宮田司郎 宮田医院 / 第一病棟診察室
2003年8月3日 / 19時14分31秒
静まり返った薄暗い室内に、随分と健やかな寝息が響いている。宮田はデスクチェアに腰かけたまま、パイプベッドに横たわる男をじっと見つめていた。
ベッドで眠る男、工藤大和が牧野を連れ診察室へやってきたのは、数分前のことである。動いてる何かの気配がする!という言葉が何処かから聞こえてきたと思っていたら、診察室のドアが勢いよく開いたのだ。
現れたその人に、途中で出くわし、共に行動していた恩田理沙が怯えた悲鳴をあげるのも仕方がなかった。なんといっても、肩にシャベルを担いだそれなりにガタイの良い男が何やら血塗れで立っているのだ。怯えるなという方が無理な話である。
捜し、待ち望んでいた人物である大和の登場に宮田は立ち上がったまま呆然とし、そんな宮田に男は満面の笑みを向けた。「すげー捜した!」と言いながらシャベルを放り、勢いよく抱き着いてくる大和をその腕に抱きとめてようやく、宮田は大和がここにいるのだ、と実感したのだ。
感動の再開、やっと触れ合え話が出来る、そう思った宮田を裏切る様に、大和の体からがくんと力が抜ける。慌てて抱き締める腕に力を込め、覗き込めば、なんということだろうか?大和はすやすやと眠ってしまったのだ!
「あのぉ……」
疲れ切っていたのか、硬いベッドにその身を横たえても身じろぎひとつしなかった大和の頬を優しく撫でた宮田の瞳は、見たことがないほど柔らかい。外からの明かりなどなく懐中電灯以外の照明もない室内で、それを見たものは誰もいなかったが。
それからデスクチェアに腰かけ、何を考えているのか、無表情で大和を見つめていた宮田に理沙が恐る恐る声を掛ける。
「宮田先生と、工藤さんって、その……どういう関係なんですか?」
村に突然やってきた異国風の男と、村の医者。随分と親密そうなやり取りであったが、どんな関係なのか?
おずおずと、けれど好奇心を隠し切れない様子でそう問う理沙に反応したのは、宮田ではなく私は空気ですとばかりに気配を消していた牧野である。所在なさげに薬品棚の傍に立っていた牧野は、ビクンと体を震わせて棚にぶつかり古そうな薬瓶をひとつ落としそうになった。とても動揺している。
その様子を横目で見た宮田はひとつ溜息を吐き、さあ、と答えた。
「俺にもよく分かりません」
「お友達、とかですか?」
「どうですかね。友人とも言えるかも知れませんけど、俺はアイツのことは良く知りませんから」
淡々とそう答え、宮田は少々大袈裟に牧野を振り仰ぐ。
「俺なんかよりも、牧野さんのほうが詳しいのでは?」
「えっ!」
「あ、そっかぁ、求導師様のところにいるんでしたっけ」
「そ、うですね、ええ……まあ……」
「工藤さんってお母さんとかも色々話してたから名前はよく聞くんですけど、どんな人なんですか?」
「どんな……ええと、すごく、行動力のある方、です」
随分としどろもどろにそう答える牧野は、宮田から浴びせられる冷ややかな視線に、汗が止まらない。
何故そんな目で自分は見られているのだろうか、そもそも、何故自分に話を振ったのか?己なんぞよりも宮田の方がよっぽど、大和に詳しいはずだ。だって、彼は、しょっちゅう宮田のところに行っていたのだから。
どんよりと沈んでいく牧野に、理沙は不思議そうな顔をしていた。
「じゃあ、頼りになる人ってことですかね、今はすっごい熟睡してますけど……」
回転椅子から立ち上がった理沙が、静かにベッドへ近寄り眠る大和を覗き込む。すやすや、という言葉がぴったりなほど穏やかな呼吸を繰り返す大和に、理沙は「こどもみたい……」とくすりと笑った。
その様を些か不愉快そうに宮田が見ていることに、牧野は気が付いていた。何故そんな目をする必要がある、あの人は貴方のことしか見てないのに―――。
宮田は、牧野が暗く澱んだ目で自分を見ていることを知らない。
AWAKENING第十八災 愛の選別を
工藤大和 宮田医院 / 第一病棟診察室
2003年8月3日 / 23時03分48秒
院内に鳴り響いた非常ベルの音で宮田と牧野が立ち上がるよりも先に、それまでぐっすりと眠り込んでいた大和が飛び起き立て掛けられていたシャベルを片手に廊下へと飛び出す。あまりに俊敏なその様は、まるで獣のようであった。
その後を慌てたように追いかける牧野は当然の如く手ぶらで、この人は何故ここに居るのだろうと思いながら、ネイルハンマーを片手に宮田がその後へ続く。
「何の音だよ、クソ、誰?」
「り、理沙さんに何か……」
甚く不機嫌そうな声でそうぼやき、音の方向へと足を進め出す大和へおどおどと牧野は言った。リサってどこの誰よ、というのが大和の返答である。宮田と再会して早々に寝落ちした大和の記憶の中に、理沙はいなかったのだ。
看護師の美奈さんの双子の妹の……とぼそぼそと説明しだしたその声はすぐさま悲鳴へと変った。
トイレや階段を区切るようにある鉄扉の手前に、シャベルを手にゆらゆらと揺れる人影。かつては白かったであろうナース服を着たそれは、顔から斑点にも似た模様をつけた不気味に赤い房をいくつも垂れ下げている“人”とはとても言えない姿をしていた。
「あれは……!」
「おーおー大変なことになってんなぁ」
「理沙さんっ」
理沙の持つ懐中電灯で照らしだされたその異形に息を呑む宮田と、その異形の向こうで震える理沙に顔を引き攣らせる牧野の前で、「おらっ」と軽い掛け声と共に大和は己のシャベルを振り被り何の躊躇いも無く振り下ろす。
その一撃で相手を沈めるはずが、鈍い音を立てそれに叩きつけられたシャベルの方が先に限界を迎えてしまった。「ジーザス……」と呆然と折れたシャベルを見つめる大和の前で、金属的な悲鳴をあげながら異形が逃げていく。
「見てくれ司郎、俺のミョルニルが!」
「ミョルニルは壊れないからそれはミョルニルではない。強いて言えばヘラクレスの棍棒だろう」
「折れたからか?」
「そ、そんなこと話してる場合じゃないんじゃあないですかね!?」
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、先生っ」
わあわあと一気に騒がしくなった第一病棟検査室前で、ふと宮田は暗闇の向こうへ目を向けた。何かに呼ばれた気がしたのだ。行かなければいけない、突如その思いに囚われ宮田は震え怯えている理沙を牧野と大和へ預け、美奈の消えた階段の方へ走っていった。
何かが呼んでいる。それはどこか聞き覚えがあり、懐かしさすら感じてしまうほど親しんだものに思えた。誰だ、この、少女のような―――?
「おい、司郎っ!」
背後から呼ぶ声などとうに聞こえなくなっている。ただただ導かれるように、宮田は階段を駆け上がっていった。意識がどこかぼんやりと滲んでいる。それは、時折大和と相対している時になるものに似ていた。
2018.09.17