ここが一体何処なのかは分からないが、これから何が行われるのか、赤司征十郎にはおおよその検討が付いていた。だから、殆どの生徒が起き出した頃にこの教室へ入ってきた男の話にも驚くことはなかった。
教室へ入ってきた男はどこか軽薄な空気の漂うどこにでもいそうな人間だ。その辺の会社で極々普通に働いていそうな男は、この教室へ入ってくると教師がそうするように騒めきうろつく生徒たちへ席へ着き静かにするように指示を出した。
異様な状況下に突然現れた"大人"に生徒たちは黙って従い席に着く。一様に不安げな顔をした彼らを見回し、男は満足げに頷いて笑った。
「良い子たちですねぇ。じゃあ早速、始めましょうか」
場違いなほどにこやかな笑みを浮かべながら何度か頷く男へ、クラス委員長である佐野雄大(男子九番)が「あの」と手を挙げた。
「はい、なんですか?」
「ここは何処で、何故僕たちがここにいるのか教えていただけますか」
「ああ、その説明を今から始めるんですよ。他に何か質問ある人いますかぁ」
ぐるりといささか大げさな仕草で教室内を見回した男は、また笑いながら頷く。
「はい、ではぁ説明をはじめます。まず此処は東京都からちょっと離れた島になりまぁす。えーと、こんな形の島ですね、住人は今はもういません。で、何故君たちをここに集めたかというとぉ、これから君たちには殺し合いをしてもらうからです」
異様な静けさに満ちた空気が流れ、それからすぐ爆発するようなざわめきが教室内に満ちる。
「うんうん、良い反応ですねぇ。はい、静かにー、続きを言いますよ」
男はこのクラスが"プログラム"に選ばれたと説明し、これからのことを話していく。説明が終わる頃には生徒たちはすっかり静かになっていた。
嫌な静けさに満ちた教室を赤司はざっと見回す。沈んだ面持ちで俯く者や、泣き出す者、反対にぎらぎらとした目付きをする者がいる中、ちらほらと自分と似たよう、無感情で無表情な顔をしている者がいる。
中央列の前から三番目、丁度教室の中心にあたる位置に座る東雲(男子十番)、その右斜め前の寺山、そして窓側から二列目の一番前に座した高尾和成。念のためによく覚えておいた方が良いかも知れないな、と赤司はふっと息を吐き目を閉じた。
そして思うのは、現在恐らく目的地のホテルで休んでいるであろう双子の兄のことであった。
今朝、赤司の双子の兄である赤司皇一郎はそれぞれクラス別に割り振られたバスへの乗車前、嫌な予感がする、と囁くように言い不安を湛えた目を赤司に向けたのだ。見事にその予感は的中する形となってしまったが、このことを知った兄が自分を責めたりしていないかが気掛かりである。
だが、何よりも大切に思っている兄とクラスが別々であったことが赤司にとって不幸中の幸いであると言えた。兄が怪我を負うような可能性も、命の危険に晒される可能性もないから。
赤司は兄に傷がつくことを何よりも恐れている。自分以外の者が、あの神にも等しい人に傷をつくるということが許せないのだ。彼に傷をつくるのも、そしてそれを癒すのも全て自分だけでいい。
「ここまでで質問はないですかー」
赤司はここに兄がいないことに安堵しながら、遠くにいる彼を想った。さっさと終わらせて少しでも早く兄のもとへ帰らなければ、と同級生達が恐怖と絶望に苛まれている最中でも、赤司はただただ兄のことだけを考えていた。
このプログラムという名の殺し合いを切り抜けることなど何一つ考えていない。
否、考える必要もないのだ。
勝利しか手にしない赤司には、もう道筋が見えていた。見えているのだから今更どうこう考えるまでもなく、もしまだ何か考えることがあるとすれば、いかに効率良く立ち回り、いかに時間を短縮出来るかということだけなのだ。
自分に割り当てられる"武器"とやらは一体に何になるのだろう、とぼんやりと思いながら、赤司は男の指示に従い教室内へデイパックの乗せられた台車を運び込む新たな三人の男たちを眺めていた。
X X X
青峰大輝(男子一番)は教壇で喋る男を睨みつけるように見つめていた。
殺し合いをしてもらいますだなんて、訳が分からないし理解したくもない。互いに殺し合って最後の一人だけが家へ帰ることが出来る、最悪な、全くもって笑えない椅子取りゲームだなんて。
この国にそういう馬鹿みたいな決まりがあることは知っていた。昔、テレビでプログラム優勝者として映っていた女子生徒の顔を見たことがある。人としての大事な何かが壊れてしまったような、歪んだ、笑顔ともいえない笑みを浮かべていた。知っていたけれど、自分たちがそれに選ばれるだなんて考えたことも無かった。
「質問もないみたいですね。じゃー、入って」
教室のドアが開けられ、台車が三台入ってきた。台車にはデイパックが山型に積まれ、台車を押す男たちはロボットのように表情が無い。
台車と共に教室内へ入ってきた三人の男はそれぞれ台車の前に立つと腰から銃らしきものを引き抜き握りしめた。テレビや漫画の中でしか見たことが無いそれは、なんだか玩具のようにも見える。
へらへらと笑う男が胸元から封筒を取り出した。
「よぉし、じゃあこれから男女交互に一人ずつ教室から出てってもらいまぁす。名前を呼ばれたら返事をして、ここに来るように!ここのデイパックをひとつ持って出てくんですよぉ」
この教室を出た瞬間から吐き気のする椅子取りゲームは始まる。
黒板に描かれたこの島の地形を見つめながら、青峰は自分の前の席に座る瀧川聖司(男子十三番)の背を小突いた。僅かに身を後ろへ傾けた瀧川へ、青峰は教壇上の男と台車の前に並ぶ三人の男たちの視線を気にしながら小声で東海岸、とだけ告げた。
え、と瀧川が目を丸めたとき、自分の名前が呼ばれる。ばっと身を起こして見れば、いやらしい笑みを浮かべた男が「君が一番だぞぉ」と言った。
「もう一回言うけど、この教室を出たときから殺し合いは始まります。ここは皆が出てってから三十分後に禁止エリアになるからすぐに離れてくださいねぇ。じゃ、行きましょうか、青峰君」
名を呼ばれてもなかなか立とうとしない青峰に、三つの銃口が向けられる。にやにやと嫌な笑みを浮かべ続ける男に舌打ちをしながら、青峰は立ち上がった。
すれ違いざまに瀧川の肩を叩く。視界の端で瀧川が頷くのが見えた。
「じゃ、頑張れよぉ」
デイパックを受け取り、最後に教室をざっと見回す。
血の気の引いた青白い顔色が多い中、数人平然とした顔の連中がいる。その中のひとり、赤司と目があった。ぞっとするほど冷ややかな赤い瞳には圧倒的な自信と殺意が静かに燃えていて、青峰は確実にゲームが始まることを知った。
ぐっとデイパックを握る手に力を込め、教室を出る。
どうして俺たちのクラスなのだろう。本当だったら今頃、楽しい修学旅行の最中のはずなのに。
X X X
教室を出て行く青峰の背中を見つめながら、黄瀬涼太(男子六番)は十江(男子十五番)のことを見やった、
一番窓側の列の、後ろから三番目に座る十江は真っ青な顔をしている。伏せられた視線は机に向いているが、きっとどこも見てなどいないだろう。今にもばらばらに壊れてしまいそうな雰囲気に黄瀬は顔を歪めた。
どうしてこのクラスが選ばれてしまったのだろう。
全国の学校から五十のクラスが選ばれ"プログラム"という名での殺し合いが行われる。どうしてその五十の中に入ってしまったのだろうか、どうしてその他大勢の側につくことが出来なかったのだろう。
「じゃあ次、安藤千恵さぁん」
また一人、教室から出て行った。
二分おきに出席番号順で男女交互に出て行く、そういうルールらしい。そのルールで進むと黄瀬の約四十分後に十江がこの教室を出ることになる。
どうすれば無事に十江と合流することが出来るだろうか。
黄瀬は先程見た光景を思い出す。十江と同じ列の最後尾に座っていた青峰は、前席の瀧川に何かを告げていた。クラスでも仲が良い二人のことだから、きっとどこかで待ち合わせでもするのだろう。あの二人のように席が近かったらまた少し違っていたのに。
声を掛けることなど到底出来ない距離に黄瀬は歯噛みした。下手に動いてもあの台車前に立つ三人に撃たれてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。
「次ぃ、赤司征十郎君」
その名前に黄瀬はふと顔をあげた。いつだって冷静で、超然とした空気を醸し出す赤司がこの現状にどういった態度を示しているのか、少なからず興味があったのだ。
さっと立ち上がり歩くその横顔は余裕に満ちていて、いつも教室で見る姿と何ひとつ変わらない。その様に黄瀬は寒気を感じた。きっと赤司は何の躊躇いもなく引き金を引いてしまうのだろう、短くない時間を共に過ごした同級生を手にかけることにきっと躊躇いなどひとつも抱かないのだ。
「はい、頑張ってねぇ」
赤司やそれ以外の、もう決めてしまった人間の手から十江を守るにはどうすればいいだろう。
この教室を出た瞬間から殺し合いは始まるのだ。もたもたしているうちに、誰かの手にかかってしまうかもしれない。どこで待つのが一番良いのだろう、この学校の傍は危ないだろうか。
次々と青い顔の同級生達が出て行くなか、黄瀬はただただ十江のことを考えていた。
苔むす天秤
2022.05.31