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牧野慶 刈割 / 灯篭横
2003年8月3日 / 16時42分02秒

鮮明であった視界が荒くなり、どんどんノイズ混じりになっていく。それでも牧野はその視界を追い続けた。今は瓦礫で潰されてしまった教会へ続く石段脇にある、冷たい石の灯篭にぴったりと身を寄せ蹲り、雨を凌いでくれる葉陰に隠れながら。
ひどいノイズ交じりの不鮮明になった視界に最早懐かしさすら感じてしまう教会内が映った。木の長椅子を見て、それから窓を見ながら何かを言っている。ノイズで声がかき消されてしまい何を言っているのかまでは分からない。そのまま迷いなく進んだ先の長椅子に、牧野には見覚えのある冊子が置かれていた。信者帳である。随分とぼろぼろになった古いその冊子はかなり昔のものなのだろう。
それを拾い上げた手が、慎重な手付きで頁を捲っていく。と、冊子の中ほどの頁に大きく何かが掛かれていた。記号のような不可思議な形をしたそれは、何か粘り気のあるもので書かれているのかところどころ掠れていたり濃くなっていたりする。
赤黒いそれは、まるで、血のようにも見え、その文字たちを見た途端ざあっと体温が下がった。それは視界の向こうも同じだったのかばさりと冊子が手から落ち、一歩後退る。何かを言っている。聞き取れない。それからすぐに鋭い音が聞こえた。きっと舌打ちだ。
しばらくうろうろと視線を彷徨わせ、奥へと進んでいく。奥、祭壇へと近付いていき、何の迷いもない足取りで祭壇裏へと回った。

「あ、あ、だめだ……だめです……」

がたがたと震え出す手をまるで祈る様に組み合わせ、牧野はぐっとその手を額へと当てる。
けれど牧野の思いなど通じるわけも無く、白い手が祭壇裏の、あの、恐ろしい錆びた鉄格子へと触れた。するすると鉄格子を撫でるように触っていた指先が、鍵穴へと辿り着く。何かを考えているのか、しばし動きが止まり、その手がゆっくりと鉄格子を引いた。
開くわけがない。鍵がかかっているのだから。
けれどそんな牧野の考えとは裏腹に、鉄格子は重たげに開いていく。しばらくその向こうに広がるどろりとした闇を見ていた。それから、ゆっくりと、身を乗り出して、

「なっ……まって、待って、工藤さん……!」

行かないで、と叫びそうになって、ハッと牧野は手で口を覆い、目を開けてしまった。草木、灯篭、烟るような雨。目を閉じ視界を追いかける前まで見ていたのと同じ光景が目の前に広がっていた。
心臓が忙しなく鳴っている。がたがたと体は震え、暑いはずなのにひどく寒く感じ、牧野は己の身をきつく抱きしめた。
視界の持ち主、大和はあの暗闇に入って行ってしまったのだろうか。あの洞穴の中がどうなっているのか、牧野には想像も出来ない。けれど何かとても恐ろしくて、気味が悪くて、吐き気のする悍ましさがあるのは知っている。
震えた息を吐きながら、牧野はそろそろと目を閉じた。何度も何度も深呼吸をして、ぐ、と意識を沈める。
しかし。幾ら探せど大和のものであろう視界は見つからなかった。牧野の視界には暗闇が広がるばかりだ。呆然としたように目を開け、それから、これからどうなってしまうのか分からない心細さに牧野はただただその身を小さくし息を潜めた。

I'm a GOD.第十七賽 ×回目の神様


工藤大和 不入谷教会 / 岩穴
2003年8月3日 / --時--分--秒

暗いところから明るいところへ、ふ、と体が浮き上がるような、どこか懐かしく心地の良い感覚を覚える。濁流のように迫り飲み込まんとする声に意識は混濁していくというのに、禍々しい幾千の黒い影の如き手が何処か深いところへ引き摺り込もうとするように触れてくるというのに、何故だか心はとても落ち着いていた。遠いどこかで己を呼ぶ誰かの声を聞きながら、ぼうっとその目は暗闇を見つめている。
そうして、ゆっくりとその口を開いた。
2018.08.12