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早瀬紗恵の持っていた銃は“リボルバーの帝王”や“ハンドガンのロールス・ロイス”なんて異名を持つ、装弾数六発程のコルト・パイソンだった。マグナム弾を使うその拳銃は多少反動はきついものの、他のマグナム弾を使用する銃よりも随分と精度は良い物だ。
黄瀬涼太は持ってきてしまったその銃をただぼんやりと見つめていた。脳を占めるのは振るったピッケルの先があの小さな頭を壊した瞬間ばかりだ。
それは随分と酷いものだった。その光景が浮かび上がる度に手のひらに固い感触を思い出し、吐き気に襲われる。そうして黄瀬は何度も胃の中身を撒き散らしていた。
また吐き気に襲われたが散々吐き出し続けた胃の中は既に空で、苦い胃液が出てくるばかりだ。座り込んだまま立ち上がれない。
あの後黄瀬は何も考えずに走った。方向も分からないまま、早瀬の拳銃と血に塗れたピッケル持って逃げるように走り続けたのだ。
そして何処かから聞こえた銃声に足を止め、我に返った。

なんてことをしてしまったんだろう、でも、ああするしかなかった。あの子は拳銃を持っていたんだ。もしかしたら自分が殺されていたかもしれなかった。仕方のないことだ、これはそういうプログラムなんだ。
いくらそう自分自身に言い聞かせても身体は震え、吐き気は一向に治まらない。
不意に思い出すのは、あの教室で見た赤司征十郎の不気味なほど静かで変わらない表情だ。あの人は誰かを殺めてもきっと何も感じず、酷い気分にはならないのだろう。
赤司とは何度も話したことがあるしクラス内では仲は良い方だと思うが、あれは理解出来る範疇にいる人間ではない。
デイパックを引き寄せ苦い口中をなんとかしたくてペットボトルを取り出した時、微かな話し声が聞こえて来た。今までが嘘のように黄瀬は素早く立ち上がって身を隠し、息を殺す。
木々の隙間から見えるその群れは女子生徒たちのようで、またあの光景がフラッシュバックしてしまう。
吐き気を覚えて口を押さえたとき、黄瀬の目に見慣れた姿が飛び込んできた。

「(寺山っち……?)」

クラス内の女子生徒の中では桃井さつき繋がりでよく話をする、仲が良い部類に入る寺山が何人かの女子生徒たちと歩いている。
けれどその隣に桃井さつきは見当たらない。いつでもどこでも必ずと言っていいほど一緒にいる桃井が隣にいないなんて、どうしたのだろう。絶対一緒に行動していると思っていたのに。
黄瀬はどんどんと遠ざかる背を、見えなくなるまで見つめていた。


X X X


まだ青い顔で具合の悪そうにしている瀧川聖司を半ば無理矢理立たせ、灰崎祥吾の手から零れ落ちた拳銃を拾う。実用拳銃の中で初めて複列弾倉を採用した拳銃であるブローニング・ハイパワーだ。
青峰大輝は灰崎のデイパックの中を地面にぶちまけ、その中からマガジンだと思う物を見つけ出すとそれも拾い上げる。なんとか一人で立って息をしている状態の瀧川の手に、青峰は拳銃とマガジンの両方を押し付けた。
しかし瀧川はそんなもの使いたくない、と顔を歪め手で押しのけるように払った。嫌なのはわかる。けれどこんな状況下でそんなことは言っていられないだろう。

「いいから持ってろ、持ってるだけでいい」

青峰の強い眼差しと微かに震えたその手を目にし、瀧川は黙ってそれを受け取ることにした。青峰の空になった片手が、何かを耐えるように強く握りしめられる。
それに気付いた途端、目の前に横たわる同級生を殺めたのは青峰で、青峰が武器を振るわなければ地面に転がっていたのはきっと自分たちだったのだと瀧川は実感した。これは、そういうものなのだ、と。
こんな小さい物でいとも容易く人を殺せてしまうのだと思うと、手の中の金属の塊が途方もなく重たい物のように感じる。

「行くぞ」

青峰は自分のデイパックを拾い上げると、泣きそうな顔で拳銃の見ている瀧川へそう声を掛けた。
今の音で人が来るかもしれない。例えば赤司とか。そうなる前にここからなるべく離れなければならない。
瀧川のデイパックも拾い投げ渡し、腕を引いて暗い林の中を足早に進んでいく。手が掛かる奴だと、瀧川の真っ青な泣きそうな顔を笑ってやろうと思ったのに、顔の筋肉は強張ってぴくりとも動かない。
灯台から遠ざかるように西へ駆け足で進んだ先、揺れる懐中電灯が一瞬何かを捉えた。柔らかな桃色。まさかと足を止めた青峰は振り返り、懐中電灯の先を今通り過ぎた場所へと向けた。
怯え泣き濡れた顔でへたり込んだ幼馴染である桃井さつきの姿に青峰は目を見開く。同じクラスなのだから島のどこかにいるとは思っていたけれど、こんな場所にたった一人でいるだなんて思いもしなかった。

「さつきちゃん……?」

今にも死んでしまいそうな顔をしていた瀧川も青峰の視線先にハッと目を丸め、それからすぐに駆け寄った。

「せ、聖ちゃん、大ちゃん……っ」

こちらに迫る足音の持ち主が瀧川と青峰だったと知った桃井は、緊張の糸が切れてしまったようにまたぼろぼろと泣き出してしまった。

「え、ちょ、さ、さつきちゃん!?」
「おい、泣かせてんじゃねーぞ聖司」
「えっ、俺!?」

桃井に出会ったことで青峰と瀧川の空気が少し和らいだ。

「おいさつき、お前一人か?」
「寺山さんは?」

ただただ首を振る桃井に、二人は顔を見合わせた。あの桃井至上主義者である寺山が一緒ではないことが信じられない。途中ではぐれてしまったのだろうか。
聞きたいことはいくつかあったが、まずはこの場を離れようと青峰は桃井のデイパックを拾い上げて背負う。

「聖司」
「ん。さつきちゃん、移動するから乗って」
「わ、私、歩けるよ」
「いいから乗っとけ、さつき」
「……うん、ありがと聖ちゃん」
「いーえ。なんか、昔みたいだな」

桃井を背負って立ち上がった瀧川はそう言って笑った。ようやく少しだけ心が落ち着いたのか、まだ少しぎこちないながらも見慣れた笑顔に、青峰の身体からも少しだけ力が抜けて行った。


X X X


今度の銃声は灯台の方から聞こえてきていた。それでも寺山たちは灯台へと向かっている。
否、寺山が、灯台へ向かうことを決めたのだ。

「て、寺山さん、ほんとに大丈夫なの……?」
「大丈夫よ。多分音で大体の人は逃げるだろうし、もし人が来たとしても見つかるまえに逃げればいいわ」
「逃げられる?」
「暗いから林の中に入ってしまえば平気よ」

それらしいことをそれらしい顔で言えば彼女らはすぐに信じて頷く。こんなに単純で大丈夫なのだろうか、と些か心配になるほど安藤千恵たち三人は寺山を信用していた。
一年以上共に過ごしている同級生だとしても、今は互いの命の奪い合わなければいけない異常な状況下だ。そう簡単に他人を信用すべきではない。そう思って冷え冷えとした眼差しをする寺山に気付かず、三人は寺山を褒め称えていた。
暢気なものだ。この先自分たちがどうなるか少しも考えていないのだろう。
寺山は加賀詩穂から言葉巧みに預かるという形で受け取ったレミントンM31RSショットガンを抱え直し、小さく息を吐いた。
銃声からもう三十分以上経っているが、もしそこに銃を撃った人間がいれば生き残れる確率はとても低い。あの連射音はマシンガンだとかそういった類のものだろうから、それに勝つにはこちらの武器はあまりにも心もとないのだ。いくらショットガンがあるとはいえ、こちらが一発撃つ間に相手は何発も撃てる。
そうなった時は、三人を盾にしてでも逃げなければいけない。自分は今一人でいるかもしれない桃井を迎えに行かなければいけないし、見つけた彼女を守らなければいけないのだ。

「ねえねえ、あれじゃない?」

木々の隙間から見えた高い建物を指差し、先頭を歩いていた川田美穂がこちらを振り返る。

「そうかも!」

早く行こう、とブッシュナイフを片手にした安藤が川田の後をついて真っ直ぐ灯台へ向かって行く。遅れて加賀もついて行き、最後尾、出来る限り周囲へ気を配りながら寺山も後を追った。
自分たちが立てる物音以外、何の音も聞こえてこない。一足先に灯台へたどり着いた安藤と川田も血まみれにならずそこに立っている。灯台の周囲には自分たち以外いないのかもしれない。

「あ、入れるよ」

全く警戒もせずに少々重たそうに扉を開けた川田がまた先陣を切って中へ入っていく。誰が潜んでいるかも分からないところに、よくもまあそこまで無防備に入っていけるものだ。寺山は心底理解できないという目で、灯台に入っていく三人の背中を見つめた。
開け放たれた扉の向こうから安藤が寺岡を手招いている。
手招かれるままに扉へと歩みながら、寺山はポケットに入っている弾を服の上からそっと押さえた。やれ。やるしかないんだから。

「中、誰もいないみたい」
「そう」
「ここで少し休んでこーよ」

ようやく一息つける、と三人が笑っている。寺山の背後で灯台の扉が重たげな音を立てながら閉まった。
深呼吸を一度して、それから寺山はショットガンを構えた。

「寺山さん……?」

ショットガンが反動の大きい銃だということは、さほど詳しくなくても知っている。だからしっかりと腰のあたりで固定し、寺山は引き金に指をかけた。
これだけ近ければ中るはずだ。この銃声で人が来ないことを祈りながら、きっちり三回、銃声を轟かせた。

皮下の独白

2022.06.20