01

修学旅行という非日常の特別な雰囲気に、高尾和成(男子十二番)とその隣に座る茉柴(男子十九番)は他の生徒同様、いつもよりも高揚した気分で延々と他愛ない話で盛り上がっていた。昨晩見たテレビ、先日発売した雑誌、人から聞いた話、自分の話、とテンポよく進む会話は終わることがない。
よくもまあ尽きないものだと彼らと通路を挟んだ隣に座る緑間真太郎(男子二十番)は、半分夢の世界に浸りながら少し呆れていた。
似た部分を多くもつ高尾と茉柴は、クラスでも一番といってよい程仲が良い。親友どころか、最早長年共に過ごしてきた双子のようでさえある。お互いを誰よりも、もしかすると本人よりも熟知し合っている、とでも言いたげな空気が二人の間には漂っているのだ。

「で、そんときに佐野がさぁ」

ふと高尾は周囲に視線を走らせ気付いた。
妙に静かなのだ。
先程までわいわい騒いでいた同級生達は今やすっかり静まり返っていた。まだ二十一時を少し過ぎたところだというにしては、些か静かすぎる。
いつも早くに就寝する緑間などが寝ているのならまだしも、いつもは日付を跨いでもまだ起きているような連中までもが眠っているのだ。非日常に興奮していたがために普段より疲れ眠ってしまった、というには自分たち以外の声が全く聞こえないというのは変だろう。
不気味でさえある静けさに高尾は眉を寄せた。なにかがおかしい気がする。

「カズ?」

どうかしたか、と問う茉柴の目も心なし眠たげだ。

「いや……」

なんでもない、と首を振ろうとした矢先に茉柴がふわりと欠伸を零した。つい数秒前まで全く眠気など感じさせず元気に話していたというのに、このたった一瞬の間に眠気に襲われるものなのだろうか。
眠くなってきた、と目を瞬かせる茉柴に顔を顰めた高尾もまた、自信に急な眠気が訪れたことを感じていた。
絶対に何かがおかしい。病気も無ければ薬の類も飲んでいない自分が、こんな急激な眠気に襲われるわけがないのに。
けれどそのおかしさに辿りつく前に、高尾も茉柴も訪れた眠りへと飲まれてしまった。


ざわざわと耳に障る厭な騒めきを感じ高尾は薄く目を開け、気付いた。
おかしい。バスの中で椅子に凭れて眠ったはずなのに、何故今自分は伏せているのだろう。
恐る恐る身を起こし警戒するように周囲を見回した高尾の目に入ったのは、見慣れたような机と、不安げに騒めきうろつく同級生たち、その向こうに黒板と教卓。今日までずっと見てきたものばかりだ。
あちこちガタが来て随分と古そうだが、ここは間違いなく教室だった。
何故こんなところに、と警戒する気持ちが強くなった時、不安げな顔をした同級生たちの首に見慣れぬ銀色の輪を見つけた。場違いなほど滑らかな光沢を放つそれは、映画で目にするような、実験体を管理する首輪そのものに思える。
自身の首元に手をやれば、冷たい金属が触れる。指一本が入るかどうか、というほどぴったりとしたそれは目の前の同級生の首にあるものと同じもののはずだ。
何故、どうして、ぐるぐる回る疑問に恐怖が滲みだした時、教室のドアが開いた。


X X X


バス内で突如猛烈な眠気に襲われ眠ってしまってから自分からどこかに移動した記憶はない。けれど桃井さつき(女子十七番)は、どこかの見知らぬ教室で目覚めた。
ここは一体何処なのだろう。あのバスはホテルへ向かっていたはずなのに、どうしてこんな場所にいるのか全く分からない。ぐったりと机に伏せて眠っている同級生達に、ぞわぞわと言い知れぬ恐怖を纏った寒気が背中を這い上がってくる。
白々とした蛍光灯に照らし出された木造の教室は古くあちこちが傷み、廊下側の窓ガラスはすっかり曇ってしまっていた。外が見えるはずの窓は外から何かで覆われているのか、不自然なほど真っ黒で何も見えない。せめて今が何時かだけでも分からないか、と見た自身の腕時計は一の上に短針が乗っていた。

「一時……」

午前か午後かはわからないけれど恐らく、午前だろう。
バス内で自分の隣席にいたはずの寺山(女子十一番)は一体何処にいるのだろう、と桃井は混乱した頭のまま周囲を見回した。その時、ふと目の端に燃えるような赤が入り込み、桃井はハッと振り返り見た。

「あ、赤司君……」

平時と変わらぬどこか他者を拒むような冷ややかな目で赤司征十郎(男子二番)は桃井を見返した。いつもはその眼差しに恐れしか感じていなかったけれど、明らかな異常事態の今、その変わらない冷静さに安堵を覚えてしまう。
何を考えているのか分からぬ顔で腕を組み自分の斜め後ろに座っていた赤司に、桃井は泣きそうな声で問いかけた。

「ここ、どこだかわかる……?」

僅かな期待が込められたその問いはしかし、すぐに切り捨てられてしまった。否と首を振った赤司に一層不安が増していく。一体自分たちはどこに来てしまっているのだろうか。
その時、背後でガタリと音がして桃井はまた誰かが起きたのだと前へ向き直った。

「あ、ちゃん!」

左の斜め二つ前、気が付かなかったけれど桃井のすぐ近くに探していたその人はいた。不思議そうに周囲を見回す寺山を桃井は泣いてしまいそうな声で呼ぶ。
桃井の声にハッと振り返った寺山は、彼女が泣きそうな顔をしていることに気が付くとすぐに席を立ち駆け寄ってきた。桃井も立ち上がり、駆け寄ってきた寺山とお互いにぎゅっと抱き締め合う。さながら感動の再会とでもいうような抱擁に、二人を眺めていた赤司は少しばかり引いた顔をしていた。

「よかった、ちゃんだ……」
「さつきちゃん、どこも変なとこはない?」
「ううん、ないよ。……ちゃん、それ」

目の前の白い首に、見慣れない銀色の輪が巻き付いている。ファッションというにはあまりにも武骨で無機質なそれには違和感しか湧かない。
桃井の目線に寺山は己の首に触れた。冷たい金属の感触に顔を顰め、それから桃井の首にも金属の輪が付いていることに気付いてさっと辺りを見回す。
起き出した生徒にも、まだ机に伏せている生徒にも、それぞれ首に銀色の輪が付いていた。

「……皆付いてる」
「ねえちゃん、ここ何処だか分かる?なんで私たちここにいるのかな……」
「分からないけど、でもこれから良いことは起きないと思う」

寺山の言葉にさあっと桃井の顔が青褪めた。
桃井自身もずっと嫌な予感はしていた。そして昔から、桃井の勘はよく当たる。

「でも大丈夫だよ、私がさつきちゃんを守るから」

そう言って微笑み、優しく桃井の手を握る寺山の目に何か不吉な強い光を見た気がして、桃井は云いようのない漠然とした不安をまた感じた。

怖いこと悪いこと

2022.05.31