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工藤大和いんふぇるの
2003年8月5日 / 23時03分18秒

深紅の花弁を持った月下奇人が咲き乱れるその様は、この世ならざる美しさと恐ろしさがある。

「この身を捧げます……天におわす主よ、」

手を組み天に祈りを捧げるようにそう紡いでいく求導女の言葉は、男には『この実を捧げます』と聞こえた。
その言葉は強ち間違いではないだろう。女は実で、人ならざる神とも呼べないものにその身を捧げ、傷付いた体の復活を行わせたのだから。自身に齎された不死の力でもって、その悍ましきものは完全体となるのだ。
男は宙に浮き光を放つそれを少し離れたところから眺めながら、一歩遅かったな、と独り言ちた。こうなってしまえば、男の手ではどうしようもない。あの少年がこれを弱らせてくれるのを願うばかりだ。
ぐったりと座り込み、それでもなお己が身を捧げたものを祈る様に見つめる求導女のそばへ、男は歩み寄った。そんなに見つめて一体何を待っているのだろう、先には何もないというのに。まさか、楽園があるなどとでも思っているのだろうか。あれが、楽園へと連れて行ってくれるとでも?

「可哀想な女だな、アンタも」

虚ろだった目が、男を捉えた途端燃え上がるような強さを見せる。

「はじめましてだなぁ、求導女」
「どうして貴方がここにいるの」
「そりゃあ、終わらせるためだよ。それに、まだ足りないんだ、あれだけ食べたのにまだ腹が減ってる」

眉を下げ、大袈裟に困った素振りをする男に、求導女は酷く穢らわしいものを見たように顔を歪めた。その目には僅かばかりの怯えも見て取れ、それに気付くや否や男は楽し気に喉を鳴らす。

「なあ、もう駄目だぜ、ここは。あいつは神の炎を持っているし、それになんてったって俺がいる」
「……」
「大丈夫、ひとつになるだけだ、そんな怯えなくったっていい」

そう優しく囁き、ぞっとするほど甘い笑みを男はみせた。



* * *


須田恭也 いんふぇるの
2003年8月5日 / 23時27分38秒

三角形の金属にも似た輝きを放つ岩のようなもののそばで、細い羽根の生えた蜂じみた形の体をした異形を相手に須田は刀を振るう。ただ美耶子との約束を果たしたい一心で、内にある恐怖心も逃げ出してしまいたいと思う自分も殺して、青白い炎を纏った刀でもって襲い来るものに立ち向かっていた。
一度、二度とその刃は黄金の身に沈んだ。あと何度この刃を突き刺せばこれは息絶え、美耶子の言う通りに首を切り落とすことが出来るのだろう。吹き出す汗をぬぐう間もなく、岩にぼんやりと映る影を追う。

「須田」

荒い息を吐きながら目を凝らし、岩越しにこの村の神様を捜していた須田のすぐそばで声が聞こえた。この場所は、きっと誰も入って来れない場所だ。水鏡からこちらに入った時に出会った八尾がそう言っていたのを須田は覚えている。
だというのに、何故。勢いよく振り返った先には、ここにいるはずのない男が立っていた。あの時、濁流に押し流される前まで共に居た男が、涼しげな顔をしてそこに立っている。

大和さん、どうして……どうやってここに」
「そりゃあお前、俺が神様だからだよ」

不遜な笑みでもってそう答えた男は、須田の手から刀を取り上げた。それに声を上げる間もなく、男はそれを須田の背後へと突き立てるように掲げる。
肉を刺す鈍い不快な音。それから甲高い金属的な叫び声。

「いやあ、お前が殺しちまう前に間に合って良かったよ。お前を“神殺し”にするところだった」

あぶねえあぶねえ、と薄ら笑いを浮かべながら、全くそう思っていないような悠然とした足取りで男は地に落ち蠢き断続的に鳴声を上げ続けているその名状しがたい生き物へと近寄る。すれ違う一瞬、男から胸の悪くなるほどに濃い血の匂いを感じた。
瞬間蘇るのは、洞穴の目だ。薄ら寒い影が蠢く目。男の背に、須田は何かこの世ならざる影が揺らめいているのを見る。
言葉も発せず、硬直したように須田は男を見つめていた。男は苦しみのたうつそれの真横に立つと、刀を真っ直ぐその背、羽根の付け根の間へと躊躇いなく突き刺す。びくびくと打ち上げられたように体を蠢かせたそれは、徐々にその動きを鈍らせていった。

「須田、お前にはまだやることが残ってるだろう。片付けて来いよ」

異形の動きが弱まるのと比例して、何故か須田の意識もまた徐々に朦朧としたものになる。背中が妙にあたたかい。美耶子がいるのだろうか。美耶子、俺、約束果たせたのかな、これって果たしたことになるのかな。まだ果たせてないかな、まだ全部、やっつけられてないだろうから……。
身体が重い。いつの間にか須田は月下奇人に埋もれるようにその身を横たえていた。瞼も重く、目を開けていることが出来ない。
朧げな視界の中、その目が閉ざされる間際、須田は男の身から何かがずるりと出てきて大きく“口”を開いたのを見たような気がした。



* * *


宮田司郎 屍人ノ巣 / 第三層付近
2003年8月5日 / 23時46分18秒

ぐらぐらと揺れ、外で様々な音がする中、それでも宮田はただ静かに男を待っていた。迎えに来ると言った男の言葉を信じ、どこか虚ろな目で、目の前の扉が開くの待っている。
地震のような揺れは収まるどころか徐々に酷くなる一方で、ぎしぎしと家が軋み、あちこちから細かい砂交じりの埃が落ちてきていた。あちこちから何かが崩落していく音が聞こえている。

「……司郎」

がしゃん、とガラスの割れる音がしたと思えば、背後の方から待ち望んだ声が聞こえた。男の名を呼びながら振り向けば、廊下の大きな窓ガラスが割られ、そこから男が覗き込むように顔を出している。
柔く優し気に目を細めた男は、目の前まで駆けてきた宮田の頭をひとつ撫で、おいで、と言いながら窓枠から離れた。男に呼ばれるまま、軽い身のこなしで割れた窓ガラスから外へと出た宮田は、周囲のありさまに一瞬目を見開く。
倒壊した家々、潰れた道。

「行くぞ、司郎」

ぐるりと辺りを見回す宮田の手がぐん、と強く引かれた。崩れていく道を駆け抜けどこかへ向かう男の背と、己の手のひらに感じる男の手のあたたかさに、宮田はふと思い出す。
男がやってくる前、奇妙な夢を見たのだ。今のように雨の降りしきる中、時折誰かに手を引かれ歩いていた。笑っていた誰か、手を引いていた誰かは、この男だったのだ。俺はずっと昔から、もうずっと、何度も何度もこの男に会っているのだ。

大和

そうだ、なぜ忘れていたりなどしたのだろう。宮田は振り向かない男へともう一度「大和」と声をかけた。
男はぴたりと足を止め、少しだけ振り返り微笑んだ。

「司郎、会いにおいで、俺はずっと待ってるから」

ぐうっと意識が一瞬遠のく。眩暈のようにくらりとして、宮田は強く目を閉じた。降りしきる雨の音がずっと近く聞こえて、まるで自分の中で降っているようにすら感じる。
どれくらいそうしてじっとしていたのだろう、ぐらぐらとした感覚は薄くなり、雨の音も遠のいていく。ふと小さな女の子の泣き声が聞こえて、ようやく宮田は目を開けた。辺り一面、靄が掛かったようで視界が悪い。

大和?」

いつの間にか繋いでいた手が離れている。宮田は辺りを見回し、男の姿を捜した。きっとすぐ傍にいるはずだと思って捜したけれど、人影はどこにもない。あるのは土砂と、巻き込まれ崩壊した家屋、傾いた電信柱。

大和、どこにいる、大和!」

ぐしゃぐしゃでひどい足場を走る宮田の視界に、動く何かが入った。見つけた、と思って駆け寄った先にいたのは、泣きながら一人歩く少女だ。宮田はその幼い子が村の分校に通う四方田春海だと気が付いた。
宮田に気が付いた少女が求導師様、と駆け寄ってくる。ずっと一人で隠れながら過ごしていた春海がやっと見つけた、大人。春海は宮田の黒いカソックを握り、安心したように大きな声で泣き始めた。
宮田は泣く少女の背を撫でながら、近付いてくるヘリコプターのプロペラ音を聞く。そうしてここが、あの異様で、気味の悪い、地獄のような場所ではないのだと理解した。同時に男がここに、自分の傍にもういないということもまた、理解したのだ。
手は離れてしまった。けれど男は待っていると、そう確かに言ったのだ。意識は朧気だけれど、会いにおいで、と。
宮田はゆっくりとひとつ、息を吐くと、春海を抱き上げ微かに聞こえる救助の声のほうへと歩き出した。

Do you remember me?第二十五災 終わるもの


工藤大和 都内某所 / 志田探偵事務所内
2005年7月5日 / 13時23分48秒

ふと目が覚め、自分がいつの間にか眠ってしまっていたことに気がついた。何かとても長い夢を見ていたような気もするし、何かとても大切なことを忘れてしまっている気もする。しかしそれが何か分からないし、そんなもの最初からなかったような気にもなってきて、大和は考えることをやめた。
まだ熱い紅茶に意識が飛んでいたのはごく短い間だったのかと思いながら、雨の降り注ぐ街を見下ろす。こんな雨の日に出歩く人はそうそういない。きっと今日はもう客は来ないだろう。さっさと閉めて、家に帰ろうか。
ぼんやりとそう思い事務所の鍵が入った引き出しに手をかけたとき、不意に事務所のドアを叩く音が聞こえてきた。扉に嵌め込まれた型板ガラスの向こう、黒いコートのような形の服を来た誰かが立っている。
こんな酷い天気の日に来る訪問者に碌なやつはいない。ブライトウィン号消失事件や夜見島全島民の失踪事件の資料を読んだときに覚えるものに似たどろりとして黒く蠢く何かが、そのドアの向こうからは漂ってきているように感じた。
何かが引っかかる。何かを忘れている。何故俺は、この空気に懐かしさに似たものを抱いているのだろう。どうして喜びを感じている。
椅子から立ち上がることも、どうぞと声もかけることも出来ずにいた彼の前で、ノブが回され、ゆっくりとドアは開かれた。
2018.12.31 | 今年もみなさまありがとうございました。