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宮田司郎 蛇ノ首谷 / 選鉱所内休憩室
2003年8月3日 / 6時35分23秒

大和が蛭ノ塚の水蛭子神社内にて偶然見つけた御神籤で大凶(春見ること無く朽ち果てる冬枯れの草木、願望は願うだけ無駄、待ち人は呼べど来たらず、旅立ちは八方ふさがりの恋愛は争いごとへ……)を引き当ててしまい大いに落ち込んでいる頃、宮田は合石岳から、かつて比良境にあったと言われていた廃病院を回り再び蛇ノ首谷山中へ戻ってきていた。
何処にも大和はおらず、ここに、この訳の分からない場所にそもそも大和はいないのではないかと思い始めてしまう。ここが己の知る羽生蛇村なのであれば、まだ回っていない場所も多い。けれどもう会えないように思えてしまうのだ。それほど宮田は心身を削られていた。
全てが理解の範疇を超え、己の知る村とも少しだけ異なるこの場所は、一体何だと言うのか。二十七年前の災害で土砂に埋まったと言われていたかつての場所がある。何事も無かったかのようにそこに存在しているのだ。訳の分からない化け物と共に。
選鉱所内の休憩室に座り込み、宮田は身を小さく丸めた。いつの間にか随分と慣らされた体温は隣にない。司郎、と甘やかな声で呼びかけ触れてくる存在が、何処にいるか分からないということは宮田の思う以上に彼自身を追い詰めていた。
それほど、彼はあの男に依存しつつあったのである。


―――……「司郎、ちゃんと飯食ったか?隈も出来てるしお前まぁた寝てないんだろ」
「お、飯は食ったな。んじゃあ寝るぞ、ほらほら」
「はい、おやすみ」

少々強引に寝台へ押し込んできた温かな手が、慣れたように優しく頭を撫でていく。

「お前が起きるまでいるから、大丈夫」

美しく煌く瞳を柔らかく細め、そう言って俺を抱き締めてくれるのだ。彼は、かつて俺が欲しかったものを与えてくれる。惜しみなく、溢れんばかりに。そして俺がどんなものでも受け入れるように、許すように笑うのだ。だから俺は、いつも、


大和……?」

一瞬の浅い眠りから目覚め、宮田は隣を見た。誰もいない。起きるまでいるといったのに、彼はいない。
ぐ、と眉を寄せた宮田だが、ここが自室でも院内の仮眠室でもなく選鉱所の休憩室だと思い出し再び顔を伏せた。虚脱感と虚無感に襲われ、そのまま眠りについてしまいたくなる。
けれど、微かに聞こえた低く掠れた唸り声が邪魔をした。深い溜息を吐いて立ち上がった宮田は暗い眼差しで動く影へと静かに近寄り、手にしたラチェットスパナを振り上げる。

Always obey own intuition第十五災 影の沈黙


志村晃 合石岳 / 第一通洞内
2003年8月3日 / 8時19分59秒

合石岳で男の姿を見つけた時、志村は一瞬今ここで撃ち殺してしまった方が良いのではないかと真剣に悩み猟銃を構えた。シャベルを肩に担ぎ、颯爽とした足取りで眼下を横切っていたその男が不意に立ち止まり振り仰ぐ。

「!」

構えた猟銃の照準器越しにその目と合った気がして志村はすぐさま猟銃を下ろした。一瞬にして冷や汗が噴き出る。向こうからこちらを見ても暗がりで、よく見えないはずだ。ましてや志村は物陰に隠れていた。
まさか、気付いたというのか?
志村は照準器越しに見た酷薄な沼の瞳を思い出し、あの男にずっと感じていた得体の知れない、悍ましい人ならざるものを再び感じていた。この場所にあの男がいる。それだけで、全ての原因があの男にあるようにすら思えてしまう。
違うと分かっていても、あの男が村にやって来たことによって辛うじて保たれていた均衡が崩れ全てが崩壊していくようなのだ。あの男は破滅を呼ぶ。自宅で男と対面した時から、志村はそう確信していた。良くも悪くも、男は全てを引き摺り込んで引っ掻き回し、打ち壊してしまう。そんなにおいをさせていた。

「だぁれかと思ったら志村さんじゃねーか。なに、疲れた?」

がしゃん、と俯き気持ちが落ち着くのを待っていた志村の足元にシャベルが突き立てられ、少し落ち着き始めていた彼の心拍数が再び急上昇する。顔をあげた志村を見つめる、柔く弓なりになった瞳。

「お前、いつの間に」
「吃驚した?俺足速いからね」

ふふん、と得意げな顔をする男、大和に志村は顔を強張らせたまま返事をしない。だがそんなこと一切気にせず、大和は尋ねる。

「な、志村さん。宮田先生見なかった?」
「……見てないぞ」
「そっか。どこ行ったかな、ほんと」

困った、と言いたげな顔をした大和はそのまま志村に背を向け歩き出した。

「待て、なんだその赤い色は」
「ええ?」

大和の纏う元は白かったであろうシャツは随分と薄汚れている。濃い赤色と赤茶色、泥のような汚れもあるが、志村の目を引いたのはシャツ全体を染める薄い赤色だった。

「どれ?これ?血だと思うけど」
「それじゃない。この薄い……」
「ああ、なんか雨降ってんだけどさ、赤いんだよ。その辺の水も全部赤いし。多分そのせい」
「赤い水、だと……」
「村の周りも海んなっててさあ、それも赤いから地獄にある血の池みたいだった」

難しい顔をした志村に首を傾けた大和だが、興味を無くしたのかそのまま一言別れを告げて通洞を出て行った。
その背を黙って見送り志村は大和の言ったことを考え込んだ。赤い水。赤い海……。ああ、どうにもこうにも嫌な考えばかりが浮かぶ。そしてそれは、決して的外れなものではないのだ。
2018.06.17