遠くで銃声が響いている。
それをぼんやりと聞いていると、ふいに開け放った窓の外から足音が聞こえた。踵を引き摺るような歩き方をしているのか、靴の踵を踏みつけて履いているのか、ざりざりとアスファルトにゴムが擦れる音がしている。
赤司征十郎は目を開けるとデイパックを拾い上げ、窓へ近付いた。
さっと窓の外を確認してみると通りを歩いていく男の姿が一瞬見える。真っ直ぐ歩いていくとしたらこの家の前を通っていくはずだ。赤司はデイパックを背負い拳銃を握ると玄関へ向かった。
どことなく頭が重く、薄っすらとした眠気が漂っている。
振り払うようにふっと息を吐いて、赤司は玄関のドア前で耳を澄ませ集中した。
足音はどんどん近付いて来る。やはり真っ直ぐ歩いてきたようで、足音はドアの前を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐ歩いていく。幾分か足音が離れたところで赤司は玄関のドアを開けた。
ドアの開閉音に振り返ったのは灰崎祥吾とよく連るんでいたと太田彰彦(男子四番)であった。太田は赤司の姿を認めるや否や、顔を引き攣らせて身を翻し走り出す。その背を真っ直ぐ狙って、赤司は引き金を引いた。
閑静過ぎる住宅地に銃声が響き渡る。赤司の放った銃弾は足に中ったようで、短い悲鳴と共に太田は地面へ転がった。周囲へ気を配りながら近寄り、這ってでも逃げようとする太田へまた銃口を向ける。
「ひ、ひぃ、」
ただただ引き攣った息遣いで必死に逃げようとするその背へ、一発、二発。じわじわと赤く染まる制服を眺め、それから手早く太田に支給された武器などを確認していく。
特に役立ちそうなものはないと判断しまた歩き始めたころには、もう辺りには静けさが戻っていた。
駆け足気味に変わり映えしない家々を見て回り、赤司は海岸近くまでやって来た。この辺りに住んだら海風で涼しいのだろう。塩害などいろいろと大変かもしれないが、家から海が見えるというのは少し憧れる。
家の隙間から覗く朝日に煌めく海を眺めながら歩いていた赤司の視界が、何か動くものを捉えた。
一瞬だったけれど今のは多分、人だ。人がいたと思った方を見れば、大きな家の窓がある。住宅地の端、最南部にある海岸が目の前にある家。直感が行くべきだと言っていた。
駆け足でその家へ近寄り、なるべく音を立てないようにドアを開ける。家の中はしんとしたが、誰かの話し声が聞こえた。
「水緒こっち、はやく」
どこか眠たげにとろりとした響きのある独特な声には、焦りが滲んでいる。この声は紫原敦だ。呼ばれたのは鶴賀水緒だろう、水緒、と言っていたしこの二人はいつも必ず一緒にいる。
足音を立てないよう気を付けながらも早足で銃を構えながら、赤司は声の聞こえる奥の部屋へ向かった。
X X X
黒子テツヤを引き摺るようにしながらもなんとか歩き、火神大我はやっと学校にほど近い場所にある診療所を見つけた。
建物の周囲を歩いて確認し、窓を覗く。見える範囲には誰もおらず、人がいる気配もしない。火神は薄く扉を開けるとさっと視線を這わせ何もないことを確認し、中へと入って行った。
狭い受け付けを抜け廊下を進むと診療室があり、中は簡素なパイプベッドや薬品棚といった病院でよく見るものが揃っている。
「そこ座ってろ」
また引き摺るように連れて来た黒子は疲れ果てているのか、火神の言うとおりに大人しく椅子に腰かけた。
しばらく薬品棚を漁る火神の背中を黙って見ていた黒子が、ぽつりとどうして、と言葉を零す。
「あ?」
「どうして、を追わないんですか。確かに僕は怪我をしていますが、死ぬほどのものではないですよね。止血くらいの応急処置で良かったはずだ」
感情を無くしたような声で目を伏せて淡々と話す黒子に、火神や包帯や薬品を探す手を止めた。しんとした室内に、どこかから聞こえてくる銃声が響く。
「どうしてあそこで止血して、すぐにを捜そうとしなかったんですか。あの時、きっとまだは近くにいたから捜せば見つかったはずです。なのにどうして、捜すどころかむしろ離れるようなことをしたんですか」
「んなの、銃声聞いた奴らが来るかもしれないから」
「……それだけじゃないでしょう」
何を言いたいのだ、と火神は眉を寄せ黒子を見下ろした。
黒子は床に視線を落としたまま顔を上げない。
どこか責めるような響きのあるその声は無理矢理感情を抑えているように揺れて、握り締められた手が震えている。それが今すぐここを飛び出したいのを堪えるように見え、疲れて大人しくなったのではなくただ感情を抑えていたのだと火神は知った。
「が怖いんでしょう」
ふ、と硝子めいた瞳が真っ直ぐに火神を捉える。感情の見えない目でじっとりと見て、それから黒子は笑った。
「が躊躇いなく人を殺せる人間だと思っているんでしょう?君の目を見れば分かります。……自分も殺されるかもしれないって思いましたか」
じりじりと溢れるように怒りとも失望ともつかないものがその顔に現れ始める。
火神は何も言えず、ただ黒子を見ていた。
「まあは性格も良いとは言えませんし、考え方も偏っています。でも、自分の大切なものは絶対に守ろうとする人間です。君はそれを、知っていたんじゃないんですか」
X X X
皿とフォークをキッチンの流し台に置きながら、紫原はもう一度時計を見た。
七時過ぎ、そろそろこの家を出て移動したい。鶴賀と朝食をとっている間も恐らくここからそう遠くない所で何度か発砲音がしていたし、ここは十一時に禁止区域になる。この辺りにどれくらい同級生がいるのか分からないが、ここから移動していく同級生と鉢会いたくない。
奥の部屋へ戻るとすぐに荷物をひとつのデイパックへ纏めて背負い、鶴賀を連れて部屋を出ようとした矢先、すぐ近くから銃声と悲鳴が聞こえて来た。
タイミングの悪さに思わす舌打ちをしてしまう。
「水緒、ここで隠れて待ってて」
鶴賀にデイパックを押し付け、部屋の隅、窓からは死角になる場所へと座らせる。
きょとんとした顔をしていた鶴賀だが、紫原の強張った顔と不穏な空気に怯えを滲ませ始めた。きょろきょろとあちこちに飛んでいく視線に紫原は浅く息を吐き、大丈夫だと宥めるように小さな頭を撫でる。
「いい?迎えに来るまで絶対動かないで」
「わ、わかった……」
鶴賀は腕の中のデイパックを強く抱きしめ頷く。それを見て、紫原は部屋を出た。
窓の外を見て回り、周囲に人がいないか確認していく。と、玄関前の道路の向こうに鮮やかな赤を見つけた。赤司だ。拳銃を握り、どこへ向かうのか真っ直ぐ歩いていく。見える横顔は驚くほどいつもと変わらない。
けれど恐らく、今しがた鳴った発砲音の発生源はあの男だろう。赤司がここを離れるのを待った方がいいかもしれない。下手に外へ出て見つかれば、間違いなく殺される。
と、不意に赤司が足を止めた。
身を引き、急いで壁伝いに鶴賀のいる部屋へ戻る。もしかすると見つかったかも知れない。最悪だ。ここへ来る前に早く出ていかなければ。
部屋へ飛び込み鶴賀の腕からデイパックを取り上げ背負うと、紫原は海へ面した窓を開けた。万が一を考えて土足のままでいたのが幸いだ、と思いながら鶴賀を呼ぶ。
「水緒こっち、はやく」
よろよろと立ち上がって駆けてきた腕を引き抱き上げ、窓の向こうへと下ろす。続いて自分も窓を越えようとしたとき、ドアの開く音がした。
本当に最悪だ。
転がるように窓の向こうへ落ちた途端劈くような銃声が追いかけてきた。こちらにも散弾銃はあるけれど、相手が赤司じゃやり合うのは危ない。
紫原は鶴賀を担ぐように抱きかかえ走った。見なくても分かる、あの男はきっと至って冷静に銃を構え狙いを澄ましている。同級生だとか友達だとか、そんなことは一切関係ないのだ。
すぐに角を曲がり、それからいくつも何度も角を曲がって、追ってくる足音が消えてもまだ、耳の奥に残るあの重い金属音から逃れるように紫原は走り続けた。
不安を縫って食べて
2022.07.06