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牧野慶 刈割 / 不入谷教会
2003年7月27日 / 16時45分21秒

ご成功をお祈り申し上げます、と冷え冷えとした目で言った宮田から受け取った、神代からの手紙を牧野は青褪めた目で見つめていた。そこには花嫁の御印がおりたことと、”儀式”は六日後に行われるという旨が綴られている。
六日後、己の命運が決まる。
脳裏に揺れる父の姿が浮かび、牧野の手は瘧のように震え出した。もし、失敗すれば。もし、また災害が起きれば。自分は父のようになるのだろうか、父と同じく、出来損ないの烙印を押され吊るされるのだろうか。

「大丈夫、今度こそ……」

恐れのあまり己を支え続けてくれた求導女へと縋りついた牧野の背を、求導女、八尾は優しく撫でた。譫言のように怖い、不安だと繰り返す求導師に聖母の如き慈愛に満ちた笑みを向けながら、何度も何度も言い聞かせるように「大丈夫」と囁く。
大丈夫、大丈夫―――ずっと見てたんだから。
仄かに甘い穏やかなその声は、荒れ狂う海原へ放り出された牧野を引き上げ宥めてくれる。彼女が大丈夫だと言うならば、きっと大丈夫。そんな気がしてくるのだ。
貴方なら大丈夫、八尾はずっとそう言って牧野を支えてここまできてくれた。貴方なら出来る、そう言われここまでやってきた。八尾の言うとおりにしていれば何も間違いは起きなかったし、失敗することも無かった。八尾はいつだって牧野に正しい道を示し、進むべき方向を照らし、優しく手を引いて導いてくれる。決してお前の頭で考えろと突き放すことも、自分で進む方向を見つけて決めろと突き飛ばすこともない。だから間違いを起こすことも無ければ、失敗することも無かったのだ。
背に触れる温かな手のひらに、牧野はゆっくりと心が平穏を取り戻し、穏やかになっていくのを感じていた。そうだ、大丈夫だ。自分には八尾が付いている。だからきっと儀式も上手くいく。

「ずっと見てたんだから」

なのに、どうしてだろうか。八尾の言葉が己の中の何かに引っかかっている。違和感がじわりと湧くのだ。何に対しての違和感なのかは分からない。けれど何か、おかしい気がするのだ。

「今まで、ずっと……ずっと」

どうしてだろう。あの悪夢の声が耳元でわんわんと鳴っている。あの女を―――てはダメ―――……。
求導女の温かな手のひらで落ち着きを取り戻していた牧野の胸に、また漣が起き始める。どうしてか、今、牧野は大和へ助けを求めたくて仕方がなかった。

ABYSSDIVER第十災 アビスダイバー


石田徹雄 上粗戸 / 食堂内
2003年7月30日 / 12時29分43秒

どことなく村内の空気がそわそわと落ち着きがない。その原因が何であるのか分かっていながら大和は何も知らない顔で、向かいで昼食を食べている石田に尋ねた。単純にまだ村に来て日の浅いこの男が村のどこまでを知っているのか興味があったのだ。
どう見ても人が食べて良いものではなさそうなこの村の名産品『羽生蛇蕎麦』を美味しそうに啜り咀嚼していたその手が、ぴたりと止まる。

「祭りがあるんだよ」

食堂内はそれなりに賑わっている。基本的に皆座る席はほぼ決まっていて、今の時間帯はカウンターで店主と話しながら食べる客が多いため、近くの席に人はいない。
こちらの会話など誰も聞いていないだろうし聞こえないだろうというのに、石田は声を潜めてそう言った。ちらちらと周囲へ視線を走らせ、少しばかり顔を近付けた石田が潜めた声のまま続ける。

「祭りっていっても賑やかなモンじゃなくて、秘祭ってやつ」
「秘祭?」
「村の繁栄を願う儀式だとかで、教会の人間と神代の人間だけで行うものらしいよ。俺も詳しくは知らないんだけどさ、その儀式の最中はよっぽどの用が無い限りは家から出ちゃいけないって決まりがあるくらい大事なものだって先輩が言ってたなぁ」
「へえ……じゃあどんなものなのか村の人は知らないのか?」
「そうだね、多分。余所者が入り込むと儀式が失敗して災いが起きるとも言われてるから……」
「余所者って、教会と神代の人以外?」
「うーん、そうじゃないかな……俺も先輩にちらっとしか聞いてないもんだからよく分かんないんだけど」
「ふぅん……実際災いって起きたことあるのか」
「ああ、何度かあるみたいだね」

時折周囲を伺いながらひそひそと、まるでこの話が悪いことのように石田は話を続けた。

「えーと……一番近くて二十七年前だったかな、その時は土砂災害で。ほら、交番前の掲示板にもあったでしょ?」
「ああ、あれか。村の何か所か出入り禁止になった」
「そうそう、それ」
「何で失敗したんだ?余所者でも来たのか?」
「いや、そこまでは知らないんだ。ごめんね」
「んや、こっちこそ悪い、あれこれ聞いて。なんか妙に気になってさ」
「いーよいーよ。でもあんまりこういう話、他の人には聞かない方がいいかも」
「秘祭だからか?」
「それもあるけど、なんていうのかな……うん……あんまりよくないと思うんだ」

言葉を濁した石田に、大和は少しばかり首を傾げながらも「そうする」と頷いた。その返事に石田はあからさまに安堵の顔を見せて、食事を再開する。
大和は石田が濁した言葉の先を知っていた。あんまり村の深部に首を突っ込むと、”宮田”が出てくるぞ。余計なことを知れば、“宮田”に消されるぞ。そう言いたいのだ。それがどういう意味か石田がどこまで知っているのかは分からない。
けれどきっと、先輩とやらにいろいろ聞かされたのだろう。この村でやっていく上でのルールとして。

「なあ石田巡査、儀式が終わるまで少し酒、控えろよ」
「えっ!なんで?」
「なんでも。控えた方が良いと思うぜ」



* * *


須田恭也 須田家 / 自室
2003年7月30日 / 22時33分33秒

「へえ、面白そう!」

インターネット上のオカルト掲示板で見つけたとある記事に、須田は目を輝かせた。血塗れの集落、とそう銘打たれたそこは行けないほど遠くはない。平時ならば諦めていたかもしれないが、今は夏休み。自由にできる時間はいくらだってある。
須田は意気揚々とその掲示板に、その村へ行ってみると書き込んだ。そして壁に貼り付けてあるカレンダーに、大きく丸を付け「よし」と満足げに頷く。思い立ったが吉日、出発は明日に決まりだ。
2018.05.05