遠くから響き聞こえてきた銃声に一度目を覚ましたものの、すぐに再び眠りについた紫原敦がようやく覚醒したのはそれから二時間程経ってからのことだった。
腕の中で安らかな寝息を立てている鶴賀水緒の髪に撫で梳き、欠伸をもらす。もうあまり眠気はないけれど、もうひと眠りしようかと思ったとき小さく唸るような声が胸元から聞こえてきた。
撫でていた手を止め見れば、薄っすらと鶴賀の目が開かれている。寝起きのいつも以上にぼんやりとした目が紫原を捉え、緩やかな弧を描いた。
「おはよぉ、あつしくん」
もうおはようなんて時間では到底ないのだが、ふにゃふにゃに緩んでいる頬をやわやわと引っ張りながら紫原もそれに応えた。
鶴賀がまた何かを言ったようだが、寝起きで呂律が余り回っていないことと紫原が頬を引っ張っているせいで、よく分からない言語になっている。それが面白くて柔い頬を揉みしだきこねまわしていると、鶴賀も楽しくなってきたのか控えめな笑う声が部屋に満ちて行った。
鶴賀が泊っていく、いつもの休日と何も変わらない。母親か姉が朝食を食べようと呼びに来るまでベッドでじゃれ合って笑い合う、いつも過ごしていた日々と同じ。
ここが紫原の自室なのではと錯覚してしまいそうなほど緊張感のない、ゆっくりとした時間が部屋の中には流れていた。
「水緒、水とって~」
「んー、はい。なにか食べる?」
「食べとく。水緒は?」
「僕も食べとく」
ベッドのすぐそばに置いてあるデイパックから水のボトルと、缶詰を三つ、パンをひとつ鶴賀は取り出してベッドの上へ並べた。
紫原はサバの味噌煮の缶詰と、さんまの蒲焼きの缶詰を開け、パンの袋も開ける。
「ぜんぶ食べるの?」
「水緒とね」
「……お箸ないね」
「まあ乗っけて食えばいいんじゃない?」
紫原はパンを半分に割ると片方を鶴賀へ渡した。
それを受け取りながら、鶴賀はごそごそとスラックスのポケットからハンカチを取り出し「汚れたらこれで拭いてね」とベッドの上へ置く。そのハンカチが、自分が何枚かプレゼントしたうちの一つだと気付き、紫原は笑った。
「じゃあ水緒、パンの真ん中割って」
「……こう?」
「ん、そこに好きなの好きなだけ入れな」
「サンドイッチみたい」
パンと合うか分からないがまあ不味くはないだろう、と紫原はさんまの蒲焼きとサバの味噌煮を半分ずつくらになるよう少々無理に詰め込んだ。溢れてしまいそうなそのサンドイッチ具合に鶴賀は贅沢だねと笑った。
鶴賀はさんまの蒲焼きを挟み込み、頬張っていく。
「水緒、缶詰の残り食べれる?もういらない?」
「パンのだけでだいじょうぶ、あつしくん食べて」
「足りんの?」
「ちょっと多い」
「じゃあ食べるけど」
「……遠足みたいで楽しいね」
「まあ山も登ってるしね」
山ほど具を挟んだパンを数口で食べ終えた自身と違い、小さな口でちまちま一生懸命食べている鶴賀を眺めていると外からチャイムのような電子音が聞こえて来た。
時計を見れば針は十二時を示している。いつの間にか定期放送の時間になっていた。
『みなさんこんにちはぁ、お昼の十二時になりましたー』
人を苛立たせるような不快に間延びした声が窓の隙間から入って来る。
紫原はきょとんとした顔をして見つめてくる鶴賀の頭を撫で、「聞かなくていいから食べな」と口元を汚すタレを拭きながら言った。頷き、食べるのを再開した鶴賀を眺めながら、紫原は読み上げられていく名前に耳を傾ける。
『――以上です』
紫原の思う数よりも随分多く呼ばれたが、その中に赤司の名はない。予想していたとはいえやはり落胆してしまうのは仕方がない。出来れば赤司には、もういなくなっていてほしかった。
ようやく食べ終えた鶴賀の口元と汚れた指をハンカチで拭いてやり、残った缶詰の中身を
「あつしくん、今のって?」
「気にしなくていいよ」
「でも、死んだって言ってたよ」
「水緒には関係名から大丈夫」
「でも、とおえくんと、たきかわくんの名前が出てた」
十江と瀧川聖司は、クラス内において紫原以外に鶴賀を気に掛けてくる貴重な二人であった。鶴賀も二人のことは好いていて、紫原が用事でいない時に共に昼食をとったりする仲だ。
紫原も二人になら鶴賀を預けてもいいとは思っていたしそれなりに親交があったために、名前が読み上げられた時少なからずショックは受けていた。けれどこれは、そういうプログラムだということもまた重々理解している。最後の一人になるまでどんどん死んでいくのだ。
「ふたりとも、死んじゃったの?」
眉を下げ悲しげな顔をする鶴賀に何を言えばいいのか分からず、紫原はただ鶴賀を腕の中へと引き寄せ、抱き締めた。
X X X
農協と倉庫を順に見て回り、再び島の北側の林の中を歩きながら赤司征十郎は十二時の定期放送を聞いていた。読み上げられる同級生の名前を頭の中でカウントしていく。。
『――二十番 山口真琴さん、以上です。いやあ、すごいペースですねぇ、ちょっと驚きましたよ』
読み上げられた同級生の名は十八名分。確かに予想していたよりも随分多い。六時の放送までに死んだ者達の丁度二倍だ。
これで死者数は二十七人、残りは十三人となった。同級生は今や三分の一まで減っている。プログラムが開始されてからおおよそ十時間ほど経過しているが、あの男の言葉によるとこのペースはどうやら早いらしい。この早いペースのまま、事が片付けばいいが。
続いて発表される立入禁止区域を時刻と共に地図へ書きとめ、赤司はしばらくそれを眺めた。ざっくりとだけれどこれで島内部の建築物は大体見て回ったことになるが、次はどこに行こうか。
もう一度建築物を回って人がいないか確認するか、虱潰しに探していくか。出来れば無闇に動き回って体力を消耗するのは避けるべきだが、どうしようか。
名前の挙がらなかった面々の行動パターンを予測して動けば、それなりに早く片付くかもしれない。面倒だな、と溜め息を吐きながらも赤司はまだ残っている同級生達の名前を書きだしていく。グループになっているか単独かでまた行動が変わるだろう、ますます面倒だ。
赤司は出来るだけ同級生たちのクラス内での行動や性格を思い出しながら、地図に印を付けていく。
そういえば紫原たちの名前が挙がっていなかった。あんな“お荷物”を抱えてうろついているとは到底考えられないし、きっとまたどこかに隠れているのだろう。それも恐らく建物内だ。
住宅地を除けばこの島内部には建物は少ししかない。もう一度建物を回ってみた方がいいかもしれない。農協と倉庫は外して、北側から回ればいいか。
位置的にここからだと灯台の方が近い。ならばそこから反時計回りに見て行けばいいだろう。あとは発砲音のようなものが聞こえればそちらに向かってみる、でもいい。運が良ければ誰かがいる。
とりあえずまずは昼食だ。赤司は地図をしまうと農協の事務所から持ってきたカンパンの缶詰と割り箸、もともと支給されていたサバの味噌煮の缶詰をデイパックから取り出し、草の上に腰を下ろした。
木々の隙間から吹いて来る風が気持ちよい。
「いただきます」
きちんと手を合わせ、赤司は缶詰に手をつけていく。サバの味噌煮は缶詰だからか味が濃く、薄味を好む赤司には少々塩辛い。ぎゅ、と眉を寄せながら飲み込み、カンパンを口に放り込んだ。
小学生の頃、道徳か何かの授業で戦争の話があり、当時のものに触れてみようとカンパンを食べたことがあった。少々固くて食べ辛かったが、その香ばしさと素朴な味が赤司には好ましく思えたのだ。
だから農協内の事務所にあった防災道具の中にカンパンの缶詰を見つけた際、思わず手に取ってしまったのである。
昔に食べた時と変わらない固さと味に、満足しながら、赤司は手早く食事を進めていった。
X X X
『――九番 佐野雄大君、十三番 瀧川聖司君――』
東雲の名は呼ばれなかった。
そのことに安堵しながらも、黒子テツヤは鬱々とした気分で島北部に位置する場所にある山付近の海岸側に広がる雑木林の中を歩いていた。
どうにも吐き気が治まらない。黒子は西へ歩み進めていた足を止め振り返った。
「少し休みませんか」
気分が悪くて仕方がない。今度は、今しがた訪れた灯台で見つけてしまった死体のせいである。
灯台には死体が四つあった。農協と同じ、灯台で亡くなっていたのも皆女子生徒で、違うのはその死に方ぐらいである。
灯台にあったものは銃で撃たれたものであった。付近のあちこちに血が飛び散りそれは酷いもので、農協で見たものに加えてその光景を目にし、黒子と火神の気分はますます悪くなっていた。
今にも吐いてしまいそうな顔をした黒子を時折心配する火神の顔色も到底良いとは言えず、黒子はいよいと休憩を申し出たのである。
「今どのあたりだ?」
「北の山近くです……多分この辺」
地図を広げ、島北部の山の近くあたりを指差す黒子に火神は頷き「なら海が近いのか」と言った。
「北へ真っ直ぐ行けば海だと思いますよ」
「じゃあ行ってみようぜ」
黒子の手から方位磁針を浚い、火神は真っ直ぐ林の中を北のへ進んで行ってしまった。その背を見失わないうちに黒子も後を追いかけながら、読み上げられていく同級生達の名前を聞き、数の多さに溜息を吐く。
何かとても悪い夢を見ているようだ。
時折立ち止まって発表される禁止区域を地図へ書き込んでいると、少し離れたところで火神が振り返り笑った。
「海だぞ、黒子」
随分久しぶりに思える火神の笑みにつられるようにその場まで行けば、木々の隙間からちらちらと海が見え始めていた。明るい日差しを受けた海が光っている。
そのまま真っ直ぐ林を抜ければ、一気に視界は開け眩いほどの日差しが二人に降り注いだ。砂浜は無く、この辺りは断崖のようになっているようだった。岩場にぶつかり砕けた波がきらきらと白く輝いている。
今まさに身に降りかかる恐ろしいこととは遠い、穏やかで美しいその光景と涼しい風に、少しだけ吐き気が遠のいていく。
光る海の向こうに転々と船のような黒い影を見つけ、ぼんやりとそれを眺めていると火神が不意に振り返ってよかったな、と言った。
「……何がですか?」
「東雲、生きてて」
そう言った火神はもう海へ向き直っていて、どんな顔をしているのか黒子には分からなかった。
ひなた雨の庭より
2022.08.08