とうとうこの日が来た。この瞬間をどれだけ待ち望んだことか!
あちこちの部屋を覗いて回る大和は気分が高揚しているのだろう、少し潤んだ目を輝かせ頬を薔薇色に染めている。ああ、ああ、俺の小さな天使よ!
愛らしいその姿に、酔ってしまいそうな程の幸福感に襲われる。たったひと月だけれど、これからの蜜月を思えば叫びだしてしまいそうなほどに嬉しく、目眩がしそうなほどの熱が脳内を焼いていった。
「おそまつお兄さん!」
二階の手摺からいまだ玄関に突っ立ったままの俺を見下ろした大和が、こっちに来て、と手招いてくる。感情表現があまりうまくない大和は、それ故大きな声を出すこともそうない。けれど今は浮足立っているのか、初めて聞くような大きな声で早く早く、と急かしてくる。
呼ばれるままに緩やかな螺旋階段を上り、大和が顔を覗かせている一番奥の部屋へ向かえば、そこは寝室であった。部屋の中央あたりに置かれた随分と大きなベッドは大人二人が寝転んでも余裕がありそうなほどで、何よりも目を引いたのは、そこに垂れさがるレースのカーテンである。天蓋だ。
「このベッド、すごく大きいから一緒に寝ても狭くないよね?」
「え!?」
「だめ……?あの、昨日、楽しかったから……」
また一緒に寝たかったんだけど、としょんぼりと眉を下げ、目を伏せる。そのままぽてぽてとベッドまで歩き、そろりとシーツを撫でる小さな手を半ば奪い取るように握った。
「い、一緒に寝ます!」
「いいの?」
「いい!夏休み終わるまで、ずっと一緒に寝よ!」
ほわり、とあの花開く可憐な微笑みが彼の顔を彩った。細められた瞳がきらきらと光を反射して星のように瞬き、うっとり見惚れてしまう。
誘われるようにそのまろく滑らかな頬を撫でれば、じんわりとした熱が手のひらに伝わって来た。しっとりとしていて、けれどさらりとしたその質感はひどく気持ちがいい。すりすりと撫で続けていれば、次第に頬の赤みが増し手のひらに伝わる熱の温度も上がってくる。ああ、本当にこの子は可愛い。
きゅうん、と胸が甘く痛んで、その細い肩に腕を回しぎゅうっと抱き締めた。
「は~、大和君はほんとにかわいいねぇ」
すり、と髪の毛に己の頬を摺り寄せると、おずおずと大和が抱き締め返してくれる。これも、本当につい最近やってくれるようになったことだ。それまでは戸惑ったように手を少し彷徨わせ、そのままだらりと落としたり、控えめに服の裾を握ってくるだけだった。それが今、ようやっと、恐る恐るだけれども抱き締め返してくれるようになったのだ!
こうやって少しずつ変わっていくのを感じると、堪らない気持ちになる。固い粘土が触れられるたびに柔くなるように、少しずつ変わっていくのだ、他でもない、この俺の手によって。
* * *
夢のようだ天国のようだ、なんて思っていたけれど、ここは地獄でもあった。
一階の奥にあった浴室は、松野家のものとは比べ物にならないほど広く浴槽も大きい。二人で入っても平気なくらいの広さで、洗面台の横の棚に様々な種類の入浴剤を見つけたもんだから、ただただ目先の欲だけで一緒にお風呂に入ろうと言ってしまった。誰かと一緒に風呂に入るなんて幼い頃くらいしかなかった大和は、それはもうきらっきらと眩しいほどの笑みで頷いていた。
それを今更、ちょっとナニがとは言えませんがヤバいので止めませんか、なんて言える訳がないのである。
別荘に来る途中で寄ったスーパーにて購入した食材で極々簡単な夕食を済ませ、そわそわしていた大和を促し脱衣所まで来た俺は目の前で始まったストリップショーに前屈みになり、浴室内では体を洗う大和に完全体になる始末である。成長途上故に薄いぺったんこの腹や見ているだけで非常にイケない気分になる淡い色の乳首、真っ白な細い背中に華奢な腰、それから、きゅっと小振りな尻。そんなもん見せつけられたら勃たない方がおかしいのである。
性の匂いを感じさせないのが、逆にここまでえろいなんて誰が思ったよ?俺はここまでだとは思ってませんでした!想像の倍以上にどえろくない?どうしよ、おそ松君がおっきしちゃう……どころの話じゃないのだ、もう既におっきしてるもん。
考えの甘い自分が非常に憎い。これでやらしいことしちゃダメとか本当に地獄以外のなにものでもない。
「おそまつお兄さん、いいよ」
「え、いいの!?」
「?うん、俺、もう洗い終わったから……あ、背中、流す?」
「あ、ああ、うん、そっちね、うん、お願いしようかなぁ」
いいよ、なんて言われて一瞬にしてどピンクな妄想を繰り広げましたが、そんな訳がないのである。
なはは、と自嘲しながら浴槽から立ち上がろうとして、固まった。そうなのだ、入浴剤のおかげでおそ松ジュニアがアダルティーなことになっているのを隠せていたけれど、浴槽から出てしまえば当然、お目見えしてしまう。
さて。ここ最近一番萎えたのってなんだったっけ?
次一緒に入るときは二発くらい抜いてからにしよう、と心に決めて再び浴槽に戻る。浴槽から出るだけで体力の半分は使うような目に遭うのはもう二度とごめんだ。
大和は随分とゴキゲンなようで、俺のくっだらない話や弟たちのアホ話にふわふわ笑っている。最強激萎え特集を脳内上映したせいで半分精神的ED状態の今ならば、大和をぎゅっとしても平気に思えて湯船から出ているせいで冷えている薄い肩に触れた。ぴくん、と手の熱さに驚いたように震え、きょとんと見上げてくる。
「やっぱ冷えちゃったね、おいで、大和」
濡れてしっとりと吸い付くような肌にくらくらしながらも、平静な顔で手招く。
そろそろ、と何の警戒も無く近寄ってきた大和を横向きのまま腿の上に乗せ、腕の中に囲ってしまう。この子は信用してしまった人間を疑うなんてことをしないのか、それともこれが普通ではないと分かっていないのか、俺の胸にぴとん、と頭を預けたまま動かない。
「おそまつお兄さん、どきどきしてる」
ぽとりと落とされた言葉に、少し湯船から出た大和の肩に湯をかけ温めながらそりゃあね、と返す。
そりゃあそうです、大和君の見た目以上に柔らかいお尻が直に腿の上にあるんだからドキドキしない方がおかしいです。特集上映してなければ誤射してました。
「兄弟ともこんな距離って無いし、初めてだからどきどきしてるよ」
「ふふ、俺も、少しどきどきしてる」
上気した美味しそうな赤い頬に、とろりと目を細めた緩やかな笑みはひどく扇情的だ。危うい色気が匂いたち、惑わせるように漂う。これで何も知らないなんて、嘘みたいだ。
* * *
少し遅れて入った寝室、ふかふかの天蓋ベッドの真ん中あたりに薄いブランケットを羽織った小さな天使がくったりと横たわっている。まだ眠るには少し早いが疲れてしまったのだろう、半ば枕に顔を埋めるようにして静かに寝息を立てていた。
レースのカーテンに手を掛けたまま、どこか浮世離れしたような光景にただ立ち尽くしてしまう。
まるであの日のようだ。そこだけ世界から切り離されたような静けさに満ちている。ベッドに乗り上げることも、そこから離れることも出来ずただただその人形のような寝顔を見つめていれば、ふるりと睫毛が一瞬震え、少しだけ持ち上がる。
「……おそまつおにーさん?」
夢見心地なとろりと蕩け切った小さな声に呼ばれ、誘われるようにふらりとベッドへあがる。大和のこの声は麻薬のようだ。思考にぼんやりと靄をかけて、正常な判断をさせなくするような。
さらりとした薄いカーテンを閉めてしまえば、そこはもう俺と大和だけしかない、二人っきりの小さな世界になる。今にも目を閉じてしまいそうな速さで瞬きをする大和のふわふわの髪を撫で抱き寄せた。一枚のブランケットに二人でくるまって、暑いっていうのにぴったりとくっつく。触れ合った肌が、じっとりと汗ばむけれど離す気にはなれず、大和も「あつい」とぼやいたけれどそのまま動かない。
「おやすみぃ、大和」
「うん、おやすみなさい……」
ふふ、と吐息のような笑い声を少し零して、大和は目を閉じた。
夜のまぶたを閉じても君がいる
rewrite:2022.03.24