流石にこんな状況では食欲も落ちるのだろう、パン一つというのはいつもの火神大我であれば物足りないと感じるだろうに今はそれだけで十分だった。
黒子テツヤと東雲はパンを半分ほど残し、デイパックに仕舞っている。もともとそれほど食の良くない二人が半分だけでも食べられたのは良いことなのかもしれない。もういいのか、と言いそうになる口を閉ざし、火神は空になったペットボトルを置いた。
地図を眺めている黒子に何時に出るか尋ねると「もう出ますか?」と時計を見ながら返される。
東雲はどうだろう、と見れば水のボトルを握りぼんやりと何処かを見つめていた。何の感情も見えない凍りついたようなその無表情が、火神には妙に恐ろしく感ぜられる。
時々、こういう風に東雲を恐ろしく思う時が火神にはあった。
東雲は大抵いつも楽しそうに笑っていたり、嬉しそうにはにかんだり、拗ねたり困ったり、表情豊かな姿ばかり見せている。黒子と居るときは特にそれが顕著だ。だからふとした時に表情のない姿を見ると何か見てはいけないものを見てしまったような、深い穴の中を除いてしまったような、ぞおっと鳩尾の冷えるような感覚を抱いてしまう。
そうしてそういう時の東雲の目付きはいやに冷たい。それが一層、東雲を恐ろしいと火神に思わせるのだ。
「」
そっと黒子が東雲の肩に触れる。
はっと我に返ったような顔をして黒子を仰ぎ見た東雲は、大丈夫だというように小さく微笑んだ。それはいつも目にする東雲の姿だった。
「ごめんね、少しぼーっとしてた」
まだ体調が良くないのかと心配そうに見る黒子の手をとんとん優しく叩いて、東雲はまた笑う。火神には少々居心地の悪い、甘さを含んだ柔らかく穏やかな空気に“いつも”が戻ったと安堵を覚えながらも、何かが引っ掛かっていた。
酷薄とも言えそうな、温度の無いあの目が小さな傷のように残っている。
「おい、そろそろ行こうぜ」
それでも火神にとって東雲は友人のひとりで、守るべき存在のひとつである。
「結局どこに行くことにしたの?」
「農協に行ってみようかと。もしかしたら缶詰とか水とかあるかもしれませんし」
「ああ、食料があればある程度安心だもんね。でもみんなそう考えてないかな」
「その時はその時です」
無駄に男前な顔で黒子は断言し、デイパックを背負う。二人も倣うようにそれぞれデイパックを背負い慎重に梯子を下りていった。
倉庫を出る直前、ふと火神は気になって東雲を振り返り見た。
「そういや東雲に配られたのははなんだったんだ?」
「え?なに?」
「武器だよ武器。確認してないのか?」
「あ、した。したよ。忘れてた」
「おいおい……」
東雲は呆れ顔の火神にえへへ、と笑ってからデイパックを開けて中に手を差し入れ、ごそごそと何かを探している。
そうして取り出されたのはおおよそ二十センチメートル弱の、木の握りがものだ。握りの上は黒いカバーが付けられている。
「あ?なんだそれ」
「これね、アイスピック」
黒いカバーが外される。真新しく光る鋭い先端を見せ、東雲はにっこりと笑った。
X X X
寺山を捜しに入った北の山をゆっくりと下りながら、桃井さつきは地図を睨んでいた。
朝食後すぐに三人は寺山の捜索を開始し、北の山から時計回りに建物を中心に確認していこうと決めていた。北の山を見終えた今、次に向かうのは灯台だ。あの三度の銃声が聞こえ、そして赤司が向かったという灯台。
「なあ、大丈夫なのかよ灯台に行って」
人が、赤司がいるのではないかと不安げな顔をする瀧川聖司に桃井は首を振り、大丈夫だと断言した。
「赤司君が灯台に行くのを見てからもう二時間は経ってる。もういないはずだよ」
教室で見た赤司は、この馬鹿げたプログラムから絶対に生きて帰るつもりに見えた。そんな人間が何もせず一ヵ所に長時間留まるのはあり得ない。恐らくもう別の場所に移動して同級生達を探しているのではないだろうか。
桃井の言葉に青峰大輝は納得したように頷き、瀧川は桃井がそう言うのならばと頷いた。
けれど本当にそうだろうか、と桃井は前を進む二つの背中を見つめながら思う。
ああは言ったけれど自分は決して赤司を理解している訳ではない。ただ、今まで自分の目で見て得たもので“赤司征十郎”という人間を組み立てその動きを考えただけに過ぎない。だからもしかすると赤司は無駄に動き回らず一ヵ所に留まり、そこから獲物を狙っている可能性もあるのだ。
その場合、こうして向かって行く自分たちは恰好の餌食なのではないか?今の自分の答えは本当に正しかったのだろうか。
やはり止めようというべきなのだろうか。と、そう桃井がぐるぐると悩み考えている内に木々の隙間から灯台らしきものが見えてきてしまった。
「見えるか?」
「ぎりぎり……人っぽいのは見えないな。上にはいない」
「よし、行くぞ」
短い言葉のやり取りに一人だけ置いていかれる。桃井はデイパックのストラップを強く握りしめた。そうしていないと不安と恐怖が渦巻いて、じわじわと飲み込まれていくような心地になるのだ。
灯台へ進んでいく背中が遠い。けれどここで立ち止まっていたら、きっともうどこにも行けない。
桃井は強制的に思考を切り替えるように強く目を閉じ、それから二人の背を追い駆けた。
「気を付けて。もしかしたら何か仕掛けられてるかも知れないから」
自分は寺山を見つけなくてはいけないのだ。こんなところで立ち止まってなどいられない。
X X X
もしかしたら方向音痴なのではと疑ってしまうほど散々うろつき、ようやく黄瀬は井戸の家に着くことが出来た。
いや違うのだ、どこに行っても木ばかりなのがいけないのだ。と誰にともなく言い訳じみたことを思いながら、黄瀬は家のすぐ隣にある井戸の中を覗いて見た。
初めて見る本物の井戸は思っていたよりもずっと深いようで、中は暗く底が見えない。どこまでも続いていそうなその暗闇に昔に見たホラー映画を思い出してしまい、黄瀬はすぐに井戸から離れた。
家の中に誰かいないか窓から中を覗こうと思ったけれど、レースのカーテンが引かれているせいでよく見えない。誰かいるのだろうか。ぐるりと家の周囲を回って見るがどの窓もカーテンが掛かっていた。
こうなっては仕方が無い。中に入って誰かいないか確認するしかないだろう。
黄瀬はデイパックから拳銃を取り出して握り、ドアノブを回した。鍵は掛かっていない。誰もいないのだろうか、と一瞬考えたが分からない。もともと掛かっていなかったのか、誰かが入ったから開いているのか、すぐに逃げられるように中にいる誰かが鍵を開けたままにしているのか。
緊張しながらもゆっくりと音を立てないようにドアを開け、玄関へ滑り込むように入る。誰かの声も物音も何も聞こえてこない。玄関には誰の靴もなく、かと言って土足で上がったような土汚れも見当たらなかった。廊下には薄く埃が積もっているから歩けば必ず跡が付くだろう。しかし足跡もない。
誰もいないのだろうか。
黄瀬は心の中でごめんなさいと謝りながら土足のまま家の中へ上がり込んだ。
一部屋一部屋、押し入れなども確認しながら家の中を回ってみたが、やはり誰もいない。同級生に遭遇しなかったことを安堵しながらも、ここにも十江がいないことに落胆する。
一体彼は何処にいるのだろう。
ダイニングの椅子に腰を下ろし、拳銃をデイパックの中へ戻して代わりに水のボトルを取り出す。何か食べようかと思ったがあまり腹も空いていないし、なんだか美味しそうにも思えず止めた。
風呂に入りたい。けれどきっとお湯などでないだろう。いや、そもそも水も出ないかもしれない。ここの住人はいつからいないのだろう。生活感の漂う室内をぼんやりと見回していると猛烈に自分の家へ帰りたくなる。
だが、家へ帰るには最後の一人にならなければならない。
自分は帰れるのだろうか、と黄瀬は開きっぱなしのデイパックから覗くピッケルと拳銃を見つめた。
きっと無理だ。
もし自分と十江が最後に残ったとしたら、きっと自ら死を選ぶだろう。彼にはずっと生きていてほしいと思う。生きて、それで、欲を言えば少しでも自分のことを覚えてくれていたらいい。
ひかりとおり過ぎるもの
2022.07.01 | 第二部開始