09

地図を見ているのかいないのか、目の前を歩く背中は黙々と迷いなく林の中を歩いていく。辺りを見るともなしに見回しながら青峰大輝の背を追っていた瀧川聖司は、そろそろ目的地を教えてほしいと口を開いた。

「なあ、どこ目指してんだ?」
「とりあえず灯台だな」
「灯台?」
「誰かいるかもしんねーけど、先に入れれば高台は有利だろ」

ここ、と青峰が振り返り手にしていた地図の一点を指した。それは北東の海岸沿いに位置する灯台である。
そこへ向かうと言う青峰だが、もう片方の手には懐中電灯しかない。

「え、お前今どことか分かってんの?方角とか」
「あ?んなもん勘だよ勘」
「勘ってお前……」

青峰の“勘”が鋭いことを昔から知ってはいるが、こんな状況下で不確かなものに頼るのは恐ろしい。瀧川は少々顔を引き攣らせ、まあ自分が確認すれば良いかとデイパックから方位磁針を探し出し上着のポケットへと仕舞い込んだ。
時々確認すればそれほど迷うこともないだろう。ついでに自身の懐中電灯も取り出し手にしたところで、青峰が足を止めた。

「大輝?」
「喋んな」

警戒に尖った鋭い声に瀧川は口を噤んだ。しんと辺りは静まり返っていて、聞こえるのは自分の心臓の音と互いの呼吸音、風と木々のざわめき、そして、草や砂利を踏みしめる誰かの足音。
は、と瀧川が息を飲むよりも速く、青峰はその腕を引いて走り出した。

「くそ、誰だよ!」

足音もこちらを追うように走り出した。
ガチャ、と微かに聞こえてきた金属音は瀧川が先ほどの海岸で聞いた音に似ている。一気に駆け巡った恐ろしい予感に瀧川は思い切り腕を引き、青峰ごと地面へ勢いよく転がった。あちこち地面に打ち付け擦ったが、痛みを感じる暇もない。
転がった二人を追うように破裂音が響き、そばの木が音を立てて抉れ弾け飛ぶ。
まさか本当に撃たれると思わなかった。真っ青な顔をし身を起こしたものの立つことの出来ない瀧川の隣で青峰はすぐさま立ち上がり、庇うようにその前へ躍り出て肩に掛けていたマシンガンを構える。

「……灰崎?」

木々の隙間から現れた人影は、銃を構えている。

「よぉダイキ。あ、セージもいんのかよ」

そう言って笑ったのは、よく休み時間にバスケをしていた灰崎祥吾(男子十八番)だった。
何で、とよろよろと立ち上がった瀧川の口から小さく零れる。一緒に遊んでいた同級生に命を奪われる、そういう“プログラム”なのだと分かっていても今の今までどこかで夢のように現実味が無かった。

「なんでって、そーゆーゲームじゃねーか」
「そんな、だって」
「そりゃあ俺は友情なんかよりも命のが大事だからな。二人は違うのか?」

にやにやと随分と余裕そうに笑う灰崎とは反対に青峰も瀧川もひどく顔色は悪い。
青峰のマシンガンを支える手は震えてとても撃てそうには見えず、「なあダイキ、お前撃てんの?」と灰崎は嘲笑うように言った。

「俺は撃てる」

す、と銃口を向けられ瞬間、青峰は瀧川の肩を強く押してまた地面に転がすと、強く引き金を引いた。
重く連なる銃声と踊るように不自然に動く灰崎の体。そのまま力無く地面に転がった体は暗闇でもはっきりと分かるほど赤々と濡れ、周囲にもその飛沫を点々と散らしている。
つい数秒前まで動いて喋って“元”同級生の見る影もない姿に瀧川はたまらず嘔吐し、青峰はただ呆然と自身の行いの果てを見つめていた。
マシンガンを持つ手は固まったように動かない。よく見知った人間を今、自分の手で殺めたという事実が飲み込めない。大切なものを捨ててしまった最低で最悪な気分だった。


X X X


映画なんかで聞くマシンガンのような連続した銃声がどこか遠くから聞こえてくる。紫原敦は鶴賀水緒の手を引きながら、南東にある住宅地の中を歩いていた。
最後は紫原が鶴賀を抱き上げて駆け込んだ住宅地で、今のところ誰とも出くわしていない。
教壇に立っていたあの男はもう住民はいないと言っていたが、おそらくプログラムの開催地として選ばれた段階で住民は退去させられたのだろう。廃墟と言うには新しくどこも壊れていない家々は、けれど人がいないせいかひどくくすんで見える。
暗く少し不気味なにおいを漂わせる家々の連なる道はあまりに静かで、異様だ。手を引かれ歩く鶴賀はそんな周囲の異様さに気付かず、眠たいのか小さく欠伸を零している。

「眠たい?」
「ん、ちょっとだけ」
「この辺開いてんのかな……」

視界に入った家の前に植木鉢が幾つか置かれた家の前に立つ。周囲を見回して誰もいないことを確認し、ダメ元でドアノブを捻れば何の抵抗もなく回りドアは開いた。鍵が開いている。
ここら全部の家がそうなのか、偶然この家だけ開いていたのか。紫原は玄関扉を少しだけ開け、中を覗いた。
真っ暗な家の中も外同様に静まり返っている。

「水緒、入ろ」

またひとつ欠伸を零す鶴賀の手を引いて紫原は家の中へと入って行った。
月明りが入らない分、扉を閉じてしまえば家の中は真っ暗だ。暗闇に目が慣れていたにしても暗く、紫原は電気をつけようと照明のスイッチを探して、やめた。
照明なんて付けてしまったらここに人がいると言っているようなものだ。思っているよりも疲れてるのかも知れない、と紫原はあげかけた腕を下ろす。
ひとまず誰かいないか確認しようと紫原は鶴賀に持たせていた懐中電灯を受け取る。靴を脱ぐか迷ったが何かあって逃げる際に困るかもしれない、と土足のままあがることに決めた。
心の中で謝罪しながらあがり込み、さっと室内を見て回る。床に薄っすらと積もった埃にも自分の足跡以外はそれらしいものも無く、家が全くの無人であると分かった。そこでようやっと肩の力を抜いた紫原は玄関で待たせていた鶴賀を迎えに行った。

「ここで少し休も」
「靴のままでいいの?」
「いい。誰か来た時にすぐ出れるようにしとこ」
「鍵は?」
「開けといて」
「おじゃまします」

律義にそう言う鶴賀の手を引き、一階奥の和室へと入っていく。住宅地の中でも一番南側に建つこの家の海に面したこの部屋の窓からは当然海が見え、海上遠くに点々した灯りが確認できた。あれが多分監視の船なのだろう。
鶴賀は窓へ駆け寄ると、月明りで黒々と光る海を見つめ歓声を上げている。きらきらと輝く瞳は楽しそうで、外よりも安全に思える室内にいることもあってか緊張がとろとろと解けていく。

「あつしくん、海だよ」
「もう少し明るければよく見えたんじゃない?」
「でも、月明りでもきれいだね」

そう無邪気に喜び笑う姿を見ていると、今もどこかでクラスメイトが死んでいるだなんてことを忘れてしまいそうになる。
鶴賀は理解しているのだろうか。先程から響き聞こえてくる音が銃声であり、自分の命が危険に晒されているということを。このままもう二度と家へ帰れず、もう二度と一緒に遊ぶことなど出来ないだろうことを。
理解していないならそれはそれでいいと紫原は強く思った。そのまま変わらず笑っていてくれれば、それだけで自分の心は救われるだろう。
紫原は窓の外を眺める鶴賀から離れ、傍に転がるデイパックを開けた。中身はあの男が言っていたものと何も変わらない。と、何かを掴んだ。バッグの一番奥にあるそれは変に柔らかい。何だろう、と思って引っ張り出して頭を抱えそうになった。

「(ピコピコハンマーとか馬鹿にしてる)」

一体これでどうやって戦えというのだ。相手を攻撃することはおろか身を守ることすら出来やしない。
しかしそのすぐ後、鶴賀のデイパックの中からポンプアクション式散弾銃であるレミントンM870が出て来た。それが当たりなのか外れなのか紫原には判断出来なかったが、自身のピコピコハンマーよりは遥かに使えることだけは解った。


X X X


灯台まであと少し。少しだけ疲れた足を休ませる為に桃井さつきは傍にあった茂みへデイパックを置き、地面へ座り込んだ。
ふ、と息を吐いて空を見上げれば、木々の隙間からは星が見えた。捜し人である寺山もこの星を見ているだろうか。彼女は一体、どこにいるのだろう。
急に途方もない不安と寂しさに襲われ桃井は小さく身を丸めた。膝に額を押し付け唇を噛み締める。そうでもしないと、今にも泣いてしまいそうだった。

ちゃん……」

呼べばいつだって「なあに?」と微笑んで返事をしてくれた彼女の姿は今はどこにもない。呼んでも返ってくるのは静寂ばかりで、その事実につんと鼻の奥が痛くなる。胸もつきつきと痛くて、桃井は膝を抱く腕にぎゅうっと力を込めた。
しばらくそうやって縮こまっていた桃井の耳に、草を掻き分けるような不審な音が届く。ついで砂利を踏む音も聞こえ、誰かがこちらの方へ向かってきているようだった。
桃井はぞわぞわと這い上がる恐怖心に指を震わせながら急いで懐中電灯を消した。
息を詰め、音が過ぎるのを待つ。すぐ傍を誰かが通る気配がした。誰かの持つ懐中電灯の明かりがふらふらと辺りを照らしていき、音は徐々に遠ざかっていく。
そ、と音の方へ身を乗り出して見れば、月明かりに輝き浮かぶような銀色の髪が見えた。あの髪色の同級生はクラスに一人しかいない。桃井の幼馴染である青峰大輝や瀧川聖司と時折休み時間にバスケをして遊んでいた、灰崎祥吾だ。
どんどん遠ざかる背を見送り、木々に紛れ見えなくなったとことで桃井はほうっと息を吐いた。力が抜けてずるずると木へ凭れかかる。
しかしすぐに聞こえて来た破裂音にびくりと勢いよく身を起こす。このデスゲーム開始以来三度目の銃声だ。続けざまにだだだだっと激しい連射音が聞こえ、桃井の顔色はますます悪くなっていった。
一体誰が銃口を向け合っているのだ。寺山だったらどうしよう、撃たれていたらどうしよう、死んでしまっていたら、どうしよう。
桃井は震える足で立ち上がるとデイパックを背負い、懐中電灯を点けた。
音の方へ向かおうとして、足を止める。もし今向かったとして、寺山じゃなかったら。誰かを殺した人間がまだそこにいて、それが寺山ではなかったらどうする?

「(どうしよう、どうするのが一番いいのか分かんない、助けてちゃん……)」

じわじわと視界が滲んで、とうとうほろりと涙が落ちた。膝から力が抜けてしまい、桃井はその場に座り込む。もう立てない。もうどこにも行けない。
引き攣ったような息を漏らしながら次々に涙を落とす桃井の耳に、また草を掻き分け走ってくる誰かの足音が聞こえた。

かじかむ魂の端きれ

2022.06.15