学校を出た桃井さつきは真っ直ぐ正面の林の中へと入っていった。舗装はされていないが道のようなものになっている砂利の上を歩きながらどこかでデイパックの中身を見なければと辺りを見回す。
木々や生い茂る葉に遮られ林の中はあまり月明りが差さない。かといってこんな開けた場所で荷物を広げていれば誰かが来た時にどうにも出来ないだろう。
桃井はしばし逡巡し、道からそれて林の中へ踏み込んだ。少し進んで道が見えづらくなったあたりでデイパックを下ろし、しゃがみ込む。デイパックの中には水や食料など教壇に立っていた男の言っていた物が乱雑に詰め込まれていた。
そしてその一番奥に、パイナップルのような模様の入った黒い物が三つばかり。
金属質で上部に輪になったものがくっついているそれが何か、桃井にも分かった。手榴弾だ。それは多少火薬の調整はされているものの人を殺めるのは十分な威力を持つ代物だった。
桃井は青い顔でそれをそっとデイパックに戻し、代わりに地図と懐中電灯、それから方位磁針を取り出し寺山を探すことを決めた。
一体どこにいるだろう、待っているだろうか、それともどこかに行ってしまっただろうか。待っていてくれたらいいけれど、きっと寺山はどこかに隠れているだろう。
あの二度の銃声を桃井も聞いている。あれは学校の近くから聞こえたようにも思えたから、きっと逃げてどこか安全な場所に寺山はいるはずだ。
あの銃の先が寺山に向けられたものではないことを祈りながら、桃井はデイパックを背負いなおし再び砂利道へと向かっていった。
桃井にとって寺山はたった一人の親友で、世界で一番愛する人だ。
何よりも大切で、何よりも愛しく思っている。例え何を捨てることになったとしても最後まで手放したくない光であり、自分を守ってくれる最後の砦でもあった。
桃井は昔からそのずば抜けた容姿や頭脳、よく会話を交わす青峰たちが女の子たちに人気なこともあって、同年代の女の子たちからは何かと恨まれ羨まれてきた。そんな桃井に初めて手を差し伸べ微笑んでくれたのが寺山だったのだ。
一番辛い時も悲しい時も、寺山はいつだって傍にいて手を握り元気をくれる。この冗談のようなプログラムの中でも、寺山は桃井のたったひとつの支えなのだ。
「ちゃん、どこに行ったんだろう……」
いくらここが周囲六キロメートル程の小さな島だとは言っても、誰かを探すとなると別だ。相手のいる場所が分かっていればいいが、分からない上に移動しているかもしれない。そうなれば見つけ出すことはなかなかに骨が折れる。
人影を探しては隠れて確認し、捜し人でなければまた人影を探す。そうして歩いているうちに大きな山が見え始めた。地図によるとどうやらそれは島の北部に位置する山であり、どうやら桃井は人影から逃げる内に北上していたようだった。
ちゃんと地図を見ないと。ただ握り締めていた方位磁針を見つめ、それからポケットに仕舞い込んでいた地図を引っ張りだす。
地図上ではここから東に進んでいけば海岸沿いに灯台がある。西へ行けば神社、このまま北上すると断崖があるらしい。寺山は一体どこにいるのだろう。
ここらにいなければ、島南部の住宅地のほうへ行ってみよう。どこかの家に隠れている可能性も高い。
「(灯台が一番近いかな……)」
桃井はひとまず灯台へ向かうことにし、東を目指し方位磁針を見ながら歩き始めた。
X X X
紫原敦と鶴賀水緒は幼稚園生の頃からの幼馴染であった。
家自体は少々離れている二人の出会いは、幼稚園の年中の組が同じになった時である。同じ組の子たちの中でも鶴賀は一番小さく、反対に紫原はその頃から一番体格が良かった。
鶴賀は幼稚園を休みがちで、登園してきても友達と遊ぶわけでもなく、教室の隅で絵を描いているばかりだった。小さな体を更に小さく丸めて、部屋の隅に一人でいる鶴賀がどうしてか紫原は放っておけず声を掛けたのが彼らの交流の始まりだ。
その頃から鶴賀はどこか人とは違う空気があり、みんなが知っているようなことを全然知らない、テレビの話も食べ物の話もほとんど分からないから出来ない、ということが多かった。当時の紫原はよく分かっていなかったが、その頃から鶴賀はネグレクトに近いことを受けていたのだ。
小学生にあがる頃、紫原は鶴賀の境遇を自身の両親を通じて知った。その頃には紫原はあまりにも無垢でまっさらな鶴賀を、友達ではあるけれど、それ以上に守り慈しまなければならない存在だと認識していた。
鶴賀を連れて家に帰り、食事を共にとる。週末ならばそのまま宿泊させて休日も一緒に遊ぶ。そんな日々を二人は過ごし続け、そうして中学生になった現在も変わらず平和で平穏な日々を過ごしてきた。
今の、今まで。
もう誰もいなくなった学校から勢いよく飛び出した紫原敦はすぐに鶴賀水緒を探すために辺りを見回した。自分の言いつけはいじらしい程きっちりと守る鶴賀だ、必ずすぐそばで隠れて待っているはずだ。
一度ぐるりと校舎を回ろうと西側へ歩いたとき、スラックスの裾が何かに引っ掛かった。引っ掛かったというよりも引っ張られたという方が正しい感覚に紫原は足を止めた。
足元へ視線を下ろすと、玄関脇、雑草なのか何か植えたものが雑草に紛れたのか、やたらと草の生い茂る中に鶴賀が身を小さくしてしゃがみ込んでいた。すぐ傍に各自に支給されたデイパックが転がっている。
「び、っくりした~、ずっとそこにいたの?」
鶴賀のデイパックを拾いあげて背負い、自分よりも随分と小さな手を引き立ち上がらせた。あちこちについた葉っぱやら土やらを叩いて落とし、綺麗にする。
「ん、そばって書いてたから……」
「誰にも見つかんなかった?」
身を屈め目線を合わせて頭を撫でながら問うと、鶴賀は無邪気に笑いながら頷いた。
きっとこんなところに人がいるなんて誰も思わなかったのだろう。窓からの明かりがある分、この校舎の隅は影のように暗くなるから余計に見つかりづらい。良いところを見つけたものだ。
紫原はデイパックから地図と方位磁針を探し出して、懐中電灯を鶴賀へと渡した。地図では南東側に住宅地のような家の密集した場所があるようだ。
少し悩んでから紫原は鶴賀の小さな手を握ると、そのまま南へと向かっていった。
「あ、あつしくん、どこ、行くの?」
「ん~、取り敢えず南の方。あっちは住宅地があるから多分隠れられるでしょ」
なるべく隠れて、なるべく人から遠ざかって、なるべく血生臭いことには関わりたくない。鶴賀の為にも、自分の為にも。
住宅地ならば家も多く建っているだろうし、外のような囲いのあまりない場所よりも室内の方が守りやすい。自分よりも随分と体力のない鶴賀は体調も崩しやすく、あまり外の風に長時間当たらせたくないこともあって紫原は住宅地を目指すことを決めた。
もう殺し合いは始まっているし、自分の体格を考えるとのんびり歩いている方が危ない。そう思った紫原は鶴賀には申し訳ないが無理にでも走ってもらおうと歩いていた足を速め、半ば駆け足で雑木林の中の砂利道を進んだ。
「ぅ、ま、まって、わ、」
駆け足とは言え長い足を最大限活用して進む紫原に、鶴賀は当然ついて行けずに何度も転びそうになる。
荷物を二つも持っているのにどうしてこんなに速いのだろう、と酸素が足りなくなり始めた頭で鶴賀はぼんやりと大きな背中を見た。あんなに重たいと思っていたデイパックを軽々担ぐ背中は随分と大きい。あの背に負ぶさると安心感でいつも眠たくなってしまうな、と鶴賀が思ったところでようやっと紫原の足が止まった。
待ってとは言ったけれどそんなにすぐに止まると思わなかった鶴賀は止まれず、ぼすんと目の前の背とデイパックに埋もれるようにぶつかった。
デイパックの中の何かごつごつとした物に顔をぶつけてしまい、痛みで涙が滲んでくる。
「うわ、ごめん、大丈夫?」
「……鼻血、でてない?」
「ん~、出てない。赤くなってるけど」
ぜえぜえと必死に酸素を取り込む鶴賀の背を撫で、紫原はその額に浮かんだ汗を拭ってやった。そのまま流れるような手つきでゆっくり息が出来るようにネクタイを緩めて、第一ボタンも外してやる。
そうして紫原がせっせと世話を焼き、やっと鶴賀の息が整った頃合いにデイパックから水のボトルを取り出し蓋を開け、手渡した。兄弟も多く世話を焼かれる側の紫原が唯一自ら進んで世話を焼くのは、小学生の頃から鶴賀ただだ一人だけである。
「一回休憩しとこ。無理させてごめんね」
校舎からだいぶん離れ、まばらになってきた雑木林の中の木に凭れるように座り鶴賀の手を引く。何の抵抗も無くすっぽりと腕の中に入ってしまう体は小さく頼りない。
片手で容易に掴めてしまいそうな小さな頭を撫で、走って乱れた髪を整えてやると鶴賀は楽しそうにくふくふと笑いこちらを見上げてくる。昔から何も変わっていない、怖くなるほど無垢で無邪気な笑み。この笑みを、この先永遠に失うかもしれない。
ああ、どうしてこんなプログラムに自分たちは選ばれてしまったのだ。
苦しくて悲しくて、紫原は腕の中の鶴賀をきつく抱き締めた。
願ってもかなわない呼吸
2022.06.14