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長い階段を上りきり、灯室から外へ繋がるドアをくぐればもう目の前には海が広がっている。
高いこともあって少し風が強い。欄干に手を置き、下を見ながらぐるりと歩いてみると、丁度海が見えるところから真裏に位置する場所に北の山が見えた。この灯台も随分遠くまで見えるものだ。
ゆっくり一周し、元の位置まで戻ってくると赤司征十郎は欄干に腕を乗せ海を眺めた。遠くに明かりのちらつく船が見える。
そのままぼんやりと海と船を眺めていると、じわじわと侵食するように日が昇り始めた。
日の出なんて元旦に見るか見ないかくらいなものだ。日の光で煌めく海の美しさと眩しさに赤司は目を細めた。特別な日ではなくても、こうして眺めの良い場所から日の出を見るのも良いものだ。帰ったらこの話もしよう、と赤司は口元を緩めた。

暖かい日の光に少しだけ眠気を感じながら、赤司は足元のデイパックから水のボトルとパンを取り出した。
少し早いけれど朝食だ。食べたらここを出て海沿いに歩き、南東にある住宅地へ向かう。そこで何か使えそうなものでも探して、どこかで一休みしたい。
海を見下ろしながらパンを一口齧る。あまり美味しくない上に、口の水分が全て持っていかれるぱさぱさ具合に自然と眉が寄ってしまった。
時折兄が振舞ってくれる手料理がひどく恋しい。二か月ほど前に作ってくれた豆腐ドーナツはもっちりとしていてすごく美味しかったことをよく覚えている。

そういえば、兄が料理をつくるようになった切欠も赤司であった。小さなころ、赤司は嫌いな食べ物は無かったが、同時に好きな食べ物というものもなかった。
何を出されても黙って淡々と食べる赤司が兄にはどうにも寂しく思えたようで、小学校の二年生になった頃、まだ元気であった母に色々と教わりながらくるみのクッキーを作ってくれた。クッキーはそれまでも何度か食べたことがあって、香ばしくて甘いお菓子、くらいの認識しかなかったのだが、兄が作ってくれたそれはとても美味しく思えた。
美味しい、また食べたい、と笑う赤司に兄も嬉しそうに笑い、それからたびたび母に教わりながら兄は色々なものを作ってくれるようになったのである。
いつも食べるものも美味しいと思うけれど、兄のものには遠く及ばない。また食べたいと思うのは兄の料理ばかりで、どんなものも兄が作れば御馳走となった。それを見る度母は「征十郎さんは皇一郎さんが大好きなのね」と笑っていたものだ。
母が亡くなった後も、兄は母が残したレシピやテレビや本で見たものをもとに色々と作ってくれる。とろとろたまごのトマトオムレツや、海鮮たっぷりのお好み焼き、旬の山菜を色々入れた炊き込みご飯。どれも今は赤司の大好物となっているものだ。

はやく帰って、兄の作ってくれた美味しい料理を食べたい。そう思いながら水で流し込むようにしてパンを食べきり、デイパックを持って立ち上がり砂を払う。
赤司の制服は、すでに何人もの同級生を殺めておきながら汚れひとつなかった。
傍に放り投げていた拳銃を拾い、ナイフがあるのを確認すると再びドアから灯室へ戻り階段を下りていく。
時計を見ればもう五時半近くをさしていた。一時間以上もあそこでぼんやりしてしまったのか。ならばついでに仮眠でも取っておけば良かった、と思った時、欠伸がひとつ零れた。
六時の定時放送を聞いたらどこかで少し眠ろう、眠気で注意力散漫なんてことになったら全てが狂ってしまう。
くるくると手の中で拳銃を弄びながら、住宅地が禁止区域に選ばれないことを願いながら赤司は真っ直ぐ南へと向かって行った。


X X X


北西の海岸付近へ戻って来た青峰大輝はひどい顔色をしていた。灯台の方へ赤司が向かって行った聞いた桃井さつきと瀧川聖司もまた顔を青褪めさせた。
赤司は基本的には優しく穏やかだが、ふとした時に冷徹な支配者の顔を見せる。何の躊躇いもなく他者を切り捨て見殺す恐ろしい一面を持っていることを桃井も青峰も知っていた。だからこのプログラムで赤司は一体どういった反応、行動をとるのかなんとなくでも予測できてしまう。
もし今自分と赤司が鉢合わせしたら、きっと赤司は迷いなく引き金を引いてこちらを全滅させようとするだろう。それはきっと、他の誰に対しても変わらない。

「赤司がこれからどこに行くのかわかんねーけど、今は動かないほうがいい」
「下手に移動して鉢合わせるとマズいしな」

瀧川の返答に青峰は頷く。
六時の定時放送があるまで林内に留まることにした三人は、中断していた交代での睡眠を取り始めることにした。酷く疲れた顔をしていた青峰をまず寝かせることにし、瀧川と桃井は周囲へ気を配りながらなんてことない会話を小さな声で続ける。
少しでもこの空気を忘れさせようと色々話をしてくれる瀧川の優しさに桃井は泣いてしまいたくなった。二人に会えて良かったと心から思う。青峰も瀧川も、そんな余裕はないだろうに自分を守ったりとても気を回してくれている。
それに桃井はとても感謝しているし、どうしようもなく嬉しく思うけれど、それでもどこかでひどく寺山を求めていた。自分を支えてくれるのは寺山しかいないと思ってしまうのだ。

青峰と入れ替わりに瀧川が眠り、それから最後に再び桃井が眠ることになった。おやすみと言って安心させるように撫でてくれる手の大きさも温度も、寺山とは全然違う。
目を閉じ思うのはやはり寺山のことだった。
灯台の方へ赤司が行ったと青峰は言っていた。もし灯台に寺山がいて、もし鉢合わせでもしてしまったらと思うと恐ろしくて堪らなくなる。どうかここからずっとずっと遠いところにいますようにとただ祈り、ひたすらに無事を願いながら桃井は眠りへと落ちていった。
そうして次に目覚めたのは、六時の定時放送が響き渡り始めたときである。
間の抜けたような電子音、それから

『みなさーん、おはようございまぁす。午前六時になりましたよぉ』

あの忌々しい男の声が島中に鳴り響いた。

火と鋼の機微

2022.06.23