気配はなかったが、予感というものよりももっと薄い、何か嫌な感じはした。鋭い針で小さく突かれているようなちりちりとしたものを感じ、咄嗟に青峰大輝くは足を止めたのだ。
それが幸運なことだったのか不運なことだったのか分からない。ただ、青峰は鉛に貫かれはしなかった。
すぐ近くで銃声が響き、突然止まった青峰を振り返った瀧川聖司の体が不自然に揺れ動く。何が起こったのか分からず、きょとんとした顔で青峰を見つめていた瀧川の右肩がじわじわと赤くなり始めた。白いブレザーがどんどんと赤黒く染まっていく。
青峰の顔が驚愕に歪み、見開かれた目が真っ直ぐ自分を見ている。瀧川は自身の身に何が起こったのかそこでやっと理解した。途端にくらりとして、桃井の悲鳴がひどく遠く聞こえる。
「聖司!」
青峰は周囲を見回しながら瀧川の左腕を掴み引き寄せ背負われたデイパックを引き剥がすように落とすと、傷付いたその体を半ば抱えるようにして走った。ブレザーはどんどん赤くなっていく。瀧川が青峰に抱えられながら撃たれた部位を押さえるけれど、まるで意味を成していない。
一体どこから撃ってきたのかこの辺りは家や塀など障害が多過ぎて青峰には分からなかった。けれど聞こえた方向からおおよその判断をして青峰はその家を振り返り見て、
「くそっ!」
燃えるような赤い髪。
危惧していたことが起こってしまったのだ。
「大ちゃんこっち」
最悪だ、こんな隠れる場所の多いところで赤司征十郎と鉢合わせしてしまうなんて。
青峰たちが通り過ぎようとしていた家の影から出て来た赤司は、真っ直ぐ逃げるこちらへ銃を向けている。いつもと変わらず平坦な顔が恐ろしくてならない。なんだってこんな時でまでそんな澄ました顔をしているのだ。
瀧川の痛みを耐える声が耳元で聞こえ、青峰はどうしようもない怒りを抱き始めた。
くそ、くそ、と何度も口の中で悪態をつきながら桃井に導かれるまま角をいくつも曲がり、塀の中へ飛び込む。家の脇を通り敷地の奥まで行くと、青峰は瀧川を朽ちかけた芝の上に座らせた。
「はやく止血しないと。上着脱げる?大ちゃん、手伝って」
桃井は青峰と瀧川へ指示を出しながらデイパックの中を探り、診療所から持ってきたガーゼや包帯を取り出した。口調はしっかりとしていたが、包帯を握るその手はひどく震えている。
「さつき、貸せ。俺がやる」
真っ青な顔をしている桃井の手から包帯を奪い、ガーゼをあてた傷口付近をきつく縛る。痛みに呻く瀧川を桃井は泣きそうな声で何度も呼び、話しかけた。
その声の隙間を縫うように、塀の向こうから足音が聞こえてくる。ゆっくりとこちらへ向かってくるその足取りは何もかも分かっているような余裕さえ感じさせた。
「さつき、聖司のこと見ててくれ」
「大ちゃんっ」
「もし誰か来ても、それで殺せ。いいな」
瀧川へ持たせていた銃をベルトから引き抜き、桃井の手へ握らせる。酷く震えるその手を銃ごと握り、「俺が戻るまで、今度はお前が聖司を守れ」とだけ言い青峰は自身のサブマシンガンだけを手にし、赤司を迎え撃つために塀の向こうへと出ていった。
ここに、絶対に赤司を近付けるわけにはいかない。青峰は見えた赤色へ向けて引き金を引いた。少しでも二人から引き離すように撃って走る。
どうして、と口をついて出そうな問いを飲み込んで歯をくい縛り、青峰は赤司を追い続けた。
X X X
人の住まなくなった家というものは、どうしてこうも妙な気味の悪さがあるのだろう。
住宅地内最北部に面している家々とその眼前に広がる雑木林との間に作られた道を歩きながら、火神大我はかつての住民たちが半端に残していった生活感にそっと背中に触れられるような不気味さを感じ、落ち着きなく周囲を見やった。
きっとこの内部はもっと気味が悪いのだろう。人の住んでいた気配だけを残した廃墟となった家々、朽ちて荒廃しつつある庭、自分の足音しか響かない、閑静すぎる住宅街。考えただけでもゾッとする。
「なんですか、そんなきょろきょろして。何かいました?」
「あ!?」
「静かにしてください」
響くんですよ君の声、と黒子テツヤに睨まれ謝りながらも火神の視線はあちこちへ飛んでいっていた。それに小さく溜め息を吐きながら、黒子は方位磁針で方向を確認し歩いていく。
住宅地沿いに西の方へ進んでいけば東雲がいるかもしれない農協に辿り着ける。どこまで住宅地に沿って歩くかを慎重に決めないと、うっかり学校のある禁止区域へと踏み込んでしまう可能性があるため黒子は地図と方位磁針でしきりに自分たちの現在地を確認していた。
「なあ、ほんとに農協に東雲いんのか」
「行ってみないと分かりません。でも僕らはあそこへ向かうという予定でしたから、そこで僕らが来るのを待ってるかもしれません」
「……そうか」
「……なんですか?」
「いや、なんか、ヤな予感がするっつーか」
「……」
「なんか、じりじりすんだよ……食いもん探して他の奴がいそうだし、もしそこに東雲がいたら、」
弾けるような音が火神の言葉を遮った。すぐ近くで聞こえた銃声に、火神は咄嗟に黒子ごと身を低くする。
女子の甲高い悲鳴が聞こえ、聖司、と名前を叫ぶ声も聞こえて来た。すぐ近くに居たのだろう、走っていく足音が聞こえ、それは次第に遠ざかっていく。
「急ぐぞ」
青い顔で音のした方を見ている黒子の腕を引き火神は走り出す。
時折後方や家々の隙間から内部を覗きながら住宅地沿いを走っていると、ぱらららっと黒子の持つサブマシンガンが鳴らすものに似た軽快な音が聞こえて来た。その音に混じり、時折断続的な音が聞こえてくる。
「皆、」
ふいに黒子が口を開いた。
「やっぱり引き金を引くんですね」
あれこれごちゃごちゃ考えたところで、結局最後は誰かの首に手をかけるのだ。自分と同じのように。
せり上がる吐き気を堪え、黒子は方位磁針を強く握りしめ火神の背を追い駆けた。
X X X
肩といえど、鎖骨下動脈など太い血管を傷付けば十分致命傷となる。もし助かったとしても片腕が使えないとなれば、今の状況では随分と不利になるだろう。
青峰たちの後を追い角を曲がって行きながら、赤司は弾数を確認する。
瀧川とは何度も会話をしたことがある。クラス内でも他の同級生に比べればかなり交流があった方だし、瀧川の持つ、あの共にいる人間を和やかにさせるような、楽しくさせるような独特のものは嫌いではない。
だが、それでも赤司は何も感じていなかった。機械のように淡々と追い、狙いを定め、躊躇いなく討ち取っていくのだ。
三人が逃げ込んだであろう場所へ近付いていくと、塀の向こうから青峰が飛び出してきた。その手にはサブマシンガンのようなものが握られている。
赤司はため息をひとつ吐いた。こちらの武器は拳銃とナイフがひとつ、まともにやり合えば怪我を負う可能性は高い。引き返して物陰に隠れると追うように連続した破裂音が聞こえた。
軽やかなその音から距離を取り、止まった隙に物陰から撃つ。走りながらだと全く安定せず、命中率が大いに下がっていた。だが止まれば銃弾を浴びる羽目になる。
柵を乗り越え振り向きざまに赤司は銃を構え、撃つ。撃った弾がどこかに中ったのか、それとも追うのを中断したのか青峰の足が急に止まった。怪我のひとつでもしていればいいが、どうだろう。
柵を乗り越え北の方へと走りながら、赤司ははっと息を吐いて少しだけ笑った。まさかあんな映画や小説で目にした銃撃戦のようなことを自分がすることになろうとは。
ゆっくりと走る速度を落とし方位磁針を確認する。もう少し東へ行ってから北上した方が安心だろう。ぬるい水を飲んで、赤司は一度足を止めた。
青峰に対抗するにはどうすればいいか。
ああいった連射のきく武器は、持つ人間にもよるかもしれないが恐らく支給されたもの中でも最上位にあるのではないだろうか。あれに対抗するとなれば、もう少し使えるものが必要だ。
拳銃ひとつではあまりに心許ない。周囲に隠れられそうな障害はあるかどうかでも変わってくるだろうが、いつどこでまた遭遇するか分からない以上、なるべく早急に使えそうなものを手に入れたかった。
あと同級生が何人、誰が残っているのか知りたいところだが定期放送まではまだまだ時間がある。
立ち止まっていると、じんわりとした疲労と眠気が押し寄せてきて、欠伸がこぼれた。一度ゆっくり休憩した方が良いだろう。
林が見え始め、走るのをやめる。落ち着いてくると今度はもったりとした眠気が押し寄せてくる。そろそろ本当に睡眠を取りたい。民家では眠ることも出来なかったからいい加減少しは眠った方が良いだろうし、一度ゆっくりと休憩したかった。
再び歩き始め、見えてきた林の方へと向かう。赤司はぼんやりと診療所のベッドが硬くないことを願った。
可視の不可避
2022.07.16