25

赤司征十郎が撃ち放った弾のひとつは、青峰大輝の左腕、肘の辺りの肉を抉り取って行った。
どん、と鉄の棒で殴られたような衝撃に青峰は足を止め衝撃を受けた部分を押さえる。ぼたぼたと落ちた血がアスファルトに斑模様を描いていく。
止血しなければ、と思っている内に赤司の背は柵を乗り越えてすっかり見えなくなってしまっていた。自分とは違いデイパックを背負っているのに、あの身軽さはなんなのだろう。まるで猫のようだ、と思ったところでそんな可愛いものじゃないと息を吐く。
くそ、と小さく毒づいて青峰は駆け足で桃井さつきたちの場所へ戻っていった。
近付くにつれ、桃井の瀧川聖司の名を何度も呼ぶ声が聞こえ、青峰はさっと顔色を変えて急いで塀の向こうへと進んでいく。物音に振り返った桃井は一瞬拳銃を握ったが、相手が青峰だと分かると叫ぶように言った。

「大ちゃんどうしよう、全然、血が止まんないっ」

しかし青峰の白いはずのブレザーが赤く染まっているのを見て桃井は言葉をなくした。見開かれた目からぼろりと大きな涙が落ちていく。

「大した怪我じゃねえよ、心配すんな」

痛みを堪えながら言うけれど所詮痩せ我慢だと知れる。
桃井は泣き濡れた顔で、それでも手早く余っていた包帯で止血処置を施していった。

「おい、聖司」

今できる限界の処置をしてもらい、青峰は桃井の向こうで横になっている瀧川へ近寄る。
まだなんとか意識はあるようで、瀧川は眩しそうに青峰を見上げた。おかえりと笑った顔は痛みに引き攣り、ひどく血色も悪い。包帯の巻かれた肩の傷からは止めどなく血が滲んでいた。

「だいき……俺、だめかも」

ははっと、また無理矢理笑った瀧川に青峰は顔を歪めた。
なんだって、自分たちがこんな目に合わなければならないのだろう。なんでこんなクソみたいなモノが当たり前のように存在しているのだ。こんなものがなければ、瀧川もこんな怪我などせずに済んだし、桃井も泣かずに済んだし、同級生だって誰一人死なずに済んだはずだ。

「なあ、」

息も絶え絶えなくせになおも瀧川は話そうとする。

「もう喋んな、黙ってろ」

どうしてこいつなのだろう。いつも人のためを思って行動するようなどうしようもない馬鹿が、なんでこんな簡単に死ななきゃならないのだ。あの無感情な目、あいつこそ、死ぬべきだろうに。
強く歯を食いしばっていないとそんなことを喚き散らしてしまいそうで、青峰は瀧川のだらりと置かれた手を強く掴んだ。そんな青峰に瀧川は泣いてんのかよと笑ってみせる。
しかしその目はぼんやりとしていて、もうどこも見ていなかった。もう見えなくなってしまっているのかもしれない。
どんどん細く弱くなっていくその呼吸音を聞きながら、青峰は必ず赤司を討ち倒すことを誓った。


X X X


島北部に位置する山の山頂にある展望台はそれなりに大きく、上れば東にある灯台や学校の頭まで見えそうに思える。山もそれなりに高かったので、結構遠くまで見渡せそうだと思いながら、紫原敦は展望だの傍にあった小屋の中へと入った。
小さいながらも簡易的なベッドや机、クローゼットも置いてある。幸いにも小屋内には誰も居らず、紫原たちはここをしばらくの休息地にすることを決めた。
まだ息の整わない鶴賀水緒をベッドへ座らせ、紫原はそっと窓の外を覗く。木枠の小さな窓からはうっそうと生い茂る木々が見え、辺りは随分静かだ。薄く窓を開けると、風で揺れる葉の音までしっかりと聞こえてきた。この辺りは葉と枝が多く落ちていたから、誰かが来たら足音で分かるかもしれない。
窓を薄く開けたままにし、紫原はベッドの横へデイパックを下ろすし上着を脱ぐとベッドへ勢いよく突っ込んだ。
意外と弾力のあったマットレスが弾み、すぐ隣に座っていた鶴賀がふにゃふにゃした声をあげながら紫原の方へ倒れ込んでくる。

「は~水緒~」

倒れ込んできた鶴賀を自分の身体の上まで引っ張り上げて、ぎゅうっと抱き締める。ずしっとした重みとあたたかさに、紫原はゆっくり深く息を吐いた。
そうして少しずつ落ち着いてくると、恐怖より疑問と怒りにも似たものがじわじわとせり上がってくる。どうして赤司はあんなにも平然と人へ銃を向け、そうして引き金を引いてしまえるのだろうか。命の危機が迫れば、誰でもそうするのだろうか。先ほどは逃げたけれど、次、誰かと遭遇した時、自分はどうするのだろう。
自分と鶴賀を守るために誰かを殺せるのだろうか。

「あつしくん、大丈夫?」

小さな手がそっと頭を撫でてくる。壊れ物にでも触れているのかというようなそうっとした手付きは、自分が鶴賀にする時よりもずっとずっと、くすぐったいほどに優しく、じわりと心の内が解けていった。
あたたかい手のひらの感触に、紫原は笑い、鶴賀を抱き締める腕の力を強めた。

「うっ、あつしくん、中身でちゃう……」
「あ、ごめん」
「しばらくここにいる?」
「たぶんね」

鶴賀を上に乗せたまま、ずりずりと紫原は移動しベッドへ横になる。固い枕に頭を埋め、楽しそうにくすくす笑う鶴賀を撫でてもう一度ゆっくりと息を吐いた。

「あつしくん、靴、脱がなくていいの?」
「ん~、いい。そのまま履いてて」
「寝る?」
「……ちょっと寝る」

胸元にぴたりとくっつけられた小さな頭を撫でていると、だんだんと自分の中が穏やかな波に満たされていく心地になる。
眼を閉じるとゆったりとした鶴賀の呼吸音が聞こえて来た。窓の向こうからは風の音と、擦れる葉の音だけが聞こえ、誰の足音も発砲音も聞こえない。あまりにも静かで、自分たちだけ違う場所にいると錯覚してしまいそうだった。
これがずっと続けばどれほどいいだろう。あんな恐ろしいことには関わらず、こうやってのんびりと鶴賀と過ごしていられたらと願わずにはいられない。
どうかここには誰もやって来ませんように、と願いながら、紫原は穏やかな眠りへと沈んでいった。


X X X


涙は出て来なかった。泣いてはいけないとどこかで思っていたのかもしれない。
もう力の入っていない手を強く握りしめたまま、青峰は青褪めた顔で目を閉じた瀧川の顔を見つめていた。
色々な感情か混ざって絡まり合って、じっとりと腹の奥に溜まっていく。そこから浮かんでくるのはただただ純粋な怒りと殺意だった。

瀧川の前から動かない青峰の背中を見ていると胸が痛くて堪らなくなくて、桃井は嗚咽を抑えるように口元を塞いだまま涙をどんどんと落としていく。
なんて酷いものだろう、プログラムだなんて、一体誰がこんな惨いことを考えたのだ。理不尽さに対する怒りはある、けれどそれ以上にただただ悲しみが深くて重い。
瀧川は善人だった。昔からずっと、誰かのために何かをする人だった。
随分昔、桃井が大切なぬいぐるみを無くしてしまったとき、瀧川は青峰を引っ張って来て日が暮れても一生懸命捜してくれたことがある。桃井が泣いていると一番に駆け付けてくれるのはいつだって瀧川であったし、その一番が寺山へ代わった今でもそれは変わらない。瀧川はそういう男だった。
一体これからどうなってしまうのだろう。瀧川は青峰の幼馴染でもあるが、唯一無二の親友のような存在だった。そんな人を亡くして、青峰はどうなってしまうのだろう。
考えるのは怖かった。けれど桃井の頭は勝手な予測を次々と弾きだし提示していく。
一番可能性として高いのは、瀧川を殺めた赤司への報復であろう。長年の付き合いからも青峰がここで黙って折れてしまうような人だとは到底思えない。必ず一矢報いるはずだ。
たとえ、自分の死と引き換えになってでも、きっと青峰は赤司を手に掛けようとするだろう。

「さつき」

どれくらいの時間をそう過ごしていたのか、ぐるぐると止まらない思考を抱えて涙を落としていた桃井を青峰が呼んだ。
デイパックを背負った青峰は桃井を半ば無理矢理に立たせ、背を押す。

「行くぞ」

強張り表情の抜けた顔の中で、青い目だけがぎらぎらと強く輝いていた。

絶望でひとは死なない

2022.07.22