲の絆創膏だらけの手をそっと握り締めながら、ふと黒子は思った。
東雲は今までどこにいたのだろうかと。その脳裏を過るのは、最初の三人の目的地であった農協の惨状だ。

、はぐれてからどうしていたんですか」
「あ、話すって言ってたもんね。佐野くんから逃げた後は真っ直ぐ農協に向かって、そこで二人がくるの待ってた」
「農協にいたんですか?」
「うん。でもすぐ人が来て出て行ったから……多分二、三十分もいなかったんじゃないかな」
「人って」
「声しか聞いてないけど、女の子だよ。すぐ出たから何人かは分かんないけど、一人じゃなかった」

二人の脳裏に農協で見た四人の女子生徒が浮かんだ。東雲が聞いた声は、恐らく彼女たちのものなのだろう。

「それからはさっき通った井戸の家とか、神社とか……」

そこで東雲の言葉は途切れ、その目は悲し気に伏せられた。東雲も神社の境内で黄瀬涼太の死体を見つけたのだろう。
東雲が黄瀬と親しかったことを思い出し黒子は慰めるように細い肩を抱き寄せた。そっと寄りかかる体温と重みに、黒子は彼が生きていて良かったと心底感じていた。

「誰にも会わなかったんですね」
「時々見かけたけど、怖くてすぐ逃げてたから」

嘘だ。
火神は黒子にくったりと身を預けている東雲の話にそう確信していた。本当のことも話しているのだろうが、全てが本当ではないはずだ。
なんといえばいいのか、臭いがするのだ。東雲はもう何人か殺めている、火神にはそんな気がしてならない。そしてその銃でいずれ黒子や自分を殺すのだ。
黒子は怒り否定するだろうが、火神にはそれこそが嘘偽りのない真実のように思えてならなかった。

てのひらで育てた火種

2022.08.26