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竹内多聞 大字波羅宿 / 吉村家
2003年8月3日 / 2時39分05秒

動くものが自分たち以外いない静かな集落内、半ば崩落している家屋の中で、竹内は青年と相対していた。
突如として目の前に現れた青年は、錆びついたシャベルを何の躊躇いも無く振り回して辺りを闊歩していた異形達を悉く打ちのめし、あっと言う間に辺りを鎮圧してしまった。そのあまりの早業に竹内は呆然とするしかなく、そうして気が付けば崩れかけの室内で向かい合っていたのだ。
共に連れられ家の中に入った安野は、乱雑に置かれた新聞やアルバムを興味津々と言った目つきで眺めている。どんな人間にも無邪気に話しかけていく安野も、流石に青年に話しかける気は持てないらしく、時折ちらりと青年を見やるだけで近寄る気配はない。
件の青年はここに来てからずっと黙り込んだまま、じ、と竹内を見つめ何かを考えているようだった。

「なあ、アンタさ、どっかで会ったか?」

なぁんか見覚えがあるんだよなあ……と呟きながら首を傾げる青年に、竹内は愕然としぽかりと口を開いてしまった。
今、彼は何と言ったか?見覚えがあるだって?あれだけ人を揺さぶり訳の分からない妄言めいたものを吐き思考の迷宮へ突き落としておきながら、まるで覚えていないとでもいうのか?

「君、覚えていないのか」
「あ?やっぱりどっかで会ってた?」
「つい、少し前、森の中で私は君と会っている。そこで話もした。覚えていないのか?」

きょとん、と丸められた目。その表情は随分と無防備で、あの森林で相見えた男の姿とはまるで違っていた。あの沼底のような昏さも酷い悪夢のような総毛立つ空気もない。目の前の青年は浮世離れした雰囲気はあるもののあの正気を疑うような目はしていなかった。
一体何が起きているか、竹内は現状に輪をかけて混乱の渦へと巻き込まれていく。あの暗闇で出会った彼は、あの食堂前で会った彼は、幻だったとでもいうのか?それとも彼は何か薬物的なものの常習者だとでも?

「少し前の森ん中って……儀式のとき?」
「ああ、そうだ」
「……あんまり覚えてないんだよ、その辺のこと」

青年は酷く困惑したように眉を寄せて、手のひらで顔を覆った。それから深い息を吐き、青年は言った。

「どうも変なんだよ、ずっと……時々記憶が曖昧になるんだ。こんなこと今まで一度だって無かったのに、この村で目が覚めてからずっと変だ。何かがずっと、俺の後ろにいてさ、そいつが時々耳元で囁く」
「……」
「なあ、アンタは何でこんなところにいる」

ふ、と顔を上げた青年の目が真っ直ぐ竹内を見つめた。爛々と力強い光を持つ、熾烈さすら感じさせるその眼差し。
それに貫かれながら、竹内はこの瞳をどこかで見たことがあるような気がしていた。遠い昔、今のように相対して、自信に満ち満ちた煌く瞳が進むべき道を指示してくれるのだ。そんな記憶があった。

「私、は……」
「……村のこと、調べに来たんです。そうですよね、先生」
「安野」
「先生?教師かなんかか?」
「大学の講師だ」
「へえ、こんな村に来るってことは民俗学か、宗教学ってとこか?それでこんなのに巻き込まれるなんて災難だったなあ」
「……君は、随分と落ち着いているように見えるが何か知っているのか?」

くい、と片眉が持ち上げられる。その唇の描く緩やかな弧に、何か寒々しいものを感じ竹内は咄嗟に青年の瞳を見た。

「さあな。儀式が失敗して全部がめちゃくちゃになったってことくらいしか知らねーな。村もどうやら変わってるみたいだしここは俺たちのいたところじゃないんだろ」

視線を外へ向け、まだ叩きのめした異形が立ち上がって来ないのを確認した青年は、竹内と安野を見やり唐突に尋ねた。

「なあ、白衣を着たお医者様は見かけなかったか?」
「は?」
「ちょっと目つきの悪い、俺より少し小さいくらいの。見てない?」
「見てないが……」
「そ。じゃあ俺行くわ」
「あ、おい!」

竹内の声が聞こえているはずなのに、青年はそのままシャベルを肩に担ぎ颯爽とした足取りで歩き去っていく。道中起き上がろうとした異形を再び地に這い蹲らせるのを忘れずに。
半ば呆然とした顔でその一部始終を見ていた安野は、小さな声「やばーい……」と呟いた。



* * *


工藤大和 蛭ノ塚 / 民家内
2003年8月3日 / 3時45分37秒

初めて来るがどこか見覚えがあるその廃屋の中へ当然の如く土足のまま上がり込み、大和はずるずると壁伝いに座り込んだ。
頭が痛い。
竹内たちと会う少し前から、度々その痛みは大和を襲った。思い切り殴りつけられたように鋭く痛むときもあれば、血管の収縮に合わせるように鈍く痛むときもある。波のあるそれは、ここに来ていよいよその間隔を狭め意識を朦朧とさせてきていた。
荒く息を吐きながら、大和はぐうっと身を縮めた。何かが頭の中を這いずり回っているような痛み、不快感。

「司郎……」

己よりも幾許か低い体温が、今ひどく恋しかった。何故隣に宮田がいないのだろう。苛立ちにも似たものを抱えながら、大和は低く唸った。
思考は散漫となり、少しずつ薄れていく。ふ、と糸が切れたように大和の意識はそこで途切れ、力なく体は倒れ込んだ。

BEGINNING OF END第十四災 蛭ノ塚、嵐の兆


工藤大和 蛭ノ塚 / 民家内
2003年8月3日 / 6時19分21秒

やっと会えた、と笑った男は重く濡れたカソックを着ている。その顔は己の愛した男のようにも、瓜二つの顔をした双子の兄のようにも思え、大和は眉を寄せた。
常日頃カソック(着ていた本人は求導服と呼んでいたが)を着ているのは双子の兄であるが、その眼差しはまるで違う。一体この男は、誰なのか。頬に触れる手は慣れ親しんだ温度にように感じるが、見知らぬ手に感じる。目の前に立つ男が宮田司郎なのか、それとも牧野慶なのか、大和にはてんで検討が付かなかった。

ぱ、と目を開けた大和は、咄嗟に隣を見た。そこには誰もおらず、錆と血と泥で汚れたシャベルが転がるのみだ。

「夢……?」

それにしては、随分と鮮明で生々しい。頬にはまだ触れられた感触が残り、温度さえまだあるように思える。なのにここには自分以外誰もいない。
深く溜息を吐いた大和は、そこで頭痛が綺麗に消え去っていることに気付いた。思考もクリアで、まるで生まれ変わりでもしたかのようにスッキリしている。気を失い眠り込んでいるうちに体調が良くなったのだろうか?まあなんにせよ、元気なうちに動いて宮田を捜さねばなるまい。大和は立ち上がるとシャベルを担ぎ廃屋を出た。
固い畳の上で横になっていたせいか、少し体が痛い。ストレッチ気分でシャベルをぶんぶんと振り回し、廃屋の傍で草でも刈っているのかしゃがみ込んでいた異形をぶちのめす。地に丸まったそれがどういう仕組みで、一体何なのか、気になるところではあるがそれはまあ、おいおい考えよう。
大和はよし、とひとつ気合を入れると目の前に続く石畳を登っていった。その足取りはとても軽やかであった。
2018.06.09