「お前らがしょうもない勘違いばっかするからお呼びしました。大和君です」
おそ松にそう紹介された“大和”君とやらは、驚くことに学生服を纏った幼い少年であった。些か緊張した固い表情でこんにちは、と頭を下げたその子は外国の血が混じっているのか彫が深く、瞳も鮮やかな色をしている。
おいおい未成年は犯罪だぞ、とおそ松を見れば、ニッとあの何にも考えてない笑みが返ってくる。手を出さなければ犯罪ではないとでもいいたげだ。
「今日一日、泊まってくから」
ぺこん、と礼儀正しくお辞儀をしたその子は確かに綺麗な子だと思う。その辺のモデルよりもよっぽど美しい造形をしているし、きっと大きくなれば大層なイケメンになるだろう。
けれど、おそ松があそこまで傾倒するようなものは、俺には感じられなかった。
* * *
夏も盛り、暑そうに眉間に僅かに皺を寄せ、じんわり汗を滲ませる姿にごくりと生唾を飲むことが最早数え切れないほどになった頃。会話を重ね少しずつだけれど距離が縮まってきて、時折電話を掛けてきてくれるようになるまでやっと辿り着けられたところで、大和がしょんぼりとした顔で「再来週から夏休みに入るんだ」と言った。
本屋で目当ての本を購入した後に入ったゲームセンターの自販機の前、スポーツドリンクを片手にした大和は先程の楽し気に柔く緩んだ顔とは反対に、ひどく寂し気な顔をしている。垂れた眉が仔犬を連想させて堪らない気持ちになった。今すぐにでもぎゅっとしてあげたいけれど、今の俺は汗まみれだ。うっかりおそまつお兄さん汗臭い、なんて思われてみろ、死ぬぞ。
「もうそんな時期か~、夏休みは実家?」
「うん……学校にはいられないから」
「どっか行くの?」
「多分、どこかのパーティにでも連れていかれるくらいだと思う」
「家から出してもらえなくなったりする?」
「……どうだろう。出掛けたことないから」
「う~ん、その実家に帰るのってさぁ、絶対帰んなきゃダメ?ママとパパに絶対帰ってきてねって言われてる?」
「え?いや……別に何も言われてない」
「うんうん、パーティとやらも絶対行かなきゃダメ!とかじゃない?」
「多分……いれば連れてかれるだけだと思う」
「そっかそっか。じゃあさ、俺と一緒に夏休み、過ごさない?」
ニッと笑って自分を指でさしながら覗くように見れば、大和はきょとんと目を丸めた。頭上にたくさんのはてなマークを散りばめるその姿も当然の如く可愛くって、途端に頬がだらしなく緩む。もう本当に、頭から食べてしまいたい。
俺の言っていることを飲み込んだのか、一瞬パッと表情を明るくした大和はしかしすぐに俯いた。それからゆるゆると首を振る。表情が見えないのが嫌で、そのまま大和の前でしゃがみ込み見上げれば、映るのは悲し気に歪んだ顔だ。ああ、ああ、俺の可愛い小さな天使、なんだっていつもこの子は我慢ばかりするのだ。苦しい方ばかり選んで、それが当たり前みたいな顔をして。
再会してからこのかた、ことあるごとに好きだって伝えて、甘えていいよって伝えて、少しずつ奥底に隠されてしまった大和のひどく柔くて脆い場所に触れられるようになったと思っていたけれど。まだまだ全然足りていないようだった。まだ大和は手のかからないお手本通りの『良い子』ちゃんで、それを俺の前でも変わっていない。
「俺と一緒にいるの、いや?」
なんてズルい聞き方だろうとは思う。けれど、大和本人が選ばないとダメなのだ。彼自身の意思でもって、俺のことを選んでほしい。
大和は眉を下げたままゆるゆると首を振り、薄く桃色の唇を開き「おそまつお兄さんと一緒にいたい」と吐息のような微かな声で答えた。僅かに水気を含んだ瞳が小さな輝きをつくりながら俺を見ている。その目は、でも迷惑をかけたくない、かけちゃ駄目でしょう、と如実に訴えていた。
「俺も大和と一緒にいたい。前に言ったの、覚えてる?俺さ、大和とやりたいことたくさんあんだよ。二時間ぽっちじゃ遠くになんて行けないけど、一日あれば水族館にも遊園地にも、行きたいって言ってた海にだって行ける。ね、俺と一緒にいたら絶対絶対、ちょ~楽しいよ?ど?俺と夏休みまるっと過ごさない?」
じわじわと頬が薔薇色に染まっていって、大輪の花が綻ぶように、泣いてしまいそうですらあった顔に笑みが浮かぶ。とろりと蕩けた甘くてやわい、嬉しくって仕方ないっていう俺の大好きな顔だ。
「俺、おそまつお兄さんと一緒にいたい」
ちょこんと俺と同じようにしゃがみ、もう一度、今度ははっきりとした声で彼は言った。とっても美味しそうな顔で、少し甘えたような声音で。
「よーし、じゃ、日程とか決めちゃう?夏休みって一ヶ月くらい?」
「うん、それくらい」
ひと月。ひと月みっちり、俺は大和といられる。
そこではたと気付いた。確かハタ坊がいくつか別荘を持っていたはずだ。それの一つを管理するという名目で借りれば、俺は大和とふたりっきりで過ごせるのでは?
ひと月みっちり、たっぷり、大和と一緒にいられるそれは夢のように甘美なものになるだろう。一緒に寝たりもしちゃって、風呂が広ければ一緒に入れたり?背中を洗いっこなんてしちゃえば、俺は合法的に大和のあの美しく光る白い肌に触れられるのでは!?
じゅわりと口内に満ちた涎が漏れる前に飲み込み、待て待て、とブレーキをかける。ふたりぼっちの蜜月生活もいいけれど、その前に一度家に連れていこうか。
カラ松たちに彼女が出来たのではと突っ掛かられて弁解したら妙な空気になったあの日から、なんとなく妙な勘違いをされている気がするのだ。どことなくあの三人に時折遠巻きにされている気がして、胸が痛くなる。このままずっとあんな心臓がきゅっとするような状態が続くなんて俺には到底耐えられない。
「最初の一日だけ俺ん家で過ごしてさ、それから別荘で過ごすのってどう?まあ別荘って俺んとこのじゃなくって知り合いのなんだけど」
「あの、ほんとに平気?一ヶ月も……」
「へーきへーき、大和君はお着替えだけ持ってきてくれれば十分です」
うん、と頷いて「楽しみ」と零した大和の目はそれはもうきらきらと輝いていた。
* * *
昼下がり、いつもならだらけた空気が漂う居間は、どことなくそわそわとした空気が漂っていた。
というのも、おそ松兄さんが“お客さん”を連れてきたからだ。まだ中学生かそこらだと思われる幼い体躯に制服だろうワイシャツとスラックスを身に着けた、美しい少年。鮮やかな青緑色の目をして、外国製の人形のような顔のその人がおそ松兄さんの言っていたあの“大和”であった。
警戒する仔猫のような、少しだけ怯えた目をするその子から、俺はしばらく目を離すことができなかった。
食事を終えたあたりから、時折欠伸をこぼしていた彼におそ松兄さんは見たことのない優しげな顔で昼寝を促し、俺らにはしたこともない柔らかな手つきで彼が眠るまでその頭を撫でていた。穏やかな寝息を立て始めたころ、おそ松兄さんは居間を出て、台所で母さんと何かを話している。
トド松は彼に興味津々だったが約束があるとかで出掛け、チョロ松兄さんもアイドルの何かで出掛けて行った。十四松も早々に野球かドブ川水泳に出掛け、居間に残ったのは俺とカラ松と、眠るその子だけ。
友達の猫を撫でながら、ちらりと見て、また目が離せなくなる。
居間の片隅、日当たりのいい場所で手足を折りたたみ猫のように丸くなって眠っているその子の天使の輪の浮いた髪が、きらきらと輝いていた。制服から着替えた半袖のシャツと大きめのハーフパンツから伸びる白い肌は内側からぼんやりと淡く光っているようで、何か未知の、自分とは全く違う生き物に見える。
『俺らみたいなのとは全然違う、もっとずっときれいで、特別なものなんだよ』
思い出すのは、先日のおそ松兄さんの言葉だった。
日の光を受け眠る彼の周りだけ、空気が違う。静謐で、透明で、侵してはならない神域のような、聖域のような、そんな感じがするのだ。
美しいと、心の底から思った。自分のような存在が触れてはならないと思うけれど、触れたくてたまらなくなる。あのまっさらな美しさが、きっと俺やおそ松兄さんみたいな人種を強く惹きつけるのだ。
無垢な白い頬を撫で、おそ松兄さんがしていたようにその髪を撫でたい。おそ松兄さんに向けていたあの無防備で溶けるような笑みを俺にも見せてほしい。
男とか女とか、そんな括りじゃないと言ったおそ松兄さんの気持ちが今、痛いほどに分かった。彼は、まるで天使のようであった。
いつか夢に見たように儚く
rewrite:2022.03.23