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牧野慶? 屍人ノ巣 / 第一層付近
2003年8月5日 / 15時28分09秒

水門の爆破は、まだその時ではないからと行わなかった。声が、耳元で囁いたのだ。だからその時まで大和と一緒にいようと思っていたけれど、迷路じみたこんな場所では、そうそう見つからない。そろそろ行かないと、日暮れ前に間に合わないだろう。
逆らわず、導かれるままに細い通路を抜けていく。こうやって、彼の居る場所へも導いてくれればいいのに。そうすればもう二度と離れることはないのに。



* * *


須田恭也 屍人ノ巣 / 第二層付近
2003年8月5日 / 17時55分57秒

須田は隣を歩く大和の横顔をちらりと見上げた。前だけを見据えた瞳は力強く、引き結ばれた唇は揺るぎない。少し前に大いに取り乱していたのが嘘のようだ。

大和さんって、もともとこの村の人?」

他愛ない話を幾つかしたのち、須田は出会ってからずっと聞きたかったことのひとつを問いかけた。
なんとなく、自分と同じ都会の匂いを大和からは感じていた。この村の住人ではないような気がしていたのだ。立ち振る舞いだとか、話の内容が、なんとなくこの村の感じではない。

「ちげーよ」
「やっぱ東京?」
「そうだけど、やっぱって?」
「なんかこういう閉鎖的な村の人って感じがしないし、大和さん。あ、じゃあなんで村に来たんですか?」

自分がこの村に来たのはネットのオカルト掲示板でこの村の話を知り興味を抱いたからだ。この人は、どういう理由でこの村に来たのだろう。
須田は懐中電灯で辺りを照らしながら、なんと答えが返ってくるのかとわくわくしていた。しかし返答はなく、しばしの沈黙がおりる。不審に思い見れば隣に彼の姿は無く、幾何か後方で立ち尽くしていた。

大和さん?」

だらりと下げられたバット。俯き加減のその顔が今どんな表情をしているのか、暗がりでは判別出来ない。ただ、彼の纏う空気は驚くほど凪いでいるように思えた。
一歩、須田が大和へ近づくとその顔がふっと上がる。その瞬間、あのサイレンのような音が辺りに響き始めた。

「なあ、須田」

凪いだ瞳が、冴え冴えと光って見える。まるでそれ自体が発光でもしているような煌きは何か奇跡じみたことが起こる前触れのようにも思えるし、恐ろしいことが起こる前触れのようにも思えた。

「お前、オカルト大好きだよな」
「……まあ、そう、ですけど」
「面白い話、してやるよ」

緩やかな弓なりになった目は、じっと須田を見つめている。

「俺がこの村に来たのはひと月前、起きたらこの村の教会にいたんだ。この村の連中には記憶喪失で村の近くにいたところを教会に保護されたってなってるけどな、俺の記憶は、仕事場でのんびり茶を飲んでるとこで終わってんだよ。それも今から二年後の、二〇〇五年の七月のな」
「そ、それって」
「俺の記憶では、二〇〇三年の今頃はイギリスの廃病院にいるはずなんだよ。なあ、これってどういうことだと思う?」

薄笑いを浮かべている男に、須田はごくりと唾を飲みこんだ。

「タイムスリップ……?」
「だよなあ。でも俺、この村で何が起こるのか、起きたのか、知ってる気がするんだ。なんとなく、こうなるって分かる。それってどういうことだろうな」
「……」
「なんで村に来たか、だっけ?俺はさ、ここを壊しに来たんだよ」

はは、と男は乾いた笑いを零し、誰かが俺の後ろでそう言ってくるんだと続けた。それからようやく須田から視線を外し木の柵の向こうにあるあちこちが剥き出しになった民家を見る。その横顔は愉快そうに歪んでいた。
一歩近付けた足を、須田は引いた。ライフルを握る手が微かに震えている。

「須田、また後で会おうぜ」

ごう、とすぐそばで轟いたと思えば、あっという間に赤へ飲み込まれていく。

Twins Ⅲ第二十三災 窟


牧野慶? 合石岳 / 眞魚川水門
2003年8月5日 / 18時05分28秒

段々と減っていく水を暫し眺め、それから求導師は踵を返した。少し駆け足で、今来た道を戻っていく。頭に響く少女の声になど耳も貸さず、真っ直ぐ前だけを見て、己が思う道を突き進んでいく。
彼にはもう、視界の端を掠める異形の姿も見えていないし、ゾッとするような叫び声など聞こえていない。ただただ求導師の意識は彼の神様へと向けられていた。ただ只管に戻ることしか考えられないのだ。きっとあの迷宮の中にいるであろう、彼の愛してやまない、恐ろしくて、けれど惹かれずにはいられない男の元へ。
2018.12.24