東雲は自分自身のことをよくよく知っている。自身の容姿が他者からはどのように見えるのか、どのような効果を与えられ、どうすれば影響を与えられるのか。どれだけのことが出来て、どれほどのものが出来ないのか常に探求し続け、理解していった。だからそれを弁えていつも行動している。
クラス内どころか校内でもトップを誇る赤司征十郎や黄瀬涼太には劣るものの、東雲も女子に騒がれる程度には整った顔立ちをしていた。黙っていれば少々冷たく見えるけれど、笑うと途端に子供のような可愛らしさが滲む。東雲はそれもよく知っていたから、なるべく笑顔でいるように心掛けている。
広川綾に手を引かれ上がった二階は会議室や応接室のような部屋があった。広川は一番奥の部屋、休憩室のような場所へと入っていき、そこにはやはり予想通り広川と同じグループの女子である多田恵理(女子十番)や山口真琴(女子二十番)、そしてグループのリーダーである斉藤あかね(女子七番)がいた。
東雲が部屋に入って来た時、三人は顔を強張らせたが広川の説明と東雲の申し訳なさそうな笑みにすぐその警戒を解いた。
「君、眠たい?」
「あ、ごめんね、ちょっと考え事してた」
東雲はドアの傍にあったソファセットの一脚に腰掛け、広川を除いた三人の話を聞いていた。広川はあの後再び一階へ戻って行ったのだ。交代で見張りのようなことをしているらしい。
全くもって東雲の興味を引かない彼女たちの中身のない話に内心溜め息を吐きながら、頷いたり笑んだり、聞いているふりだけはする。東雲の右隣に腰掛けた斉藤が時折、頬を突いて来るのが鬱陶しいが、それも黙って受け入れた。
黒子テツヤはどれくらいでここにやって来るだろうか。いつまで彼女たちと一緒にいなければならないのだろう。
「そういえばなんか食べた?」
「ん、パン少しだけ。なんか、あんまり食べれなくて」
「じゃあさ、シチュー一緒に食べない?」
「シチュー?」
「下で綾がレトルトのやつ見つけて、まだ食べられそうだったんだよね」
「いいの?皆で食べる分減っちゃうよ」
「へーきへーき、まだ下にいっぱいあるから!」
じゃあ、と頷けば、何が楽しいのか三人はきゃあきゃあ言いながら盛り上がっている。山口と多田が連れ立って休憩室の奥にあった扉の向こうへ消えて行った。そこが給湯室のようなものになっているらしく、カセット式のガスコンロなどがあり簡易的なキッチンとしても使用できるようだ。
東雲の横に座ったままの斉藤が不意に袖を掴んできた。佐野雄大の血が付いている部分だ。
「これ、どしたの」
「……僕と一緒にいた佐野くんの」
「佐野の?佐野は?」
一度口を開いて、それから閉じる。東雲は黙ってただ首を振った。
「そっか……なんか、なんかさぁ、まだ嘘みたいに思っちゃうんだよね。音とか聞いても、放送でも流れてたけど、なんか全然、うちのクラスのひとたちが殺し合ってるとか思えなくて」
「うん」
「特にうちらははじめってわりとすぐにここに来て、そっから誰とも会ってないから余計そういうの、なんか分かんなくて」
「……僕だってそうだったよ」
「ほんとに皆……」
重たい沈黙が場に満ちていく。けれどハッと斉藤は顔を上げて東雲を見た。
「ていうか君、黒子と一緒じゃなかったの?」
「一緒だったんだけど、途中で逸れちゃって……それで佐野くんと会って、一緒にいたんだ。逸れる前に農協に行こうって言ってたから、もしかしたら先にここに来てるんじゃないかと思って」
「そなの?じゃあさ、黒子が来るまでうちらとここにいなよ」
「でも、邪魔じゃない?」
「ぜーんぜん。ていうか君なら居てくれた方が安心する。癒しオーラ出てんもん」
「あはは、なにそれ。じゃあ、ここに居させてもらおっかな、ありがとう」
照れたように薄く染まった斉藤の顔を見つめ、東雲は嬉しそうににっこり笑った。
黒子が来るまでただ黙ってここにいるかどうするか、シチューを食べながらでも考えよう。
再び始まった斉藤の話に耳を傾けながら、東雲は佐野のポケットから持ってきた銃弾の数を思い出していた。
X X X
住宅地を抜けて再び林の中へ入ると、途端に生い茂った葉に遮られ周囲が薄暗くなる。そこでようやっと、紫原敦は足を止めた。
周囲を見回し木々の隙間からも赤いものが見えないのを確認すると、担いでいた鶴賀水緒を下ろして木の根元にしゃがみ込む。心臓も脇腹も痛くて、殺されるかもしれないという恐怖が抜けなくて、鶴賀の手をただ握った。
「あつしくん、大丈夫?お水のむ?」
隣にしゃがみ込んだ鶴賀が、開いている左手で紫原の背負うデイパックを開けて水のボトルを取り出そうともたもた手を動かしている。そうして探り当ててなんとか引っ張り出した水のボトルを紫原へ差し出し、笑った。
いつもと変わらない、何も知らない恐ろしくなるほど無垢な笑みに紫原は安堵のあまり泣いてしまいたくなった。大事な幼馴染を殺されずにすんだ。まだ鶴賀は目の前にいて、あの眩いほどの笑みを見せてくれる。
「ありがと。……水緒も飲む?」
「ちょっとだけ……、ん、ありがとう」
「水緒、歩ける?少し休む?」
「歩けるけど、でもやすも?あつしくん、疲れてるでしょ?」
まだ少し脇腹が引き攣れるような感じがあるけれど、歩く分には全く問題はない。けれどもし誰かに遭遇した時にまた逃げられるかと言えば、分からない。
紫原は鶴賀の申し出に頷き木に靠れるように座ると、鶴賀の手を引き胡坐をかいた自分の膝に座らせた。鶴賀の重みと体温に安堵を覚え、その身体を囲うように腕を回す。
どこまで鶴賀が現状を把握し理解しているのか分からないが、今が“いつも”とは全く異なることは理解しているのだろう。鶴賀は紫原の腕の中で隠れるように小さく身を丸め、ぴたりと胸元に寄り添っていた。また紫原の心音を聞いているのだろう。
丸い小さな頭を撫でていると、鶴賀がもぞもぞと動き出した。
「あつしくん、あったかくて寝ちゃう……」
緊張感など欠片もない場違いなほど柔らかな瞳が眠気でとろけかけている。心音を聞いて落ち着いたのか、くったりと凭れ掛かったままなものの、小さく丸まっていた身体はのびのびと伸ばされていった。
ふわあ、と暢気に欠伸をこぼす鶴賀につられて紫原もくありと欠伸をしてしまう。
「うつった」
「んふふ、おっきい口だね」
「水緒は口もちっちゃい。鳥じゃん」
「そんなにちっちゃくない。太巻き食べれるもん」
「んふ、噛み切れなかったのに?」
「口には入った」
「あははっ」
拗ねるように突き出された唇を摘まんで、紫原はくふくふ笑う。文句でも言っているのか、鶴賀は口元を摘ままれたまま何かをもごもご言い、紫原はまたそれに笑った。
「はぁ~、水緒、そろそろ行こ」
「次はどこ行くの?」
「山の方。あっちのが木密集してて隠れやすいし」
住宅地から西に向かえば島の南部に位置する山があったが、そちらに今から向かうとなるともう一度住宅地あたりまで行くかぐるりと北の方まで行って回らなければならない。同じ北へ行くのならば、そのまま北部にある山へ向かった方が良いと紫原は判断したのだ。
地図を広げ、ここ、と島北部に描かれた展望台のような絵と“北の山山頂”という文字を示す。鶴賀は展望台という言葉に目を輝かせているが、紫原は展望台へ行くつもりはなかった。こういった場所にはもう誰かがいるような気がするのだ。
方位磁針を鶴賀へ持たせ、地図をまたポケットへ仕舞う。デイパックへ水のボトルを戻し散弾銃の弾がポケット内に入っているのを確認すると、紫原は立ち上がり鶴賀の手を引いてまた歩き出した。
近くもないがそう遠くもない場所から聞こえてくる、何度目か分からない銃声に肩から掛けた散弾銃の肩紐を強く握る。どこにも安全な場所など存在しないと分かっていても、争いと無縁な場所に居たい。もうどうしようもなくなるその時まで、ただ鶴賀といつものように話して笑っていたいのだ。
「これから山登るから少し頑張って、水緒」
返事の代わりのように鶴賀は紫原の手を強く、しっかりと握り締めた。
X X X
十江が目の前で泣いていた。
苦しそうに顔を歪め恐怖に染まった目で、恐らく自身に支給されたのであろう銃を握り締めて黄瀬涼太を見ている。黄瀬はただ呆然と十江と、その足元に転がるクラスメイトを見つめていた。
人形のようにぐったりとしたそれは野田一樹(男子十七番)という、十江と同じ委員会で仲も良かったはずの男子生徒だ。なぜ、どうして、と思いながら野田を見ていれば、力なく開かれた手のすぐそばにトンカチが落ちているのを発見し、もしかして、と十江を見やる。
「君……」
きっと彼は襲われたのだろう。これは生きる為に誰かを殺さなければいけない、狂ったものだ。十江はただただ自身の身を守っただけで、きっと野田が何もしなければ十江もその手に不似合いな銃など握る必要などなかった。
真っ青な顔で泣く十江は黄瀬の声にも肩を震わせ、その怯えた仕草に余計苦しくなる。
抱きしめて、大丈夫だよと言ってあげたい。きっと怖い思いをたくさんしたのだろうから。そう思い黄瀬は出来うる限り優しく微笑み、十江に一歩近づいた。
しかし、今の十江にはその笑みすらも恐怖の対象であった。
「く、来るな!」
黄瀬のその笑みに、十江はあの校舎前でのやり取りを思い出していた。今黄瀬の手にはピッケルはない。何も持っていないように見えるけれど、ベルトやポケットに誰かから奪った何かを隠しているかもしれない。
自分が撃ち殺してしまった野田も武器を隠していた。何も持たずに近付いて来たから警戒もせずに声を掛けられるがまま話していれば、よそ見をした途端、ベルトかどこかに挟めて隠していたのだろうトンカチを振りかぶられたのだ。
殺されると思った。これはそういうプログラムだから。だからただ恐怖のままに引き金を引いて、その結果が今だった。
十江はがたがたと震える手で銃を黄瀬へと向けた。この男も自分を殺すつもりなのだろう。やっと見つけたと言っていた、あの時逃した自分をわざわざここまで追ってきたのかもしれない。ただ、殺すためだけに。
「君、違う、違うんスよ、聞いて」
敵意に満ちた十江の目に、黄瀬は泣いてしまいそうになった。
どうすればいいのだろう。どうすれば誤解だと、ただ守りたいだけなのだ、ただ終わる寸前まで一緒に居たいのだと伝えられるのだろう。言葉は聞こえているはずなのに何も受け取ってもらえないのがこんなにも悲しい。
縋るような目で黄瀬は十江を見つめたけれど、十江はただぎりぎりと張り詰めた目で黄瀬を睨んでいた。
その指が引き金にかかる。
「な、なにが、違うって言うんだ、こ、殺しに来たくせに!」
ダンッとプログラムが始まってから何度聞いたか分からない音が再び襲ってくる。今度は自分に向かって。
二つの心臓を滲ませて
2022.07.14