03

後ろの方から誰かのすすり泣く声が聞こえる。
振り返ることなく教室を出て行く赤司征十郎の背中を見つめながら、黒子テツヤ(男子七番)は教壇の男がつい先程話した内容を思い出していた。
よく見知った同級生達との殺し合い。爆弾の仕掛けられた首輪。最後の一人になるまで終わらない悪夢のようなサバイバルゲーム。
これが夢だったらどんなに良いだろうかと黒子は右斜め前に座る東雲を見て、静かに目を閉じた。目を開けたらまだバスの中で、隣で眠る東雲をもう着きますよ、と揺すり起こす。そうだったら、どんなにいいだろう。

「次、火神大我くーん」

がたりと音がして黒子は目を開けた。耐えるように顰められた横顔をぼんやりと見送る。
ドアの傍に立った男からデイパックを受け取った火神大我(男子五番)が、黒子の視線に気付いたのか振り返った。少しきついくらいの眼差しが真っ直ぐ突き刺さり、その奥で燃え揺れるものに黒子はハッとした。
出て行く背中を見送り、息を吸い込む。
そうだ、こんなところで折れていては駄目だろう。
黒子は再び東雲を見た。その横顔は人形のように何も映していないように見えるが、いつもよりもその顔色は青く見え、彼が怯えや恐怖を感じているように思える。彼のことは自分が守らなければならない、という使命感にも似たものが腹の底から噴き出す。
次々と出て行く同級生達は青褪めた顔が多いけれど、中には覚悟を決めた引き攣った顔をした者も何人かいる。

「えーとぉ、じゃあ次、黒子テツヤ君」

覚悟を決めろ。
ぐっと拳を握りしめ立ち上がる。東雲の横を通り過ぎるとき、「待ってます」と彼にだけ聞こえるよう低く抑えた声でそっと呟いた。
デイパックを男から受け取って東雲を振り返り見れば、複雑な色を混ぜた丸い瞳が泣いてしまいそうに歪んでいたが確かに頷いた。それに小さく頷き返し、黒子は教室を後にする。
教室を出て左側はバリケードのようなものが組まれ進めないようになっていた。バリケードの向こう側へ続く廊下の窓には教室同様黒い布か何かが貼られているのか、異様に暗くよく見えない。その暗さが、これからを示しているように思えて気分が重くなる。
黒子はデイパックを背負いなおすと足早に廊下を進み、すぐに見えてきた玄関口の前で一度立ち止まった。
あたりに外灯も無いのだろう、玄関の向こうには重たい暗闇に満ちていた。月明りで学校の向こうに木々が広がっているのは分かるが、誰かが潜んでいても見えやしないだろう。
東雲がこの教室から出てくるのは約十分後だ。それまで誰にも見つからずに身を隠して待っていられる場所にいなければいけない。
デイパックの肩紐を強く握りしめ、黒子は玄関の外へと足を踏み出した。なるべく気配を消して、周囲に溶け込むように歩く。
今日ほど自分の影の薄さに感謝したことはないだろう。黒子は学校の玄関口から漏れる光をよけ闇に紛れながら、木々の間へと入っていった。


X X X


寺山は小さな、けれど確かな覚悟と闘志が黒子の瞳に揺れたのを見て、右斜め後ろにいる東雲をちらりと振り返り見た。黒目がちの丸い瞳をうるうると潤ませた今にも泣いてしまいそうなその顔は、見る物の庇護欲を刺激するか弱い小動物のようだ。
つい先程まで赤司や自分と似たような何も感じていませんと云わんばかりの顔をしていたくせに、随分と変わるじゃあないか。ふん、と小さく鼻で笑い教壇の男から何も言われないのを良いことに寺山はそのまま東雲を見つめる。
教室を出ていく黒子の背を見送った東雲はどこか悲しそうに顔を曇らせた後、すっと寺山に視線だけを向けてきた。またもや打って変った無表情な、一種刃物のような鋭さと冷たさを感じさせる瞳が寺山を見る。
東雲はゆるりと目を細め、小さく笑った。黒子に向けていた弱々しいものとは全く異なる、こちらを矮小なものと見下す嘲笑。
す、と血の気が引いていく。目を逸らし前へ向き直りながら、寺山はあの笑みこそがこの男の本性なのだと確信した。
東雲はいつもきゃらきゃら楽し気に笑いクラスの中心にいて、甘え上手なのだろう、周囲によく可愛がられている男である。誰もが東雲を“優しくて素直な良い子”と称していた。
それはとんだ間違いだったのだ。優しくて素直な良い子は、あんな悪魔じみた笑みは浮かべないだろう。

「はい、じゃあ次ぃ」

東雲はきっと何の躊躇いもなく同級生たちを手に掛ける。そこには何の感情も無いのだろう。
気を付けるべきなのは赤司だけではなく、この男もだ。
寺山はぐっと奥歯を噛み締めた。

「(私が、さつきちゃんを守らないと)」

皆が目覚める前、寺山の手を握り締めた桃井さつきの手は哀れなほどに震え、目には涙が浮かんでいた。きっと、今も恐怖と不安に震えていることだろう。
桃井がここを出るのは寺山の四十分も後にある。その長い間、桃井は一人で震えていなければならず、それが可哀想でならない。ずっとそばにいられたらどれだけ良いか。
桃井を守れるのは自分しかいない。もう一度そう思い、覚悟を決めるように寺山は静かに目を閉じて自分の名を呼ばれるのを待った。


X X X


紫原敦(男子二十一番)は教壇上の男に『私たちは殺し合いをする』『やらなきゃやられる』と三度ずつ書かされた紙の隅に、小さく『校舎のそばで隠れて待つこと』と書きつけて千切り取った。
千切った紙を小さく折り畳み、紫原は男達の目を気にしながらそうっと隣に座る幼馴染の鶴賀水緒(男子十四番)の机へ投げ飛ばす。投げた紙はころりと机上に転がり机に置かれていた小さな手にこつんと当たって動きを止めた。
ぶつかった感触で気付いたのだろう、鶴賀のぼんやりとどこか焦点のあっていない瞳は宙を舞うのをやめ、転がる小さな紙へと移された。じっと見つめた後、もたもたとした手付きで広げていく。そこに記された文面を読み取った硝子玉のような目がぱっと紫原を見つめた。
目が合った途端、鶴賀はふわりと真っ白な笑みを浮かべた。見慣れたその笑顔はこの場にはあまりに不釣合いなほど無垢なものだ。
今何が起きているのか、何が起きようとしているのかきっと何一つ理解していないのだろう、と紫原は薄い笑みを返しながら思う。鶴賀にはあの教壇の男の話など一切聞こえていないのだろう。
鶴賀はにこにこと笑いながらしっかりと頷き、丁寧に紙片を折り畳むと大切そうにポケットへと仕舞い込んだ。

「次、東雲君どうぞぉ」

紫原は鶴賀から視線を外し、デイパックを受け取る東雲を見た。怯えたように目を伏せる白い顔。
だが紫原は知っていた。
東雲は無害そうなその見た目通りの人間ではない。同級生たちが思うような優しくて素直な良い子なんかでもなく、赤司や寺山のような他人に躊躇いなく害を与えられる人種だ。きっとこの三人は迷いもなく人を撃つだろう。
自分はどうだろうか、と再び鶴賀へ視線を向けた。躊躇いなく引き金を引けるのだろうか。
紫原の視線に気付いたのか、それともずっと見ていたのか、目が合った鶴賀はぱたぱた瞬きしながら首を傾げる。つられるように首を傾ければ、鶴賀はまた笑った。
幼子のように笑うその姿に紫原は少しだけ苦しくなった。引き金は引かなければいけないだろう、このあまりに無力な幼馴染は自分が庇護しなければならない存在だ。
また誰かが呼ばれ立ちあがった。鶴賀の番まであと何人もいない。
この教室を出たときからこの最悪の殺人ゲームは始まってしまう。
紫原は、どうか彼が自分が迎えに行くまで無事でいますようにと強く願った。

祈ったり願ったりする時間

2022.06.03