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走っているうちに北西の方角へ上る砂利道を見つけた黒子テツヤと火神大我は、住宅地沿いに歩くのをやめてその砂利道を辿ることにした。方角的に、恐らく農協のある方へ続いているはずなのだ。
砂利道の両脇は雑木林となっており、遮るもののない道を歩くよりは林の中を移動する方がまだマシ、と道から大きく離れないように気をつけながら林の中を行こうとした矢先、目指そうとしていた方角から銃声が響いてきた。一発鳴った、と思えば続けて数発聞こえてくる。
黒子と火神は足を止め、顔を見合わせた。進むべきか、避けるべきか。
もし東雲が農協で自分たちが来るのを待っていたら、そこに誰かが現れて争いになっていたとしたら、今の音が東雲へ向けての音なのだとしたら。銃声がその方面から聞こえるとはいえ農協と決まったわけではないし、東雲がいるかどうかも分からない。
けれど、少しでも東雲がいる可能性があるのだとしたら。
黒子は方位磁針で方角しっかり確認し、真っ直ぐ音の聞こえた方へ歩き出した。

「黒子、マガジンどこ仕舞ってんだ」
「デイパックの中ですけど」
「上着ン中入れとけ。何人いるかわかんねーとこに行くんだ、ちゃんと準備しろ」

いくら危ないと主張しようが止めようが黒子は東雲がいるかもしれないと思えば迷わず行ってしまう。ならばもう、自分は二人を失わないために出来る限りのことをするしかない。
火神はどうにも消えない嫌な予感と言い知れぬ不安感を胸に抱いたまま、黒子にあれこれと指示を出しながら農協へと向かって行った。
歩き始めてまもなく、大きな建物が木々の隙間から見え始めた。両開きのガラス扉の上、中央辺りに農協のマークを見つけ、黒子たちは周囲を警戒しながらガラスの戸を潜って行く。

「……誰もいない?」
「わかんねえ、どっかに隠れてるかも知んねーぞ。二階もあるみたいだしな」

酷い臭いに顔を顰めながら、なるべく小さな声で話しながら二人は一階を見て回っていく。人影も無ければ争ったような形跡も、荒らされたような気配も見当たらない。あの銃声は農協から響いてきたものではなかったのかもしれない。
誰かが隠れていそうな場所も確認したが、誰も見つからず二人は二階へと向かって行った。

「黒子」

二階には扉が三つあり、そのうちの一つ、一番奥の部屋の扉が開け放たれていた。そこから風が吹いて来る。誰かがここにいたか、いるのか。
火神は階段の影に隠れるように身を屈めながらじっと耳を澄ませた。
足音も話し声も、物音も何一つ聞こえてこない。二人は顔を見合わせ、それからゆっくりと扉が開いたままの部屋へと近寄って行った。
見える範囲には誰もいない。ただ、扉のすぐそばにあったソファの足元に誰かのデイパックが置かれているのを火神は見つけた。黒子へそのデイパックの存在を指差しで示してもう一歩部屋へ踏み込む。
何か美味しそうなにおいに混じって、鉄錆のような饐えたような、嫌な臭いが漂ってくる。火神は誰もいないか部屋の中を見回し、一歩後退った。

「……火神君?」

誰かいたのか、と身構えた黒子は火神の顔がひどく青褪めていることに気付き、さっと嫌な考えが過って部屋の中へ飛び込んだ。
もしかして東雲が、誰かにもう。
まず黒子の視界に入ったのは部屋の右奥、外へ向けて開け放たれた金属扉と割れた窓ガラスだった。それから反対、左側を見て、息を飲んだ。
いくつか並んだ長テーブルのひとつ、皿の置かれたそのテーブルの上や周囲には血や何かの液体が飛び散り、女子生徒が倒れている。ぴくりとも動かないその身体や血が、彼女らがもう息絶えていること伝えていた。


X X X


農協から北へ進んだ先の雑木林の中で、東雲は酷く苛立っていた。
あの女さえ来なければまだあそこに居られた。待っていたら黒子に会えたかもしれないのに、どうしてすぐに攻撃してくるのだと思ったがこれがそういうプログラムであったということを思い出し溜息を吐く。
全くもって最悪だ。着の身着のまま農協の休憩室から出て来たせいで、デイパックも何もかも置いてきてしまった。
部屋を探索する時点で全て背負っておけば良かった、と今更後悔してももう遅い。今の東雲の持ち物は、佐野から頂戴したワルサーP99と、上着のポケットに入れっぱなしにしていた銃弾、同じく使用後にポケットへ仕舞った髑髏マークのついた小瓶、そして広川から頂いてきた丈夫で命中精度の高い装弾数十五発程のCz75だけだ。
水もなければ食料もない。当然地図も方位磁針もなく、正確な自分の位置なども分からない。
恐らく北方面へ進んでいるということだけは分かるが、一体何処を歩いているのかもただは林が広がるだけのここからは判断出来ない。せめて方位磁針だけでもどこかで手に入れた方がいいだろう。
現在地は分からないが、このまま進めばどこかには辿り着くだろう。北の方面にはまだ禁止区域はないから爆死の危険性も今のところはない。
あとは敵意のある人間と出くわさないことを祈るばかりだ。ばったり遭遇してしまうのならばなるべく敵意のない親切心のある人間が良い。何人か顔が思い浮かぶが、その内の数人は既に死んでしまっている。
本当に嫌になってしまう。ツイていると思った途端にこんなことになるなんて。
どろどろと腹の底に溜まっていく苛立ちと怒りを解消する術もなく、東雲は燻る怒りを少しでも吐き出すように小さく唸り声を漏らした。


X X X


農協の正面出入口であるガラス扉の前に座り込んでしまった黒子を見下ろしながら、火神は先ほど目にした光景を何とか忘れ去ってしまおうとしていた。
テーブルと五脚の椅子。その内三脚は倒れ、周りには嘔吐物と血が広がり、その中でもがいた様な四つの死体。青黒く変色した顔は一瞬誰だか分からないくらいに歪んで見えた。
何が起こったのか火神にはよく理解出来ず、ただ女子生徒のグループ内で殺し合いが起きたのだろうと思っていた。
しかし黒子にはここで何が起きたのかおおよその予想がついている。おそらく毒物が使われ、五個の皿のうち一つだけが空になっていたことから毒物を使用した人物はそこで、目の前で悶え苦しむ彼女たちを見ながら、最後まで食事をしたのだろうということまで。
それに気付いてからは酷い吐き気を覚えてしまい、黒子はこうして扉の前で座り込んでしまっていた。到底正気だとは思えない所業を同級生の誰かがしたのだ。何人もの顔が浮かぶが、そんなことをするような人間がいたようには黒子には思えなかった。
けれど実際にそうした人間はいて、その生きている一人は何故か屋内の階段を使って出ていくのではなく、あんな今にも壊れてしまいそうな外階段を使って出ていっている。慌てて逃げたように扉も開け放したまま。
そばの窓ガラスが割れていたことと何か関係があるのかもしれないけれど、今はもうこれ以上何も考えたくなくて黒子は目元を覆って俯いた。ゆっくりと深呼吸して、どうにか吐き気を治めようとする。

「……おい、大丈夫か」

あの部屋を見てからずっと黙り込み、ついには顔を覆ってしまった黒子へ、火神はようやく口を開いた。頷き、大丈夫だと答えながら顔を上げた黒子は「すいません、もう行きましょうか」と立ち上がる。

「ひでー顔色だぞ。もう少し休まなくて平気か?」
「平気です」

礼を言った黒子は笑おうとしたのだろうが、それは口元が僅かに歪んだだけで笑みの形にはならなかった。

「とりあえずこの辺りを探してみましょう。もしかしたら近くにいるかもしれませんし」
「……そうだな」

のろのろと歩き始めた黒子の背を追い、火神も重たい足を引きずるように歩き出した。
最悪で、最低な気分だ。今誰かに鉢合わせしたら易々と殺されてしまいそうだ、と思いながら、黒子はただひたすら方位磁針と地図を見つめ、東雲を見つけることだけに集中する。
吐き気はまだ消えそうにない。

白い器とナイフとフォーク

2022.08.01